第7話 着せ替え人形

 グレシアムが去った応接室に一人の男がいた。黒い髪に赤く光る眼、紳士服を着こなす彼の脳内には彼女の要求をどう断るかと、彼女の素性についての疑念が混迷を極めている。かの白銀の英雄ことミコトが彼女の傍付きである理由が全く見えてこなかったのだから無理もない。一度契約の石に戻った後彼女が何ならの事件に出会ってしまい手に入れたとしか今は考えられない。現国王陛下の叔父にあたる銀狼公の所持品がなぜにあの少女に渡ったのか、彼女は一体何者なのかも同時に調べなければならないこの現実に頭を痛めるばかりだ。


 アーセル・グレシアムという女性の素性調査、銀狼公の足取りなどとりあえず調べることについてできる限りまとめ、考えた限りのまずは彼女の素性と銀狼公の足取りこの二点から情報を集めるべきだろう。柔らかいな椅子を立ち上がり、応接室から退出する。


「メーフィス、私は少し出掛ける。何か用がある人が来ればいつものように対応してくれ。」


「わかりましたお坊ちゃま。お気をつけていってらっしゃいませ。」


 執事は深々と頭を下げ、出発するグラッセルを見送るのであった。グラッセルは街を出て中心街から南へいくらか離れたある建物に用があり、通称マーティン探偵屋、懇意にしている探偵屋である。政治的優位に立つためのネタ探しから軍事調査まで幅広く取り扱う探偵業者だ。そんな探偵屋のオーナー、クロウに調べものについて相談をするつもりであった。探偵屋の建物前に到着するものの相も変わらず古臭い石造りの建物であり、他の新しい建物群の中では飛び切り変である。そんな古臭い建物の中へ入るのであった。


 入れば結構今風のお洒落な部屋となる。いつも思うのだが外見にこのセンスは発揮されなかったことに心底残念がる私がいるのであった。店の奥から小柄な中年男性が顔を出してきた。店主のクロウであった。


「おお、これはグラッセル伯爵殿。今日はいかがされましたか、マーティクウル議員の件についてはこちらから連絡するはずですが。」


「いいや、今日は新しい要件できたんだ。少しいいかい。」


 クロウはええ問題ありませんよと受付の椅子に座り、グラッセルも対面の椅子に座る。


「少し頼みたいことがあって、連邦にいた少女アーセル・グレシアムという子供について調べてほしい。出生や父親、母親などの情報を、住所はこちらに書いてある。」


「失礼。はぁあ、マークスベルク出身ですか。その少女について調べるのですね、わかりました。」


「あと銀狼公の足取りも追ってほしい、数年前の失踪後についての情報は何でも。」


「かの銀狼公の足取りですか、これまたなぜこんな厄介事を調べられるのやら。わかりました、こちらは少しお値段が高くなりますがよろしいのでしょうか?」


「構わない、いつもの成功報酬で支払いをするぞ。」


 わかりましたと彼は言い、それを聞いてグラッセルはその場を後にする。銀狼公の足取り、白銀の騎士、グレシアム、多くの謎を含んだ彼女について知らねばならなかった。自身の敏感な政治的嗅覚が何らかの陰謀を隠しているように匂っているのだから、大体私の厭な予想はあたるのだから。


 街は象徴的な風景であった。その姿は大河の流れる様に人々が歩道を歩き、馬車が車道を行き来している。近代化された街並みはそんな中二人は行く当てももなく観光でもしていたのだった。


「ミーシャってこの街に詳しいの?」


「ええ、まあ多少は。改築される前については色々語れるんですけど、こう新しいこの街のことは学んでいる途中ですね。」


「昔のこの街ってどんな感じだったんだろう。覚えてるの?」


「それは間違いなく、以前の街はそれはそれは雑多な街というのが拭えませんでした。道はあちこちにあり、反乱が起きれば小さな道を封鎖して抵抗運動もしていましたかね。」


「へぇ、ここも結構血生臭い街だったんだね。」


「統一後の国民統合事業が終わるまで酷い国でもありましたよ。でも今では王国の民になっている。栄光の街には苦難の歴史在り、ですね。」


 確かにどんな街でもそんな話はよくある話であった。マークスベルクだってその例に漏れず、過去に何度も会戦のあった土地である。連邦に統一され、不安定期を超えて安定期に入り、そして今の土地となっている。向こうで受けた歴史の授業を振り返ることとなる。姉たちはどうしているのだろうか、彼女たちの元へ戻る執念は今だ熱をもって燻っていた。


「マークスベルクはどうなのだ、我が王都は戦乱のない美しい土地であった。お主の生きた土地を教えてくれないか。」


 そんな他愛無い雑談をしつつも、この街の名所を巡っていく。この街は不思議な作りをしており、蝸牛の殻の様な区域の並びをしている。公爵の家はその中で一区に存在しているらしく、その地位の高さもさることながら街の中心に存在いる利便性も相当だろう。ただそう考えてしまうグレシアムの価値観は一般庶民的な感覚であり、公爵から見ればまた別の意味を持つのだ。そんなことを思うことなく、街を散策するのであり、この街には様々な人が見えた。


 靴磨きの少年、新聞売りや土木工事に従事する青年たち、様々な人がここでは肉体を使い働いている。専属の魔術師が魔術を用いて建築していたり、色々な物を作り出していた連邦と比べて非常に劣ったものだと感じざる負えなかった。その認識は彼らだけに対しての認識ではなく、グレシアム自身への認識でもあった。自分は魔術のできない不出来な人間、奴隷にもなれなかった存在だ。それらの生き方を見るたびに自身への責め苦は続き、物見遊山の旅に等しい観光はただただ苦行にも等しい行為でしかなかった。そんな心苦しい環境ではそう楽しめるはずもなく、ただ漠然と時間を過ごすのである。魔術を使えればこんな思いをしなかったのだろうと声なき悲痛な願いにも等しい思いが心を濁らせる。


 それから数分後、心配したミーシャの勧めによって中心街から離れた公園に身を寄せる。鉄の遊具で遊ぶ子供たちを傍目に木製の備え付けられた椅子に二人は座り込み、ぼうっと彼らを眺めていた。


「グレシアム、本当に大丈夫なんですか。具合が悪そうですが。」


 心配する言葉が痛い。ミーシャに頼りっきりで、何にもしてあげられていない自分自身がいる。彼女にとって私はお荷物なのだろうかと考えてしまって、心は何かの代償行為を――。


「ううん、大丈夫。大丈夫だから、ミーシャが困ってる事って何かない?」


 ミーシャはずっとこちらの目を見つめてくる。すると彼女は彼女なり何か感じたのか、あーっと困った風に言い始める。


「今困ってることは、やっぱり可愛い服が欲しいですね。うん、可愛い服探してくれますか!」


「うん!じゃあいこっか。」


 二人は椅子から立ち上がり、公園を後にする。そして街の中心地へと向かうのであった。あれから中心地の商店街へと向かい、数店舗の服を販売している店のそのうちの一つ、なんだか高そうな服が店頭のガラス越しに見える店があった。


「うむ、あそこがよさそうだ。ついて来てくれないか?」


「もーしょうがないなぁ。でも私こういう服装については全くわからないよ。」


「大丈夫だ、理性でわからぬなら感性で理解してしまえばよいのだ。」


 そう言うや否やミーシャは店に入り、遅れてグレシアムも入るのであった。グレシアムは入って想定以上の店の姿にたじろいでしまった。マークスベルクの店にはないような、非日常的な綺麗な店内に模様が入った壁、所々に生け花がされており、壁にはよくわからない画まで飾っている。その上飾っている服はお姫様が着飾るドレスから異国情緒あふれるドレスまで、明らかにグレシアムのような身分が訪れるような場所ではないことは明らかである。グレシアムはそんな高級な店に連れてくるなと心の中で強く思ってしまった。


「久しぶりだなマイヤー!」


 受付に座っていた女性、歳は二十七ぐらいで一般的な女性服を身にまとい、お団子状に括られた黒髪、顔つきも端麗で仄かに赤く光る唇が魅力的であった。そんなマイヤーにミーシャは手を上げ声をかける。声をかけられた本人は面倒臭そうに視線を向けるものの彼女の姿を見るや気だるげな目は輝き、まるで欲しいものを目の前にしたようになり堪らず立ち上がる。


「おお、久しぶりじゃないか!うわ、しかも何だいこの服、どこかの潜入偵察でもしてきたのか?」


「まあそんなことだ、君も壮健でなりよりだ。服を少し見繕ってほしいんだがいいか?」


「ああなんだい、それなら問題ないさ。お前が好きそうな物はいくつか用意している。で、この子供は誰だい、素材としては中々良い感じだけど田舎臭いね。」


「田舎臭いってひどくないですか。っと私はグレシアムです。よろしくお願いします。」


 田舎臭いというマークスベルクを非難するような言葉に買い言葉をかけてしまったものの、深々と一礼する。どんな人にでも礼節は大切だから。


「グレシアムは今の主だ。彼女の分も用意してもらえると助かる。」


「そうかい、少し測るよ。」


 マイヤーは腰に付けた道具入れから定規を取り出し、凄まじい速度でグレシアムの腕の長さ、腰回り、バストなど一通り測り店の奥へと小走りで消えていった。まあ態度は酷い人であるが、仕事への情熱が人一倍強いことは容易に理解はできる。


「グレシアム、悪いね。あいつは元々へつらうことも、妥協することも嫌いな奴でな。とんでもなく態度が悪い。あんな奴だが許してやってくれ。」


 ミーシャは呆れにも等しい諦めの顔でこちらに視線を向け、その眼には安心の色が見える。彼女にとっても心地の良い空間なのだろう。


「そりゃあ最初は態度悪いなって感じたけど、仕事に対して人一倍真剣なのがわかるよ。そんなマイヤー、何だかんだ好きだよ。」


「私もアイツのことが好きだ。上の立場相手でも屈せずに崩した態度が嬉しかったな……。」


「へー、結構良いところの出なんだね。知らなかった。」


「そうですね、王家の直系の第一王女でしたからね。確か今の系列はあの貧弱坊やの系列だっけ、ああ貧弱坊やってのは私の三つ下の弟ね。」


「は?」


 あまりに衝撃的な事実を聞き興味の顔は露と消え、目を見張り驚きの顔へと変貌する。さらっと述べる彼女の顔は平然としており、何か変なことを言ったかと言わんばかりに困っている。


「ミーシャって王族だったの?!」


「ええそうですね、まあ大昔の話ですから今では王族に連なるもの程度ですよ。」


「王族に連なるもの程度って、自分の立ち位置わかってるの?」


「ええ!好き勝手にできる素晴らしい身分です。」


「貴方って結構王族っぽさがないって言われない?」


「えっ、王族らしいとよく言われますがね。」


 それはないだろうと思いながらも、そんな話をしている間にマイヤーが店の奥からいくつかの服をもって来る。店頭に並んでいる煌びやかな服とは違い、生地はそれなりの物を使いつつも見たことのない装飾がなされた服装であった。


「またせたね、あんたにはいつもの新作、こっちの子にはこれを。」


「ああすまない、助かるよ。」


 ミーシャは新作の服を貰い、フリルの多くついたシックな黒色の洋服であった。グレシアムに渡されたのは可愛らしい模様が刺繍された青色のスカートと白いシャツに黒い上着であった。この構成は可愛さよりも、カッコよさが勝つような気がするが。


「着替えるなら裏の作業場を使いな、いまは誰もいないからな。」


「恩に着る。さあ行こうかグレシアム。」


「うーん、見たことのない感じ。こっちではこんなのが流行りなのかな。」


 王国での流行りに戸惑いながらも、作業場の奥へと入っていく。作業場に入れば各所に生地が置いてあり、中央の大きなテーブルには裁断された生地や寸法を書き記した紙、大きな鋏など雑多に置かれており奥にはミシン台が置かれている。ミシン台は連邦の物より小型で手回し式であった。その中で何も置かれていないテーブルに貰った服を置き、連邦の着慣れた制服を脱ぎ始め、脱いでから気づいたのだが相当汗臭いのである。そういえば連邦での騒ぎから一切着替えなどなかったのだから。そう考えながら脱いだ服を脇に置き、白いシャツを着て黒いボタンを穴に通す。綺麗なシャツの触り心地は最高であり、絹の寝間着を触ったようで今まで着たものよりも素晴らしい。膝まで丈のあるスカートを穿き、上着の袖を通す。


「おお、かなりカッコいいな。うーむ、そちらも欲しくなってしまう。」


 全身を舐め回すように眺めるミーシャ、そんな彼女を見ていると若干こそばゆい気持ちが心の片隅で芽生えてしまう。あんまりじろじろ見ないでほしいところだ。


「そうかな、んーなんだか不思議な感覚。本当に王国でこんなのが流行ってるの?」


「まあ、こっちの都市部では多いんじゃないか。なあマイヤー!」


「ん、そうだね。若い貴族様や中流家庭にはようけ売れてるね。一般庶民に降るにはまだまだ時間が必要さ。」


 その言葉を聞き耳を疑った。こんな服装がそれなりの家に売れているのだと、思考が凝り固まった貴族層にも、貴族になりたい中流層にも需要があることに驚いてしまった。結構服装については進んでいる国なのだろう。


「しかし結構イケてるじゃないかい、特にお嬢は中々いいじゃないか!その白い髪、綺麗な分よく映えるじゃない、やっぱり私の目に間違いはなかった!」


「だろう、私もこの流れるような白い髪はグレシアムのいい点の一つだ。な、どうだいこの子を使ってプロモーションをするのは、若い貴族たちに売れるぞ。」


 マイヤーは興奮気味にグレシアムの髪を触り始め、良いと耳元で零す。彼女の髪の触る手は柔らかで、温かなものを感じた。対応はあんなにもぶっきらぼうなのに、大切な物を触るかの様な指使いには彼女の一面を見た気分になる。


 それからは大変なこととなったのである。髪のセットを色々変えてせっかく着た服も別の服に変えらる。異国情緒あふれる刺繍に玉虫の羽が存分に使われた純白のドレス、脱コルセットとかいうゆったりとした服まで様々な物を着せられたのだ。その上彼女の夫が経営する写真店で撮影までされたのである。ミーシャの為の買い物のはずが私の展示会になることは全くもって想定外でもあった。


「お前はどう思う、私的にはあの純白のドレスが似合うよな。」


「いや、私はさっきのゆるりとしたラフな衣装の方が好きだな。」


 二人は私のことを人形のように扱い、それぞれの価値観で討論をしている。とりあえず近くの椅子に腰を掛け、休憩をすることとする。グレシアムにとって初めての体験で、何よりここまでしきりに褒められたことも初である。この披露会での疲れはあるものの、心はとても温かで、こんなにも嬉しい気持ちは初めてのことだ。披露会ももう一度やるときは少し勇気をだして、やってみたくなった。


「っと、そろそろあの執事の言った時間だな。グレシアム……は着替えてからだな。マイヤー、私たちは少し用事があってな、もう出ることとするよ。」


「そうかい、ならさっさと行きな。私は次の作業予定ができたんだからね。」


「あああと、グレシアムだっけ。あんたたまにこっちに来な。金に困ってるんだろ、うちに来れば使ってやらんことないから。中々いい素材ってことだぞ。」


「えっ、あっありがとうございます!でも私でもいいんでしょうか、他の人の方がいいのでは。」


 彼女の呼びかけには心から賛同はできなかった。グレシアム自身、自分の容姿はお世辞にも良くないと考えていた、そんな人物が着たって広告としては全くダメであろう。悪いけれど断ろうと考える。


「お前!その一言だけは絶対言うな、その一言はお前の価値を下げるだけだ!」


 マイヤーの怒号が急に飛び出してくる。顔も突如として真っ赤になり、赤鬼の形相である。そんな彼女を見て自分が失言をしてしまったのだと気づく。


「お前は美しい、悔しいが私より美しいと思っている。その青い目、艶かかな肌、流れる砂粒のような美しい髪、お前は素晴らしい。だからそんなことを言うな、さっきの言葉は私自身とお前を馬鹿にしているのだと理解しろ。だからそんなことは言うんじゃない。」


 赤鬼の形相から一転、最後の言葉を発する時には最初の対応から考えられないほど優し気な顔つきとなっていた。その以外な一面に驚きと、自分の失言に対して申し訳なさがいっぱいになる。


「ごめんなさい、すみませんでした。」


 深々と頭を下げ、できうる限りの誠意をもって謝罪をする。その姿を見てかマイヤーはまあいいよ、と最初出会った時のようにぶっきらぼうに返してきた。その変化が今のグレシアムにとっては酷く心に響く、せっかく心を震わせ教えてくれた相手にそんな態度にさせてしまった自己を深く深く、悔いて悔いきれないほどの感情が心の内を支配していく。


 マイヤーは奥の作業場へと戻り、店内にはミーシャとグレシアムのみが残っている。ミーシャは愕きで困った顔をしていたが初めて見る顔つきである。


「彼奴があそこまで怒るのは珍しいな。グレシアムのことを相当気に入っていたのだろうか、難しい限りだな。」


「私、受けていればよかったのかな。」


「グレシアムが受けていたところでいつかは衝突事故は起きたさ、それが今かこの先かでしかなかったのだろう。さて今日は退散しよう、明日の分の服は貰えたからな。」


 グレシアムはただどうすればよかったのかと思い込み、ただ考えの津波に身を任せてしまった。それが良くないことだとわかっているものの、そうするのが当たり前だから……。

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