第11話 哀れな兵隊
陸軍省のある部屋で下座の末席の椅子に座っており、そこの空気は重々しい。肩には重石が乗っかっているような感覚が続き、胃が委縮しているのが自分のことながらわかる。それは自分よりも上の将軍たちが円盤状の卓を囲う形で座っているのだからそうなるであろう。今私は政治家でもある軍部上層たちの会合に出席しているのである。
「さて、先だっての報告書読了したが、目標人物の確保には失敗したのは問題だな。しかしこの文書については怪我の功名といったところか。」
卓の上座に座る叔父のアルフレード中将はその壁が共鳴するほどの低く威圧的にも感じる声を震わせ、言葉を発する。南方軍総司令官の威厳は凄まじく、一挙手一投足小さな動きでさえ畏敬の念を感じえない自分がいた。
「それでこの文書については科学魔術省に調査をしてもらっている最中だ、報告はしばらく掛かるとのことだ。さて此度の作戦に於いて騎兵隊の活躍は素晴らしかったな。流石はゼーリッヒ准将殿だ、良い指揮を執られるな。」
「そういってもらえるだけで感涙が我が頬を伝う気持ちであります。しかしそれを言うためだけにこの密議があるのではないのでしょう閣下。」
「そうだったな、さて今日は王国の秘宝が見つかったという報告があってだな。それについての話だ、グラッセル。」
その顔は威厳はあるもののその目にはいつものように優し気な物を孕んでいる。しかしその目はこちらの言わんとすることを見透かさんとしているかのようであり、緊張の糸がキリキリと音を上げる。
「ええ、その件に関しては我が特務が確保しており、現在は保持者の再教育をしております。」
「そうだろうな、しかし困った物だ。公式に紛失したものが連邦内で見つかるとはな。」
「その上どこの馬の骨ともわからぬ少女が保持者とはな。無理やり契約石を取り出せばいいのではないか?その少女の命の価値なぞどうでもいい。」
「だがそれでは彼女の反抗に遭うかもしれん、そうなれば我ら王国が消滅しかねんぞ。」
アルフレード中将隷下の将軍たちはあれやこれと議論を重ね、グレシアムとミーシャのことをどうするか考えていく会議、一介の少佐が何を言える空間であろうか。ただ彼らの議論をただ聞いているだけとなり、議論の行く末を傍観するしかなかった。本人曰く政治には興味のないゼーリッヒ准将も同様に沈黙をしていたことは、いつも通りとはいえ心強い友のようにも感じる。適宜中将や他将軍からミーシャについての情報を聞かれるものの、あの時感じた物しか語れずため息交じりの返答しか返ってこなかった。一言発するたびにため息を付け加えられるのはどうにも心臓に悪く、正直なところやめてほしかった。それから将軍らの派閥争いのひと悶着あり議論は小一時間ずっと続き、加熱しきった議場は内容自体も連邦へと渡った責任問題まで波及し始めていた。
「ここではかの者の処遇についての議論であって、我々の責任問題解決の場ではないぞ。」
辟易とした顔をした中将が加熱しきった議論に対して冷や水をかける。ここでやめなければ議場を巻き込んだ大喧嘩までに発展しかねない空気であったのだから中将もバランサーとしての側面が強いのだろう。
「俺としては現状契約石を取り出すことは困難と思われる。少女との関係も悪くない、そして再度の教育課程を受け入れたこともあるから今のところは様子見でいいだろうと思う。陛下への上奏も報告も無しだ。」
「だがしかし、それでは陛下の者を私物化では。」
「私物化ではない、一時的な保護をしているのだ。そこを間違えちゃいかん。グラッセルお前はどうみる。彼女たちを。」
「私は、彼女たちが利用価値があると信じています。彼女は相当にグレシアムに対して入れ込んでいる様子ですし、絶対に何かを隠してます。」
「その何かはお前の直感か?」
アルフレード中将の目つきが細くなるのがここからでも見て取れる。その目つきに睨まれたものは蛇に睨まれた蛙のように、等しく畏怖を感じる目であった。生唾を飲み込み、息を吸い込む。
「いえ、私の推察です。戦闘した際の言動から行動から推察した面が多いですが。」
アルフレード中将は大きくため息交じりの吐息をする。あまりに非論理的な発言に審議する余地なしと思ったのだろうか、その吐息にはそんな意味もあるように感じてしまう。
「お前はそう判断したか。ならば私も同じ意見だ、今はまだ様子見でよいだろう。取り出す算段も付いていない様子だしな。お前たちもそうだろう?」
「まあ現状は下手に触って火の海になっても困りますからね。参謀部としても同意見です。」
「私は反対だが、今回は閣下の顔の免じて陛下には上奏はせん。しかし私はこの件に関しては上奏すべきだと考えている。」
「すまんアル、私もマグヌ将軍と同じ意見だ。だが推し進めるなら私は協力はできん。」
「そうか、マグヌにオレフもか。決議に関してはまた次回決めよう、今はそう考えるかもしれんが明日はどうなるかわからんからな。この密議に関しては口外せぬように、我々だけの秘密だ。以上解散。」
そういうや中将が最初に議場を後にし、高位の将軍たちもぞろぞろと席を立ち廊下へと歩るきだしていく。そんな中大きく議場の空気を肺一杯に吸い込む。その冷ややかな空気は緊張で加熱しきった脳髄を冷却するに十分であり、心が落ち着いていくのがわかる。
「俺はこういう政治が入り混じった議論は嫌いだ。お前はどうかしらんが俺は二度と参加したくもないな。」
「閣下、私も同様ですよ。政治的な話は勘弁願いたい、でもこうやってくるんですよ。政治的な話が。」
ゼーリッヒ准将は立ち上がり、そのあとに自身も立ち上がる。准将は明らかにキツそうな首元の第一ボタンを外し、砕けた服装となれば騎兵部隊章である新緑色のウラヌの羽が飾られたスラウチ帽子を深々とかぶり、そして兵士たちが往来する廊下を二人で歩いて行く。
「お前も災難だな。特務で管理するかもしれんのだぞ、あの騎士を。」
「その時はその時です。苦労するのは未来の自分ですよ。」
「ハハハ、違いねえ。お前さんは騎兵部隊指揮官の方がよほど似合ってると思うがな、そう思えば余計に欲しくなってきたな。」
ゼーリッヒ准将はその蓄えた髭を揺らし豪快に笑う。この快闊な人物は上司にすれば確かに面白いのであろうが、既に特務として勤務している今を手放すほどでもなかった。
「閣下、ご勘弁を。私は特務で満足していますので。」
「特務で収まる玉じゃあねえと思ったのだがな、まあいつでも転属願いは待ってるからな。必要なら俺を頼れよ、じゃあ次の時な。」
彼はそういいながら上の階へと歩いて行く、そして私は特務小隊の駐屯地へと足を進めるのであった。この本部から少し郊外にある駐屯地であり、そこまでは自前の乗り慣れた馬での移動である。そんな馬をいつもながら面倒を見てもらっている馬丁には感謝しきれなかった。そんな風に考えながら街を北へと駆けていき、見慣れた交差点を交通整理員の指示に従い通行し、しばらく駆ければ大きな駐屯地が見えてくる。駐屯地の前で一度止まり、身分確認を行う衛兵に身分証を開示し、そのまま敷地内へと赴く。そうすると敷地内で白い線が掛かれたランニングコースにて一人の女性が走っているのが遠目からでもわかった。その蒼い髪をしてボブヘアでいる女性で、この時間走り込みをしている女性、多分グレイス少尉であろう。厩舎近くで馬を降り、近くの兵士に預けて彼女の元へと歩いていく。走っている最中、少尉も見えたのか駆け足を止め正しい形で敬礼をする。
「おかえりなさい、グラッセル少佐殿!」
「ご苦労、グレイス少尉。今日も良く訓練しているようでなりよりだが相方のマッセナはどうした、アイツはまた大尉の賭博に行ってるのか?」
「はい、本当に訓練せずに賭博ばかり、そんな相棒であるなら交代を申請致します。」
深々と一礼されるものの、魔術の相性はいいだけにその申請は却下せざるを得ない現状があった。その上補充も来年の新兵たちからであり、今年中は彼女の申請は断るしかなかった。
「申請は却下だ。まだ新兵が補充されていないというのはわかるな?」
「ですが!」
彼女が勢いよく食いついてくるものの、どうあがいてもこの現実を変えることはできないのだ。
「来年だ、多分イキのいい奴が入ってくる予定だからその時まで待ってくれ。それまではマッセナと組んで待っていてくれ。」
「……わかりました。その言葉覚えていますからね、では訓練に戻ります。」
言うことを言ったグレイス少尉は再度白いレーンを沿うように走りだし、彼女からの要望を聞いたグラッセルも駐屯地内の自室へと向かった。自室へと向かう最中、ある一室へと顔を出すこととしようと思った。その一室はこの駐屯地の中でも最も人目につかない場所、旧学校施設の残滓、物置へと足を進める。物置の目の前に到着すれば何やら中で盛り上がっている様子が聞こえてくる。ノックを二回、数秒間を置きノックを三回すれば中の警備兵が鍵を開けてくれるはずであった。しばらく待てば中から鍵が開き、ドアを開ける。その先はそれなりに大きな部屋にマッセナ少佐と支援部隊の人間がが三人、卓を挟んでカードバトルをしているのである。その仕掛人は上座に座っているアルフレース大尉であることは明白であった。その本人も驚きと不敵な笑みを浮かべる。
「少佐殿も来られましたか、どうです一緒に?」
「勘弁してくれ、ただでさえ規則で煩いのに面倒事は。あとお前のいる卓ではやりたくないよ、いないときにしてくれ。」
「またまた、あんとき偶々運がなくて引っぺがされただけですよ。今度は勝てますって。」
こうして誘われても断ることにしていた。少佐が違法賭博で遊んでいたとあれば重大事項になりかねないうえ、彼が卓越したイカサマ師でもあったからだ。昔所属したころに諸に引っぺがされた記憶が今でも彷彿としてしまう。
「あとマッセナ少尉、グレイス少尉がだいぶ怒っている様子だが大丈夫なのか。今すぐいってやらんとひどい目にあうぞ。」
「へへ、大丈夫ですってあいつならそれなりで、っと来た来た!リーチ。」
マッセナ少尉の手元には同じ模様に数字の札が数枚ずつ並んでおり、相当運がよかったのだろうことがわかる。だが彼のまえでは無駄であるというのは私の考えであった。マッセナ少尉はこれで行くぜと一枚の札を捨てる、その途端。
「はい、上がり!いやー残念無念だねぇ、さあさあ貰っちゃうぜ。」
彼は全ての手札を見せつけ、綺麗に無双の札となっていた。
「あああああ!!そんなぁ。」
マッセナ少尉から無双分の点数が巻き上げられ、あまりに無惨な顔つきで彼は顔をガクッと下げていた。可愛そうだが、彼とまともに戦えばそうなることは目に見えている。あとは頑張れよと言ってその場を後にする。そんなことがありつつ自室へと到着すれば今日の書類仕事の山をこなすのである。ここの管理から小隊内での許可から申請書、嘆願までも山の様に積まれ上がっていた。小隊といってもその業務の煩雑さは連隊規模にも劣らぬものだ、それは簡単な理由であり、日常訓練で使用する物資から科学魔術省からの新たな実験道具の試験まで多くの雑事も担当しているからである。そんな様々な書類に目を通しサインをしたり、審議が必要な物を撥ねたり、書類仕事には事欠かないのだ。最初の書類を見ると嫌気に苛まれるものの、黙々と作業をやり始めてからは以外と難なく処理ができるのである。そうして何十何百という書類に目を通し、処理したころには何時しか日は暮れ、一日の業務の終わりの時間となる。こうしてグラッセル少佐の日常は終わるのであった。執務室の窓からは今だランニングを続けるグレイス少尉と、いつの間にか加わっていたマッセナ少尉も加わって走っていた。ただマッセナの顔は悲嘆にも似た顔つきであり、彼女にこっぴどく言われたのか勝負に悉く敗戦したのだろう。そう思いながら筆を置き、荷物をまとめて駐屯地を離れる準備をする。その荷物には戸籍と彼女の生活に必要な物が詰まっているのであった。
二人で三十分ほど廊下を歩き、学校について紹介してもらったものの何から何まで規模が桁違いなのを肌に感じるほかになかった。また学習の仕方もだいぶ違うことが話を聞いていて、連邦では得意な部分は個別指導で伸ばすのに対して王国では軍属になる関係上集団で学ぶらしく、内容について行けるかが心配であった。一応ガーネット先生から最低限の魔術だけは教えてもらった訳だが、本当に日常生活で使える程度の魔術行使しかしたことがないグレシアムにとっては不安が募るばかりであった。
「そういえばグラシアムちゃんってどんな魔術が使えるの?」
「私は、多分どの魔術も全然ダメ。小さな風を起こしたり、変化も小さなものしか起こせない。炎だってこんな小さなものしかできないの。」
人差し指の先からキッチンの火を点ける担当になりつつあった炎を出すものの、その焔は小さく弱々しい輝くばかりであった。だが彼女は驚きの顔をしている。そんなに驚くほどなのだろうかと考えてしまう。
「それってすごいよ!まあちょっと可愛らしいけど、そんなに出せるならきっと才能はあるよ。大抵何種類も属性は得られないものだし、きっと成長すれば卓越した魔術師になれると思う。」
「卓越した魔術師か、楽しみにしておくね。」
そんなことはない。魔術の研鑽に必要な血脈も、傑出した才覚もない私にそんなことができるはずがないのである。ミズキは大体続く由緒ある血脈あっての魔術なのだろうし、本人も才覚に溢れているようにも感じる。彼女の存在がどうしても私を濁らせるように感じてしまう。
「そういえばミズキってどんな魔術を使うの。こう紅蓮の炎みたいなの?」
「私は氷の魔術かな。空間の温度を下げたり、腕に氷を纏わせて武器にするの。まあ風の力があれば氷を飛ばしてとか戦略の幅が広がるんだけどね。」
「へー、そうなんだ。氷かぁ、私もちょっとは温度下げられるよ。」
「なら夏の間は大変よ。あのバカが”俺のために温度下げてくれ!”とか言ってくるし、もうそれはそれは忙しいからさ。」
あのバカというのは教室で真っ先に手を上げたあの男子生徒のことだろうか。あれほどバカっぽい顔もそうはいなかったから多分アレのことだろう。
「あの最初に手を上げた人のこと?」
「そう、マックスって言うんだけど。まあアイツ結構人使いが荒くてね、困っちゃうのよ。」
「マックスって言うんだ、マックス君から頼られてるんだね。」
そういうと彼女は顔と背け、少しばかり朗らかな顔を見せるもののすぐに何かを思い出したのか、急に怒りともいえる顔つきへと変貌する。
「ほんとアイツ!人の事情も知らないで、いっつもいっつも頼ってきて。」
「まあまあ、そういわないで。彼にもきっと何か理由があるだろうし。」
「そう、なのかな。まあ今度ガツンと言ってやろ。っとここが最後、私たちの教室です。」
そして最初に紹介された教室へ戻ってくれば、エリザが生徒一人一人に対して相談しているのが傍から見える。彼女は一体どんな魔術が使えるのだろうか、ふと疑問に思う。
「そういえばエリザさんってどんな魔術が使えるの?」
「何でも使えるらしいよ、私も見たことはないけどね。」
その言葉に最初は疑念を持つ、何でも使えるという非現実的な言葉が魔術世界にあろうか。誰しも何かしらの属性をもって魔術を行使するというのが世間一般における常識である。その常識外れな彼女は一体何者なのだろうか、ただの一般人というには余りに可笑しな話であった。
そんなことを考えている最中、窓越しにエリザと目線が合わさる。その目は深い緋色で、見た物を意中に落としかねないほど美しくあり悪魔が聖人を悪の道へと引きずり込むように、その象徴的な緋色の目の魅力に身体全体が吸い込まれていくのだ。非現実的な現象によって腕が、足が、身体全体が変に折り曲がったような感覚に、今にも胃の内容物全て吐き出しそうな気持ち悪さと、いつの時か感じた懐かしい焦燥感も同時に感じる。グレシアムはこの感覚に覚えがあった。いや記憶の中にはない、――としての側面というべきものであろうか、だがそれをまだ思い出してはならないと脳髄のストップが掛かる。足に力が入らず、崩れるようにへたり込む。そして息を激しく繰り返し、脳髄へと酸素を急速に送り込む。ミズキが困惑し、エリザさんが近くに駆け寄ってくるのが見えるが、何一つ声を出すことができずただ其処でゆっくりと帳が降りてくるのを受け入れるしかなかった。
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