第9話 編入
あの話から一夜を過ごし、早朝六時頃にふと目が覚める。メイドが起こしに来る前に起きる癖は親父の仕事を少し肩代わりしたころからできたのである。父の仕事の一部を賜れたのが嬉しくすぐに起きてしまったという話でもあるが。
基地勤務の時にはよく使うベットから身体を起こし、大きく欠伸をする。早起きの癖はあっても朝方は眠いものは眠いのであり、そう思いながらも余り働いていない頭で毎日の動作を繰り返す。ぼさぼさな髪を整え、若干生えてきた髭も剃り、絹の寝間着から通常勤務で用いる紺色の軍服に着替える。そして朝食をとるために食堂へと向かう。食堂は静かなもので、グレシアムもミーシャもおらずメイドがそそくさと食事の支度を整えているのみであった。
「マリーを読んでくれないかい、ベリエット。」
「えっ、あっはい!少しお待ちください。」
ベリエットと呼ばれた新人メイドは慣れぬ足取りでありながら急いで厨房へと向かい、しばらくするとマリーが現れる。マリーは女性ながらシェフの称号を持つ稀有な人間であり、父上が手塩にかけた人材の一人であった。そんな彼女を呼び出し、今日の予定を告げる。
「おはようベリエット。」
「おはようございますグラッセル伯爵閣下。何かあるようですが、準備があるので手短に。」
「そうだね、今日の朝食は簡単な物でいい、パンと卵でも挟んだサンドイッチで。今は寝ている彼女たちの分は別に作ってやってくれ、それから今日の晩はいらないよ。」
「わかりました、旦那様の分は御造り致しません。それだけで?」
「ああ、今日も中々低い声に言葉の毒がキツイね。」
「男の世界で生きるにはこれくらいないとナメられますので。」
そう言い切るとスタスタと厨房へと戻っていく、いつもながら少し柔らかな態度であれば引く手数多なのだろうなと思いつつテーブルの上に置かれた朝刊を開く。新聞の一面にはマークスベルクの一件が大きく書かれており、現在内乱状態のガルフドフスの騎兵隊によるものではと書かれている。確かにそう書かれてもおかしくはなかった、あの騎兵隊たちはまさしくガルフドフス兵であり、頭脳だけは王国の物であったわけである。その上新式の小銃も武器商人が流しているため王国が関与しているということもない。つまり王国はうまい汁だけ吸い取った形であった。そんな考えをしている中、後ろで新聞の一面を見る気配を感じる。
「マリー、そんなにこの一面が気になるのか?」
「えっ、あっはい。私の生まれ育った街でもありますし、気にならないわけでは……。」
「そうか、マークスベルクのどこら辺で生まれ育ったのかい?」
「私はガルフおじさんの家で育ったんですよ、小高い丘の麓の陶芸師の家なんです。」
「陶芸師、なるほど。その丘上に魔術学校などなかったか?」
んーとしばらくマリーは唸る。彼女がここにきて数年、故郷のことは若干忘れかかっても仕方がない時期でもあった。グレシアムの手がかりを一つでも手に入れられれば僥倖である。すると急に思い出したように手を打つ。
「ありました!たしかガーネットという人が教師の小さな学校が。」
「本当か!その生徒たちは思い出せるか?」
「んー、たしかマリアさんに、グレシアムの二人はいたはずです。ただ数年前前なので今もいるかどうかはわかりかねます。」
やはりグレシアムは魔術学校生だったのだ。だが魔術学校生が小銃を慣熟するまで使うなどそうは聞かない話であり、疑念がよぎる。魔術が使えないのではないかと、しかしそれならば魔術学校生になれないはずであり入校しているのは可笑しな話である。大学街でのデータも解析中につき未だ謎は謎のままであった。
「どうされましたか旦那様、気になったことでも?」
「ああ、そんな街が襲撃されるなんてなと思っていてな、無事だといいなその二人が。」
「おい!!マリィィ、何してんだ!!」
突如厨房から食堂が揺れるような怒声が響き渡る。マリーはすみませぇんと泣き顔をしながら走っていき、しばらくして泣きながらサンドイッチをもって歩いてきた。少し申し訳ないことをしてしまったかとふと思う。
「俺からも謝っておくから、泣くことはないぞ……。」
「……す”み”ま”せ”ん”ん”。」
「別に怒ってはないさ、というか申し訳ない。」
「いえ、わたしが悪いんです……。」
目の前にサンドイッチを置かれるものの何ともバツの悪い朝食なのだろうか、この残念極まりない朝の会話に悶々としながらサンドイッチを食べるのであった。
朝食も済まし、玄関の前で金色の糸で幾重にも装飾がなされた黒い帽子を深々とかぶり手荷物を持って扉を開ける。暖炉で温まった身体に外の嫋々たる肌寒い風がじりじりと熱を奪っていくのを肌で感じる。一〇月にもなるとさすがの温暖な南方も寒い日が増え、少し厚着をしなければならないほどであった。そんな中、昔馴染みのところへと足を進め、中央街から少し南にはなれた一軒の家へと向っていく。目的の家に到着すればドアを二回ノックし、しばらく待つと女性の声が奥から聞こえる。どたどたと歩くさまはいつもながらわかりやすい急ぎようである。するとドアが開き特徴的な群青色の髪をした女性が目の前に現れる。
「ごめんなさい、ってグっちゃんじゃん。どうしたのこんな時間に。」
「お久しぶりですエリザ姉さん、お元気なのは常日頃聞いておりますよ。入ってもよろしいでしょうか。」
「どうぞどうぞ、いつもの部屋でいいわね?」
「ええ、少し折り入って話があるので。」
昔の様に彼女の家に入り、応接室に向かう。間取りもこの薫る花の美しい部屋も全てが懐かしくも、昨日のことのように記憶が掘り返されていく。応接室に入れば椅子に腰かけ、手荷物を隣へと置く。入ってきたドアから即席らしき茶を持ってエリザが見える。
「こんなのしか準備できないけど、ごめんなさいね。」
「いえいえ、十分過ぎますよ。急に押し掛けるように来てしまい申し訳ない。」
深々とお辞儀をすると彼女はもどかしい様子で頬を掻く、頬を掻く癖は彼女の癖の一つでもあった。
「それは今日は何のご用件なのでしょうか。」
「一人そちらの学校に編入させたい人間がいまして、どうか今から編入できませんかね。」
刹那彼女の顔から笑顔が崩れ、崩壊する。笑顔が消えた顔つきは見たくはなかった、それはどうしてかと言えば大概怒っているからであり、グラッセルは良くそうやって怒られていたのだから。顔を見れば笑みを浮かべているものの、口元が引きつっていた。ああ、これはこっぴどく言われるかなと密かに覚悟する。
「い ま か ら?」
「うん、今から。」
「へ ん にゅ う?」
「うん、編入。」
「あんた!何馬鹿なこといってるの!」
ゆっくり確認を取ったと思えば烈火の如く早口でまくし立てる彼女の姿は家庭教師時代を彷彿をさせるに十分であり、気圧されるグラッセルがそこにはいた。
「全員のカリキュラム組んでやってる最中にもう一人やれって?ふざけんな!」
「まあまあ、そういわずに一人増えるだけだし。」
「一人増えるだけでとんでもなく計画が変わるのよ、この馬鹿坊主!」
彼女の文句には正当性しかあらず、ただ無茶を通すために愛想笑いしかできようはなかった。
「あーもう、アンタなんか隠してることあるでしょ。」
「それはあるさ、ここでは言えない可能性がね。」
「……相当危険な子なのかい?」
「まあ懸念が当たれば一番不味い、現国王の危機だよ。」
「はぁあ?!なんちゅう子を持ってきてるのよ、しかも私に面倒見ろって?」
「君ならできると信じているから、これも君だから言えることでもあるんだよ。他人だといえない秘密さ。」
彼女は喉の奥から零れる声を出し、項垂れながらしばらく考え込む。こうなれば私から言えることはなくなったとただグラッセルは黙り込む。この張り詰めた空気にはいつも慣れないながらも楽しさを感じてしまう。兄との銃器会社創設の時も、戦場で決断が必要な時も、今思えば何かを決める時の空気が好きであった。
「わかった。どうせ他の人間では手に余る荷物だろうし、何よりあのクソガキの頼みとなれば断れないよ。それでどんな子なんだ?」
「それはわからない、ただ魔術学校生で召喚術が使える程度かな。何を使えるのか確認してもらえないかい?」
「は、お前馬鹿だろ?」
「まあまあ、拾ってきたばかりの秀才だからさ。教えがいはあると思うよ。」
はあぁと大きくため息をつく、その場の空気がどんどん悪くないのを肌で感じざる負えない。流石に無茶が過ぎたかと反省はするもの、言い出したことは曲げない彼女の質を信じるほかなかった。
「はぁ、今日の昼頃会えるようにセッティングして頂戴。適正とかいろいろチェックしたいし、いくつか聞きたいこともあるから。」
「そうか、ありがとう先生。先生なら――。」
「この時期に編入とかマジで末代まで恨んでやるからな。」
「申し訳ない……」
何だかんだ言いつつも受け入れてくれる根の良さに助けられたのは疑いようのない事実であるし、先生の呪術は結構効果てき面であることを考えればあまり呪われたくもなかった。
「では昼頃来るように伝えます。それだけですか?」
「まあ伝えることはそれだけかな、お前としてはどうしたいんだい。」
「僕はまあ真相を知りたいだけですよ、王国の秘宝が何故あの少女のもとにあるのかね。」
「秘宝ねぇ、ほんと厄介事には事欠かないわね。それで楽しいの。」
「ええ、こうやって危ない橋を渡ってる時が一番ね。」
エリザは呆れも含んだため息を一つ、この最も良い出来だった弟子であり、とびっきりの問題児に一言呟いた。
「そのままじゃあんた死ぬよ、それも息もできない苦しみを超える物によってね。それでもいいのかい。」
「苦しいのは厭ですが、存分に楽しめるならそれでも好いかなと。」
「馬鹿につける薬はもうないぞ、さあさっさと行った馬鹿弟子、二度と顔見せんなこのアホ!」
「ははは、ではこれにて。」
グラッセルはにこやかな顔をして、その場を後にする。彼には戸籍の調整から他の学校への編入手続きまで為すべきことが山の様に積みあがっており、その解決に向かったのである。最後まで彼のことを心配していたたった一人を置いていくことになっても。
「えっ、面談があるんですか!」
「ええ、お坊ちゃまより言づけです。お昼すぎにミーシャ様ご同伴でこの学校まで来るようにと。」
昼飯を存分に楽しんでいるテーブルの隣にメモが置かれ、そのメモを手に取り読んでみるとここから南方にある住所が書かれており、随分と郊外にあるなとミーシャも驚く。
「それで、ミーシャはこの住所わかる?」
「まあ間違えがなければ魔術学校だったかな。それがどうしたんだい。」
「一緒に行くとき案内してもらえたらなって、私このの地理わかんないし。」
シチューをスプーン一杯分掬い上げ、口の中に流し込む。その淡泊ながらもうま味の凝縮された味に舌鼓を打つのである。
「わかりましたけど、グレシアム。あまり貰ってはシェフも迷惑しますよ。」
「だって美味しいんだもん。本当に美味しいものは今のうちに食べないと!」
パンを齧り、スープをはしたなくも飲み干し、存分に楽しむ。そんな彼女に頭を抱えつつ、厨房からこちらを見るグラッセルお抱えのシェフの顔を見る。その顔つきはぶっきらぼうなりの笑顔であった、しかし同時にグレシアムの無茶ぶりに応えてもらっている申し訳なさを感じざる負えなかった。
「うちのグレシアムが申し訳ない。あまり無茶を言うべきではないといったのだが。」
「まあ一番なのは楽しんでもらうこと、楽しんでもらえるならいくらでも作りますよ。」
「すまないな、グレシアムそろそろ切り上げて行こうか。」
「ほーい、これ美味しかったですよー!」
グラシアムはメモを片手に持ち、急いで食堂を小走りで抜けていく。ミーシャがちょっと待てとその後ろを追いかけ食堂を出ていく。
「だいぶ賑やかな方ですな。」
「だな、まあ作り甲斐のある奴は嫌いじゃないけどな。」
執事とシェフは彼女らのことを話始めるのであった。
南方にある学校へと向かって歩いていたものの、中央街から抜けると中央街のような煌びやかな建築物はなくなっていき、二階建てのマンションや昔ながらの家が並ぶ住宅街へと変化していく。それでも主要道路は石造りのであり、電灯などが規則正しく並べられた改装の跡がくっきりと残っていた。そんな中をさらに南に歩けば一見二階建ての大きな邸宅が見える。それは昔ながらの木製骨子にモルタルで作られた建物であり、窓も特徴的な意匠が彫られたガラスを使っていた。
「あそこ、だな。」
「結構いい邸宅っぽいけど、本当にあそこなの?」
「多分、この通りの10番地だからここだな。」
ミーシャは何度か通りの確認をしていたもののやはりここだと言うばかりであった。グレシアムは思い切って扉へと近づき、数回ノックする。すると少し高い女性の声が聞こえる。どたどたと特徴的な音を立てながら廊下を歩く音はさながら映画的だなと思ってしまう。扉が開き目の前には一人の女性が見えた。その髪は特徴的な群青色の髪をし、目まで綺麗な青色でありその姿を見て第一に綺麗だなと心の奥底で吹きあがるものがあった。
「ごめんなさい、えーっとどちら様でしょうか。」
「私はグレシアムと言います、グラッセル公爵からこちらに来るようにと伝言があったので来た次第なのですが。」
そういうや否やパっと顔を輝かせ、あらまぁと上ずった声を出す。
「貴方が編入したいって子ね。んー可愛いわね。ささ上がって、少し聞きたいことがあるのよ。貴方も一緒に来てもらっていいかしら、貴方にも聞きたいことあるから。」
なんとも圧の強いこの女性の言われるがままに邸宅に入り、応接室へと入室したのである。お互い椅子に座り、彼女はじっと顔を見つめてくる。無言の圧ともいえるのか、彼女の目には逃れたくなるような圧があった。
「あの、質問ってなんですか?」
「ん、あーそうね。あなたの顔が綺麗で呆けちゃった。私の名前はエリザ・フォーエンシュタインそれでグレシアムちゃんはどこ出身なの?」
「マークスベルクです。あのちょっと前騒動のあった。」
「あーあそこね、懐かしいなぁ私も旅行したことがあるのよ。旧知の中の友人がいてね、っとと。貴方はどんなことができるの?」
ふと姉妹たちの顔が脳裏に浮かぶ、今や会えない姉にどうしているかわからない妹たち。一日に何度思ったことか、自分は何にもできなかった現実だけが克明に思い起こされる。歯が力むのがわかる、目頭も熱くなり思い出すだけで涙が溢れそうになる。それを見てかエリザはあわあわと困った風な顔つきとなる。
「い、言いたくないなら言わなくてもいいんだよ。じゃあ貴方のお父さんとお母さんって覚えてる?」
「いえ、ほとんど覚えてないです。」
「そっか、じゃあ突然起きるのが辛いとか、股から血が出るとかは?」
「あります、時折なって辛いんですけど回りは全然ならないみたいで。」
突如エリザの顔が剣呑とした雰囲気となる。あまり当てにならない自身の肌感覚でさえその空気を感じるほど、雰囲気が変わったのだ。なぜそうなったのかしばらく考えてみても一向に答えは見つかりそうもなかった。
「なるほどね、それはずっとあるのよね?」
「はい、入学したぐらいからずっと。」
「それなのに彼女を起動できるか、貴方この子とパスを繋いで何かわからない?」
「えっ、私は特にはわからないな。ただ良い魔力だというのは貰っていてわかるぞ、グレシアムと一緒にいると非常に身体が軽い。」
エリザはしばらく髪を右手でくるくると回して何かを繰り返し言葉にしていた。その言葉はあまりに抽象的であり、聞いていてもさっぱり内容についてはわからないのであった。
「そうね、いやでもその可能性も。グレシアムちゃん、最近白昼夢みたいな夢を見ない?」
「それは最近よく見ますね。この前とかはミーシャの夢なんか見てたし。」
「やっぱりね、グレシアムちゃん、夢を見るたびにノートでもなんでもいいから筆記して私に渡してほしいの。いい?」
なぜ断りを入れるのかよくはわからないが、快諾するほかにはなかった。
「わかりました。夢を見たらですね、あとこちらに編入ということなのですが。」
「それは問題ないわよ、すでに手続きはある程度済んでるみたいだし。今日から寮に入ることになりそうだから、みんなに挨拶していかない?」
あまりにとんとん拍子で進む編入手続きに驚嘆を覚えてしまう。それだけグラッセル公爵の力が強いということなのだろう、これからの友達たちに顔を見せることとした。
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