第13話 最低のバカ野郎
たった一言が脳内に響く、その声はあの小声で囁いていたものと同質であり、怒りの感情によってドスの聞いた感情的な声となっていた。見たな見たな見たな見たな見たな、と。穏やかであった深淵の海は次第に荒れ始める。津波の様な意志の塊がその身を飲み込もうとし始めるのだ、それからのマックスの行動は早かった。
「ミズキ!俺を引き上げてくれ、来た道を意識するんだ!」
流石のマックスでさえこの声を聞いて進んできた道を遡っていく、私も無我夢中で意識を整える。息を一定周期に乗せ、来た道を思い起こす。こうすることによってどうなるかは私にはわからないものの、言われた通りにするしかなかった。そうでなければこのドス黒い意識の奔流に飲み込まれることが容易に想像できるからである。刹那彼方にて緑の光点が見えるではないか、その光点を見つけてかマックスは高潮気味に叫ぶ。
「よくやったミズキ!後は俺の頑張り次第だな、待ってろよ絶対に帰ってやる。」
彼が後ろを振り返れば黒い意識の奔流が押し寄せてきているのが見える。その濁流の如く流れる様は自然の恐怖とある種似ているところがある。意識の奔流と自然の濁流の類似性のことまで考えてしまう自身の知的好奇心に対して今はそう考えるときではないと、意識を途切れさせることをしないために必死に統一し続ける。ここでマックスが意識の奔流に飲まれてしまえば二度と戻ってこないことも、あの激しく流れる様を見ていて無意識的に理解していた。彼は時折波に飲まれながらも光点目指して進み続ける。奔流に身体が持っていかれそうになるときも私が奔流の流れを教え、耐えてはその先へと足を進める。その時激しい奔流が足に衝突し、その勢いによってマックスが転倒したのだ。
「マックス!!」
「クソっ、俺のことは考えるな。意識を絶対に途切れさせるなミズキ!」
そうだ、暫くこの意識統一をしてから気づいたのだが意識を強く持っている間は光点が強く輝き黒い奔流の勢いも低減している。なればこそ彼を心配している余裕などないことも理解していた。彼を呼んだ瞬間の意識の途切れはやってしまってはいけないと自分を律し、彼のことを一心に考えていく。あんな馬鹿でも居なければ寂しいのだ、こんなところで死んでいい人間でもない。一緒に生きて帰るんだと、必死の祈りのように彼のことを想い続けるのだ。
そうして数刻、光点は次第に大きくなり流れがさらに強くなった奔流の中を何とか進む。光点も大きく輝き、距離も十メートルも離れていない距離まで進むことができたのだ。しかし侵入者を絶対に逃がさないとする意識の流れが足を、腰までも飲み込み必死に捕らえ続けようとする。
「あともう少し、頼む。助けてくれ、ミズキ……!」
「お願い、マックスあと少し。あと少しだけ頑張って!」
奔流は激しさを増し流れてくるが、光点によって晒し出されたその姿をみて最初に思った。その姿は怨嗟をため込んだ顔のような造形である。どうしてこんな顔なのだろうか、いやそんなことを想う余裕は今は無い。今は彼の無事を祈るしかなかった。
そしてマックス進み続け、手を伸ばせば届く距離までに近づく。だが身体はほぼ半分飲み込まれ、意地になっても進むことができないのである。
「届け、俺の手!」
彼は必死に手を伸ばすものの、いまだ届かない。何度も振るように手を伸ばすものの、指一つ分足りないではないか。奔流がさらに増え始め、喉まで到達し口元に濁流のような液体物が時折流れてくる。身体が流されると考えた時、奔流の中からだれかから背中を押された。その衝撃で身体は少し進み、指先が光点に触れたのであった。光点に対して右手を伸ばし指先が触れた時、飲み込もうとしてきた奔流が一瞬にして消えていき、奔流に飲まれかけた身体の半分以上がやっと見え始め、マックスが咳き込み黒い液体を吐き出す。
「マックス、無事なの?!よかった、本当によかった。」
以外なことに私の目頭が熱くなる感覚がある、こんな男のために私は泣くのかと思いつつも助かった安堵の気持ちには勝てなかった。彼はああーっと大きく息を吐き出し、大の字に寝っ転がる。
「ミズキぃ、俺やったんだな。俺、生きてるんだよな。」
「うん、生きてるんだよ。助かったんだよ。」
「お前が居なきゃ死んでたかもな、しっかし最後に押されたお陰だが何だったんだろうな。」
「本当にごめんなさい、私があんなこと、言いださなきゃ。」
ボロボロと大粒の涙が零れていくのがわかる。実態はないものの、こう感じるというのも不思議なものであった。
「いいんだよ、結果良けりゃなんだってな。しっかしマジで死ぬかと思ったぜ、あそこまで意識に防御装置があるなんて一体全体何なんだよ。ミズキはどう思う?」
「わからない、でも彼女は、絶対に何かを隠してる。彼女が、わからないだけかもしれないけど。」
「まずはその涙を拭いてから喋ってくれ、俺ももらい泣きしちゃいそうだわ。」
そう言いながら起き上がり、光点の先へと歩いて行く。そしてその姿は光点の中へと消えていった。
光点に消えた時、はっと目が覚める。身体を起こせば、教材を枕にしているではないか。まさかと思って隣の席を見てみれば私が気持ちよさそうに寝ているのである。大きなため息を一つ吐いてしまう、どうしてこうなったのかと。そう思いながら教室の時計を見れば自習時間は終わり、お昼休憩時間となっている。確かに周りを見回せば多くの人は少なく、多くの人は食堂に出向き少数の人間も歓談しつつ移動していた訳である。幸いと言えば幸いであろう、こんなややこしい状態なのに他人の目などあればもしもの時は死んでしまいたくもなる。
「ん、ミズキ。おはよう、ってあれ。俺がそこにいるな……」
私の身体に入っているであろうマックスが身体を起こし、眠たそうに瞼を腕の裾で擦る。
「アンタ一体これはなんなの、説明して頂戴。」
「んー簡単に言えばミズキの意識の流れはミズキの身体につながってる。そのまま進んじまったからそっちに身体に入ってしまった。そして空っぽの俺の身体にミズキが接続されたって話だな、俺こんなことができるんだな。」
私の身体を興味深そうに見回すマックスだが、見ているこちらはなんだか無性に恥ずかしい思いを抱く他にはなかった。すると彼は視線を落とし、ずっと下の方を見つめていた。まさかとは思ったが彼は手を股にやったではないか!
「ちょっと!何してるのよ!」
思わず彼の手を握りしめてしまう。顔に血が上る感覚があり、真っ赤に紅潮させたのが自分でもわかってしまうほどに身体が火照っている。
「いやだって股に何にもない感覚が意外と気になってしまってな、あーねえんだなぁって。」
「あーねえんだわじゃないって、これ誰かが見てたらどうなると思うわけ!?」
「いやまぁ、以外と人って見てないから平気だと思うけどな。ほら俺ら以外いないだろ?」
周りを見回せば確かに人影はない、だがそれだからって私の身体弄りまわすとのは別問題である。
「しっかし、胸って邪魔だよな。これじゃあまともに足物すら見えねえわ、猫を可愛がる時とかどうしてるんだよ。」
「それは別に問題ないわよ、ってアンタ!!」
彼がフリーな手を使ってスカートをバッと上げるではないか、華奢ともいえるその肉付きに純白にレースが盛り込まれた最近流行りかつお気に入りのパンツがモロに見えてしまう。それを見てかマックスもおーと感嘆ともいえる声を出し、私はふわりと宙を舞うスカートをただ眺めるしかできなかった。また股に不思議な感覚があるものの、そんなことよりも先にわなわなと怒りにも似た感情が噴き出してくる。
「へー、お前ってこんなのが好きなんだな。以外だ――。」
「このアホ!!」
思いっきり彼の頬に対して平手打ちをお見舞いしてやった。そういえばこの身体は私のだからやっちまったと後悔するものの、そんなことはもうどうでもいいと思ってしまう自分であった。彼の胸倉をつかんで怒り心頭で言いつける。
「次同じことしてみろ、公衆の面前で素っ裸になってやるからな!」
「ず、すみませんでした。どうかご勘弁を……。」
彼は何度も頭を下げて謝ってくるものの、せっかく上げた株をどうしてこんなことに使うのは全くもって理解はできなかった。
「はぁ、まあ誰もいなかったからよかったけど戻り方はわかるの?」
「多分、もう一度寝て意識の流れに乗るしかないんじゃないかな。」
「じゃあ早くしましょう、こんなのみんなに見られたくないし。」
「最後にお別れのためにミズキの下着見ていいか?」
「ぶっ殺すぞ。」
ドスの聞いた声で脅せば彼は急ぎ腕枕で寝入る。なんだかこの一件私が全面的に悪いとは思ってしまったけど前言撤回、こいつも大概であった。私もそのまま教材の上で寝ることは嫌であったので同じく腕を枕にしもう一度寝ることにした。
身体がもとに戻ってからはヒリヒリとする右頬をさすりながら自分の行動を後悔する。こんなことなら平手打ちをしなければよかったと感じるものの、あの時抑制できなければどうなったいたか考えたくもなかった。この馬鹿と一緒に食堂へ向け一階へと歩いて行く。階段では食堂で食事を終えた女子生徒たちと簡単に挨拶しながら、時間を確認する。昼休みになってから二〇分ほど時がたっており、自習の時間も併せると四〇分も寝ていたことになる。
「うひゃー、痛そうだなそのあと。」
「アンタがあんなことしなけりゃなかったんだけどね。ったく。」
「わりぃわりぃ。いやー、一度見る側でやってみたかったんだけどよ、こうしてやれるなんてな。」
この男に見られた、というには変な表現ではあるものの自分で自分の下着を見て若干の興奮がなかったわけではない。いやいやそれでは自分の姿を見て興奮する変態そのものではないか、これは身体がそうなったのだからしょうがないことであり、不可抗力であるのだ。あと百パーアイツのせいでもある。
「次やってみろ、アンタの噂で持ち切りにしてやるからな。」
「うひゃー、怖い怖い。ミズキとは二度と入れ替わらないから、な?」
「そういって他の人にもするんでしょ、アンタのことだから。」
「多分、しない!」
「何よその多分って。」
彼の耳たぶを思いっきり、それも耳がはちきれんばかりに引っ張り上げる。すると彼は痛みのあまりにいたたた!と過剰気味に声を上げる。だがその光景は衆目に晒されることとなる。それを見た周りの男子生徒や女子生徒たちがそれ夫婦善哉を食った仲だの、夫婦漫才だの、好き勝手に外野が囃し立てる。変に目立ちたくないのに、こいつのせいでと思えば耳たぶを持つ手が力む。
「あいててええええええ!やめてくれミズキ!ミズキぃ!!」
哀れな男子生徒が一人、女子生徒に耳たぶを握られながら食堂へと入っていくのであった。
食堂に入ればやはりこの時間では人影は少なく、食べ終わった生徒たちがぽりぽろでで行く様子が見える。そんな中を進み、いつもの注文場所に出向くと非常に恰幅の良い女性がテーブル越しに笑顔でこちらに軽く手を振っている。
「おっ二人もやっと来たか、今日はえらく遅かったじゃない。さあ欲しいものは何だい?」
「おばちゃん、いつもの奴頼むわ!」
彼は出来合いのパンのハム卵乗せを取り、その分の料金を渡す。
「あいよ、いつものね。ミズキちゃんはどないする。定食なら残ってるで?」
さて出来合いの物で何かいいものはないかと手元の食品たちに目を向ける。彼が選択したハムと卵の乗ったパンがまだ残っている、そして南方の名物パンに濃いソースで焼いた麺を柔らかなパンの上にのせる、何ともエネルギーが足りない蛮族的発想のパンが残っているようだがその中から選ぶ気にはなれなかった。少し時間が掛かるものの、濃厚でコクの深いシチューが売りのマヌエラ定食にすることとした。
「私はマヌエラ定食で。米の量は少なめでお願いします。」
出来合いのパンよりかは幾分か高いものの、いつも家で食べる食事からすれば相当に安いものであった。それでもこれだけおいしく調理できるこの購買部の食堂には感銘を受けざる負えない。
「ミズキちゃんはちょっと待ってね、マヌエラ定食一丁だよアンタ!」
奥の調理場ではおばちゃんの夫であるシェフがその腕を振るい、他の人の調理をしているようで彼の焼く肉の濃厚な匂いがこちらに流れてくるのがわかる。
「なぁ、流石にあれは酷くねえかミズキ。」
耳たぶをさすりながら、右手でパンを口いっぱいにほうばる。歴史ある有名どころか知らぬ者なぞいない伯爵家の次男坊だとこの姿をみて誰が思うのやらと頭を抱える。
「それで済んだだけ良いほうでしょ、おかげでこっちも痛かったんだから。」
食べながら目を逸らせる。彼なりに申し訳ないという言葉は嘘ではないのだろうが、しばらく許せるほど寛容な私ではなかった。
「まあそういうことにしておくさ、それでさっきの防衛機構についてだが俺なりに考えたことがあるんだ。」
「何かわかったの?」
「まあな、魔術を防御するにあたって大体魔術を認識してから防御するという動作があるじゃないか。」
「確かにそうよね。それがどうしたの。」
「それを心理上の防衛術式ってのを聞いたことがあるんだ。これは兄貴からの又聞きなんだが、西方の魔女と東方の魔女との決戦の逸話知ってるよな。」
私も確か詩物語で、西方の魔女が自分の欲望のために魔法を使い、そんな欲望のため使う西方の魔女を東方の魔女が征伐したという話であったか。細かなことは忘れてしまっていたが、母から訓戒として教えられたような気がする。
「それって確か詩物語の一部よね、たしか。」
「そうだ。そんな魔女の使った魔法の一部が再現できたってことだが、それが心理自動防御術式ゼロ型ということらしい。でもおかしくないか、王国随一の研究機関がやっとのことで再現できた術式が一般人が持っているなんて。」
確かにそれはそうだ、私たちでさえ見聞きしたことのない魔術を無意識的に潜ませ、自動的に行使するなど前代未聞である。学会にしかるべき報告書を書けば間違いなく今年の部にやり玉に上がるだろう。非難と困惑をもって。
「たしか無意識下においての魔術行使は未だ見当すらついてない分野のはずよね。」
「そうだな、防御面においては研究は進んでいるが攻撃的な心理魔術は正直魔法の域をでてないといってもいい。」
「それもあんな攻撃的な物、彼女は一体何者なの。マックス、これについては私たちだけの秘密にしましょう。エリザ先生にも教えちゃだめよ。」
「そうだな、俺らの秘密だな。しっかしこれが王国に知られちゃ研究棟で氷漬け案件だな。」
「そうね、私たちが首を突っ込んでいいレベルじゃないけど、私はどうなってるか知りたい。お願い一緒に探してくれないマックス?」
マックスは何を言ってるのだと以外そうな顔をし、その後すぐに破顔一笑し言い返す。
「そりゃあ、あったりめえよ。おめえとつるんでる間は楽しいからな!」
そういってもらえるのがとても嬉しかった。そんな快闊でバカの様な彼を見つめていれば、心の奥底にほんのりと温かな物が宿った気がした。
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