第4話 娼婦落ち

 将校も、他の兵士たちも、グレシアム本人ですら驚いている。そう、そこには一人の女性が立っているのだから。その容姿は端麗かつ特徴的な泣きほくろが左目の下にある。髪は漆黒の如く黒く、全ての光を吸収せんばかりであり、目の左側には三つ編みのおさげがある。服装も私たちの一般的な布服ではなく、神々しくもカンテラの光を反射する白銀のフルプレートメイルに大きな黒い鷲が剣と盾をもち、それは象徴的な物として描かれている。かの神話、王国の救世主伝説の一人であろう。その姿をどこかで。


「っと、お久しぶりですグラシアム様。目覚める日を楽しみに待っておりました。」


 白銀の騎士はにっこりとこちらに向き微笑みかける。その笑みには不思議と懐かしさと、心温まるものがあった。過去にも同じようなことがあったのだろうか、とりあえずなんだか安心した。その一瞬気が休まった瞬間に目も前が常闇となり、起きなきゃだめだとわかっていても瞼は言うことを聞かなかった。一方将校は諦観の眼差しからうって変わり、愕きと感嘆をもって白銀の騎士を眺めていた。


「少佐殿、これはちと不味いですよ。人型の使役魔術なんて伝説でしか聞いたことがないし、何より――。」


「黙れ、下手に動くな。やられるのはこちらだぞ。くそ、イーラ殿下さえおられれば。」


「ないものねだりしたってどうにもなんないっすよぉ。」


 少佐と呼ばれ将校はリボルバーをいつでも引ける準備はあるものの、白銀の騎士の剣先が喉元をいつでも貫ける位置であった。お互いに動けない状況であったとしても、確実に先手を取れる一手を探りあっている。もし騎士の剣が将校の喉を突けばその反動で引き金を引きグレシアムに当たってしまう。しかし逆も然りであった、将校が引き金を引けば剣先が喉を割ることは明白の事実であった。召喚は本来であれば短期間のみの契約だろう。しかし伝説にも近い存在がそんな契約を結ぶのだろうか、力の代償があるとしても無制限契約とするはずだ。ならば時間を稼ぐは愚の骨頂、その上このグレシアムと呼ばれた対象物の一人を殺傷するのも厳禁である。余りの無理難題に内心イラつきと共にどう切り抜けるかと心踊る自分もいた。ならば一つここは交渉を持ち掛けるしかなかろう。


「我らが英雄、伝説の騎士よ、交渉がある。少しいいか?」


「何でしょうか、我が子孫よ。交渉内容によってはお前の首切り裂いてもよいのだぞ。」


「それは恐ろしい、けれども貴方も大事な子を喪いますよ。」


「そうだな、それは私とて避けたいことだ。」


 彼女がグレシアムという少女を救うために交渉しているという前提が見えてきた。これなら何とか優位に立てる。時間と共に彼女の血は流れゆき、小さな湖となっているのだから。


「貴方はグレシアムという少女救いたい、そうですね?」


「ああ、そうだ。」


「ならば助けることはできますよ、ただその身柄はこちらで確保させてもらうことになりますが。」


「ならん、助かるとしてこの子は一体どうなるのだ。王国に連れ去れ、実験対象になるのが関の山だろう。」


 ならばここで、一手打つ!


「いいえ、このマルトリッヒ公爵の名において保護する間そのようなことはなされないと確約しましょう。」


 まあいずれ継ぐはずの公爵位を前借したとしても父君も文句は言わないだろう。


「其方マルトリッヒ公爵であったか、剛腕のマルトリッヒ公の子孫とはあ奴も嬉しかろうな。と余韻に浸っている場面ではないか、お主わかっていっておろう。保護する間とぬかしよって、そのかっ首引き裂いてもよいのだな!」


 確実に取れる手が減ってきている。しかしこちらも即興で思いつく手札はなんだ、どうするべきなのか全力で脳内で構築する。この作戦では目標物の確保のみが主目的であり、確保すればいい。そして民間人の取り扱いについては特に言及なしだったよな。あとのことはどうにかなるさ。


「ならば、ならば、俺はお前たちを助けてやってもいい。これは少佐ではなく、公爵の俺でもなく、今の俺が決めた。お前たちは今から目標物ではなく、俺たちに惚れた娼婦になれ!」


 一同が少佐の顔を見ている。どの顔も冷ややかなものであり、何を言っているんだといわんばかりであった。それもそうであろう、命乞いを聞いてやるから娼婦になれなんて言えばそれはそうである。公爵としての品位を疑われるのも無理はなかった。


「はぁあああ!?なにアホいってるんだ、そんぐらいならお前の首切り落としてやるわ。」


「少佐殿、そんな趣味が……。」


「違う、誤解だ!目標は特別な力を持つ少女たちの確保であり、お前たちもその一例になっている。だが幸いにも人型だ、服装さえ変えればそうバレはしないだろう。そこで俺のお気に入りの娼婦ってことで治療させて、ごり押しで本国の治療も受けさせる。これが俺の案だ。」


 白銀の騎士もその提案にはさすがに困っていた。今助かる道は治療できる人間が必要だが、現在のマークスベルクには治療できる人数も足りていないだろうし、満足な治療を受けられるかすら不明慮である。王国にいた頃の知識も一世紀ほど古いものであったが、それなりに進歩しているだろう。


「わかった、その案に乗ろう。娼婦扱いには少々腹が立つがな。」


 喉元の剣先は下げられ、鞘に納めらる。そうして彼は大きく嘆息交じりの大きなため息を吐いた。やった、成し遂げたのだ。このマーティン・グラッセルは交渉によって対象物を確保し、本国に持ち帰ることが叶う。心の中の彼は今の今まで得たことのない興奮に身を震わせていた。こうして難所を何度もくぐり抜ける快感は得難き気持ちであり、軍に所属する意味でもあった。こんな気持ちは父に内緒に兄と銃器工場を設立した時以来である。


「当座は娼婦になってもらう以上その鎧を脱いでもらうことになる。いいですか?」


「何を今さら、服などすぐにも着替えられるさ。」


 彼女は白銀の鎧から通常の服装へと変化する。鎧は光として消え、華麗な服装が見て取れた。スカートの端々にはフリルや花柄が刺繍されていたり手間暇が大きくかかったものだろう代物であった、その可憐な姿でありながら力強く着こなす彼女を褒めるには言葉には尽くしがたい。しかしひと昔の皇族が着るような外着であり、とても娼婦には見えなかった。そして問題がもう一つあった、服装の趣味があまりに古すぎる恰好である点であった。昨今では流行り廃りが加速しているものの、このような過去の自体の服装自体そうそうお目にかかれないものであった。考古学的には何が何でも欲しい代物だろうなと思ってしまう。


「すげえな、なあ少佐殿。ありゃあ本当に何者なんですかい。」


「お前は知らなくていいことだ、あと近くの家からこいつに似合いそうな服でも取ってきてくれ。これじゃあ地元の令嬢を捕まえてきたみたいじゃないか。」


「まあ実際地元じゃご令嬢以上の身分だしな。」


 えっへんと胸を張り、自身の出生を匂わせる言葉をいうものの非常識っぷりには頭を痛めるばかりであった。




「むう、なぜあの私の一番かわいい服装が貶されるのか全くお前らの神経がわからんぞ。可愛いは正義だ。」


 近場の屋敷から娘の粗末な衣装を一つもらい受け、それを彼女が身に着けていたものの、手入れされた髪や日焼けの少ない肌からわかる通り、それでも娼婦には若干見えなかった。彼女はグレシアムの腿に応急手当を行い、一応の止血をしている。


「可愛い状態では私が地元のご令嬢を攫ってきてるようにみえるじゃないか、それに家の問題になったらあまりにややこしいからさ。」


「ふーん、女漁りはいいんだ。」


 彼女はグレシアムを担ぎ上げ、どこへ行くか尋ねてくる。


「大尉、彼女を後方の司令部へ送れ、准将閣下には見つかるなよ。」


「了解、できるだけ気を付けます。そちらもご無事で!」


 そういうと馬に跨った豚こと大尉がこちらですと先導している。本来であれば敵対しているはずなのに彼の後ろで歩いている様子はなんとも不思議な空間であった。


「そういえばなんてお呼びすればよろしいのでしょうか。英雄様?」


「そうだな、今はミーシャと呼んでくれ。素性は隠しておきたいからな。」


「ミーシャ、ご自身を野犬とは、何か意味ありげですな。」


 豚の顔に笑みとも言えない不気味な顔つきになる。こいつは食えない野郎だと肌で感じ取っていたもののその疑念が確信へと変わっていた。


「勝手にしろ、お前たちは私の守るべき子孫であるが、今の主であり守るべき者はこの子だ。いらぬ真似をすれば、」


「おお怖い怖い、そんなことは致しませんよ。ただ気になるのです。なぜ人型の召喚をこの女の子が行ったのかが。」


「知らんな、探るならその身体肉屋にでも卸売してやるぞ。」


「むう、中々に気の強いお方だ。私そういうのがフェチでしてねぇ。」


「だ ま れ、即刻馬から降りろ、ミンチにしてやる。」


 豚は高らかに笑い、何事もなさそうに乗馬し続けている。ミーシャとの会話の中、これらの詮索は無理だと判断したのか一向に喋らなくなった。ある意味嬉しいことでもある。この豚が喋るごとに飛んでくる唾がうっとおしいこと甚だしいのだから。


 そんな中で森の中を歩き続ける、暗い森で襲撃か。過去の戦いをふと思い出してしまった。唄としてのこる伝説に謳われるあの一場面、暗い森の中彼の亡骸を持ち上げ天に向かって絶叫にも近い慟哭をぶつけた女性の物語。まああの頃は今と比べると心も身体も随分と成長して、思い返してもそうそう大事はない。また守れたのだな、と彼女の白銀の髪を撫でる。その姿は聖母の様に優しかった。




 暗い森を歩いて十分もあっただろうか場所にやっと到着した。そこは一面負傷者を見るためのテントが敷き詰められ、テント内からは泣き叫ぶ声が聞こえる。


「ここは臨時病院か。」


「そうですね、まあこっちの用語では野戦病院っていいましてね。こちらへ。」


 大尉は医療班の青いエプロンをした兵士の一人に声を掛け、回復魔術が受けられないか相談をしていた。


「しかし、回復魔術をただの娼婦に受けさせるなんてどうかしてますよ。」


「そこをなんとか、ここで公爵への恩を売れるだろ?それで後で取り入ればいい話よ、俺からも口添えしてやるからな。」


「だが上官にバレたらどうするんだ、高級な――。」


「まあまあ、そういわずに。」


 彼の裾の下に小さな小袋を入れるのが見える。重さとしてはそこまで重くはないものの、何かが入った袋を兵士に渡した、つまり賄賂であった。


「むぅ、わかった。ご婦人方こちらへ。」 


 純白の医療テントの中に通され、けが人をテーブルの上に寝かせるように言われる。ミーシャはその通りにグレシアムを寝かせ、怪我の状態について説明する。


「そうか、腿に銃弾を。それに数分間か。ここでの治療は難しいから本国に行く形になるだろうが、できるだけはやっておこう。」


 と札の様な物をポケットから出し、それを銃弾が貫通した腿に貼り付ける。魔術による治療などは期待していなかったものの、最低限の魔術的治療を受けれるだけでも幸いであろう。


「最低限の治療だからあまり無理をしないように。あと一つ、ここからさっさと離れた方がいいよ。」


「一応逃げる当てがないので、ついてこいと言われまして。」


「あの豚にか?」


「いいえ、少佐さんにです。とても良いお人ですね、彼。」


 彼はあーと何か思い当たることがあるのか、言葉を濁す。


「あんまりお勧めはしないよ、彼おかしいとこあるからそこだけは注意しなよ。」


 要領の得ない忠告にありがとうと返事をするものの、気になる話ではあった。確かにあの時見せた顔には恍惚とした表情の裏では何を考えていたのだろうか、今となっては聞く方法もなかった。


 医療テントを出た後、豚こと大尉が入口で待っていた。


「治療は終わったらしいですね。うん、血色も若干良くなっているようで。」


「それで、私たちはどうすればいいんだ。王国に向かうのだろう。」


「ええ、ですから負傷兵の乗る馬車に乗ってもらい、一緒に脱出しますので。」


 私は思ってしまう、本当にこれでよかったのかと。私は彼との盟約も、彼らとの約束も果たしたのだが不安が立ち込めていた。この子を、あの方の御子をこのような彼の野望に使ってしまうことに対して強く後悔と慚愧に耐えない私がある。


 神は許すことはなされないだろうが、殿下は笑って許すのだろうか。ただ昔の様に何も考えずに正義に邁進していた私を懐かしみ、当時の心持ちになれればマシなのだろうなと考えてしまった。

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