第8話 私の在る場所

 マイヤーの店舗から逃げるようにでてきたのち、グラッセルの邸宅へ向け歩いていた。だが店舗に入ったときのような感情ではなく、一言もしゃべることなく向かっている。ミーシャも流石にグレシアムの気持ちを察して、喋るべきか黙っておくべきか決めかねており、非常に悩んでいる様子であった。別に喋ってもらってもよかったのだが、あえて言うこととした。


「ミーシャ、別に喋ってくれてもいいんだよ、確かにあの事が心残りではあるけどずっと引きずっているわけでもないから。」


「そ、そうか。ならいいんだが、グレシアムは以外と切替は早いのだな。」


 彼女にはそう見えるのだろうが、やはり心はここにあらずの状態であった。だが不安にさせる訳にはいかず空元気の笑顔を作り出す。


「そう?私は結構後まで尾を引くタイプなんだけどな。っと、これからどうしようかな。」


「これからというのは、どうやって連邦に戻るかか?」


「ええ、連邦行きの馬車とかにでも乗せてもらっていこうかな。」


 自称公爵の士官の顔がふと思い出す。彼は戻ることを許さないだろう、政治的に絶対に逃してはいけない存在なのだから。王国が連邦の都市を襲撃したなど公表すれば戦争状態やむなしとなりかねない。そして何故襲ったのだろうか、私をこうやって連れてきて治療までするというのは不思議な対応である。証人を下手に生かす理由がわからない、彼らの思惑はなんなのだろうか。


「それは難しいかもな、尾行している奴がいる。後ろ二〇歩先に二人見えた。」


 尾行されているという言葉を聞いて振り返ろうとするが、それはだめだとミーシャに警告され確認できずに公爵の家へと歩いて行く。


「尾行してる人を見てどう、危なそうな感じがする?」


「いや、それは問題ないだろう。襲うつもりなら人通りが少ない時に確実に殺しに来ただろうし、狙撃だってできたはずだ。だがしてこなかった。つまり今は尾行して情報収集ってところか。」


 すらすらと可能性を話すミーシャにはいつでも戦える戦闘態勢に見える。腰に隠した短剣を握り、いつでも対応できるようであり、彼女が非常に頼もしくもある。その姿は懐から抜いた刀のような武人そのものであった。


「あまり注意を向けるんじゃないぞ、バレてしまっては困る。」


 言われた通りにできるだけ注意をしつつも、バレないようにできるだけ最小限に抑える。ミーシャ曰く尾行は三人らしい、一人は若い女性であり、もう一人は四〇代ぐらいの男性、最後に若干一〇前後の少年の三人であった。


「一人は探偵社の人間だろうな、あいつらはわかりやすい動きをしてくれる。ただ女と子供がどこの奴かはわからん、さて面白くなってきたな。」


「面白くって、どこが面白いのさ。私にはわからないよ。」


「そりゃあ、陰謀の中に突入していく感覚はぞわぞわっと背筋に来るものがあるじゃん。それよそれ、背筋に走るものが私を楽しませてくれるのさ。」


 彼女の言うことが全く持って理解ができなかった。自分が殺されるかもしれないのになぜここまで楽しめるか、その在り方は狂人にしか見えなかった。


 ミーシャは歩くルートを変えたり、突然店に入ろうと提案しその店にはいり一通り楽しんでみたり、いろいろなことをしたのだ。その結果間違いなく尾行犯については人数の確認が取れ、動向を窺っているのだろうと凡その目的をしることがでるらしい。ミーシャの追跡犯への洞察力は感動すら覚えるものの、余計な行動によりグレシアムの身体はほとほと疲れ切っていた。そしてその疲れ切った身体をつかい、やっとの思いで公爵の家の元へと着いたのである。玄関のドアを開け、中に入ればあの執事メーフィスが立っていた。


「すまないな、少し遅れてしまった。」


「おかえりなさいませ。食堂へ案内致します。ついて来てください。」


 執事は短く言葉を発した後、廊下の奥へと歩いていき、突き当りの部屋の扉を開ける。その先には小さいながらも若干黒く塗られた食堂であり、上にはシャンデリアが光っており部屋全体を照らし出していた。部屋の中心には長いテーブルが置かれており、白く綺麗なテーブルクロスが敷かれている。その上に羊の骨付きの料理が置かれており、その香料の香りが鼻孔の奥をくすぐる。上座に座るグラッセルが見えた。


「おや、少し遅いお帰りですね。その様子だと相当に楽しんできたようだ、座って聞かせてくれないかい。」


「ええ、構いません。余りお話はするつもりないですが。」


 何食わぬ顔で彼と対面に座り、彼に今日のことをある程度かいつまんで紹介する。その言葉を聞く様子は父親が褒められているかのような嬉しそうな自信ありげな顔つきであった。


「そうか、存分に楽しんでくれたのだね。それはよかった、提案した甲斐があったものだ。」


「でだ、君には姉妹がいるのだろう?」


 突如剣呑とした空気に変わるのがわかる。急な変貌に唾を飲み込む、彼が何を言うつもりなのかと思考をフル動員する。


「ええ、いますがそれが何か。」


「君の大事な人が死んでしまったという報告だ。」


 さっと血の気が引く、身体には怒りともいえない慟哭が突き出さんとばかりに溢れ出る。姉が死んだ、そんなことは、あり得る一番戦火が激しかったのが市街の中心であることを考えれば十二分にあり得る話ではあった。しかしこの話が本当なのか確かめるほかにない。


「その、姉が死んだのですか。」


「ああ、将軍隷下の騎兵隊が確保したのだが護送の最中連邦の凶弾によって斃れてしまってね。こちらで治療をしたものの生き返らずそのまま死んでしまった。本当に済まない。」


 連邦が姉を殺したのか、その言葉を聞いて沸々を怒りが湧いてくる。どうしてあんなにも連邦に身を粉にして働いた姉を殺したのだ、溢れ出るものが瞳からぽろりぽろりと大粒が零れ落ちる。


「じゃあ姉かどうか確認させてください。」


「遺体については既に天に返してしまった残ってはいない。残った骨ならあるな。」


「そんな、あんまりじゃないですか。誰にも最後を見届けてもらえず人知れず焼かれるなんて、あんまりだよ……。」


 鼻水をすすり、手の甲で涙をふく、彼女のことを思えばこれでも抑えている方であろう。そんなグレシアムはこの喪った苦しみを必死に押し込める。下唇を噛み、微かな痛みが押し込める一助となる。


「わかりました、どこに行けば骨は受け取れるのでしょうか。」


「明日取り寄せることにしているから心配ない。姉のことについては残念だ、最後にグレシアム宛に一言聞いていてね、グレシーへ最後に助けに来てくれてありがとうと。」


 グレシー、姉が大切な時に呼ぶ時に言う名前であった。グレシアムの連邦の言い方らしく、姉はあまり使わない言い方であった。そんな彼女がグレシーといい、助けに来てくれたことを感謝している。その一言に一気に涙腺が緩み、小川のように涙が溢れ出る。


「今は存分に泣いてしまうといい。泣けるうちに泣くべきだ。」


 剣呑として雰囲気から一転、優し気な声となる。その甘言にはグレシアムはテーブルに突っ伏してただむせび泣くだけであった。数年間ずっと目標とした存在が今この地で死んでしまったのだ、こんなにも苦しい気持ちは初めてであり、全てを吐露してしまいそうになる。心臓が締まる感覚が、脳内に気持ち悪さを伝える。ただ泣くことしかできない自分も非常に気分が悪いかった、もし自分に力があればきっと救えたはずである。そう思えば殊更ただ泣くことしかできなかった。


「それを今言うかグラッセル、お主は紳士だと思っていたのだがな。」


「紳士ではあるが、親類の死を知らせぬほど冷酷ではないのでね。」


「ふん、勝手に言うがいい。尾行していたのはお前の手の者だろう、三人もいたぞ。我々をどう思っているかわからんが私を舐めるなよ。」


「元から貴方のことで舐めたことなど一度もありませんよ。しかし他勢力の尾行か、これは厄介な事になったかもしれないね。」


「厄介な事とはなんだ、言え!」


「一人はある議員だろうな、最近お互いのスキャンダル探しに躍起になっていてね。どこからか君たちのことを嗅ぎつけたらしい、それでどうしたものかと悩んでいるのさ。もう一人は王国の偵察員といったところか、一応君たちのことは報告してはいないのだがな。」


「王国の偵察員か、どこの省庁かわからん以上今は下手に手を出さない方がいいな。グレシアム、大丈夫か。」


「――うん、少しは、マシに、なった。」


 最後に溢れた涙を拭き、顔を上げる。決意に満ちた顔、わんわん泣いている中、グレシアムは姉を殺した連邦を許さない、献身的な姉すら王国に渡れば敵になる連邦を絶対に許さないと覚悟を決めたのである。あの時のような無力感は味わいたくない、ならば。


「私を、連邦への復讐のために、必要なことをお願いします。」


 グラッセルは少し口角を上げ、笑みを見せる。この男も復讐対象の一人ではあるが、今はこいつを利用するほか有望な展望が全く持って見えてこないのである。だから考えてる計画があろうがそれも利用してやるつもりであった。


「わかった。明日一日時間をくれないか、学校への編入のための調整とか、戸籍も取らないといけないからね。」


「わかりました。明日一杯までにお願いします。あとしばらくの衣食住についてな――。」


「ああそれは問題ない、寮での生活になるだろうし。学費なども私が払っておこう。」


 短くありがとうございます、と言った後メイドが食堂横の厨房から料理を運んでくる。彼女が運んでくる料理は今の今まで食べていた料理とは明らかに違うものであり、質素なスープや硬い黒パンを齧っていた頃から言えば天上の食事にも等しかった。純白の皿は縁に金が使われており、盛り上がった部分には青と緑で細かな装飾がされている。その盛り下がった部分には白濁色のスープが見え、上にパセリが飾られている。別の皿には小さな骨付き肉が置かれており、芳醇な香りを放つ肉には朱色のソースが掛かっている。その上パンまで籠の中に柔らかな物が沢山入っていて、焼き立ての良い匂いまで鼻に来るものがある。ここまで高級な物は初めてであった。


「これは中々いい料理じゃないか、いい匂いだ。」


「すご、こんな料理初めて。」


「悲しいことだけではあまりに残酷すぎる、今はこれでも食べてゆっくりしたまえ。」


 ミーシャとグレシアムは並べられた物を食べ始めた。まず最初に肉を切って食べることとし、その柔らかな肉を切り裂き、仄かに残る赤身に朱色のソースが掛かる。口元へ運べばそれは甘味と肉のうま味が融合した完璧な物であった。次にスープを口に含めばコクのある乳製品からできた物であり、何度もスプーンで掬っては飲んでいる。最後にパンを食べればそのふかふかした生地に驚き、堪能していた。


「美味しい……これ本当に美味しいよ。」


「それならよかった、君の舌にあったのであればこちらも嬉しい限りだ。」


ミーシャは全く音を立てず食べていたものの、グレシアムはカチャカチャと音を立てながら食べており、時折ミーシャに向かって感想を述べていた。そんな時間もグレシアムが食べ終わるころには終わりを迎えたのだ。


「さて、君たちの今日の寝室は二階に準備している。メーフィス、彼らを。」


「わかりました。ささ、こちらへ。」


 グラッセルの後方にいた執事が案内をしてくれるらしく、入ってきた扉を開ける。だが最後に言っておかなければならないことが一言あった。


「私はあなたちも許しませんから。」


 お前たちも姉殺しに加担した人間なのだから、これぐらい言っても文句はないだろうと考える。


「ああ、その通りだ。だからこうして代償行為をしているのだよ。」


「そうですか、では。」


 執事の案内に従って部屋へ行き今日は制服に着替えて寝ようとするものの、この部屋は小さいながら来客用に品の良い調度品が置かれており、そのせいで若干居心地が悪かった。ミーシャは隣の部屋であり、姉妹たちのいない夜。静かな夜を迎えたのであった。髪を括り、全身でベットに倒れ込む。柔らかベットはグレシアムの身体全体を包み込み、毛布をかぶりこむ。いつもならテレシアやメアリーが寝るまで本を読んであげたり、遊んだりした夜。マリアと一緒に可愛い服の談義をした夜。全てが過去となったのだとこの寂しい夜はグレシアムに告げる。ぽろりと一粒瞼から零れ落ちてゆく。幸せの時間から落ちていって私のように。

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