第5話 フールという男

「そうあれと願われた人間はそうあることを望むもの。期待には応えたいと思うのが、私達という存在……と。

 ──ふむ、そうだといいな」


 中央ギルド『塔』最上階。

 青の装いの愚かな人は淡白にそう口にした。

 見つめるその、眼下に広がる街の星空。彼は部屋の中でただ一人、夜深くになるにつれて輝くさまをぼうとみていた。

 彼にとって静寂の時間は心休めるにはうってつけで、緊張をほぐすのにも気を紛らわすのにもちょうどいい。


「だが、ジアンナ。尊き闇のジアンナよ。君は一体、誰に応えるというんだろうね」


 そんな独り言。

 当然誰が答える言葉でもない。あるいはその人はここにはいない。

 だがタイミングよく後ろの扉が開いて、二人の影が部屋へと入ってくる。

 テンテリスとアルテ。彼らは陽の沈み来た現在になって、つい先程戻ってきたらしい。


「戻った」

「戻りました」


 疲労から二人はあまり言葉を連ねることなく、椅子に……とはいかなかった。

 なんと部屋に入るなり棚に隠した秘蔵の茶葉を暴き出した。一直線に棚へと向かって中のカップを手際よくどかし、二重壁の奥の茶葉を当然のように取り出したのである。

 終始無言のその様子にフールは思わず困惑したが、態度の理由は当然ながら自身の責任であると結論付けた。彼にはその自覚があったから。

 だから止めもせず見届け、フールが気が付いたころには、彼らはティーポッドの中に備え付けの湯沸かし器からお湯を注いだところだった。

 

「あーあっ……!!」

「ふんっ」


 あからさまに機嫌の悪さを声で示した。そして二人揃って、ドスンと音を立てて深々とソファへと腰かけたのである。


「……お帰り二人とも。マキナには会えたかな?」

 

 怒りの理由に心当たりのあるフールは、それでもわざとらしく二人へ話す。

 

「会えたよ、アンタの思惑通り」


 答えたのはテンテリス。

 装飾美麗な高級ティーカップを片手に、足を組んでふてぶてしくフールの問いかけに応えた。

 

「そうか、それは済まなかったね。命の危機で君たちも疲れただろう。有給をとってしばらく休むといい」

 

 そう言って、二人の前のソファへと腰かけたフール。 

 すまないと口にしながらも、その顔はあまりにも普通で何の感情もない。口はかろうじて表情と呼べる動きを見せているものの、申し訳なさからのものとは思えない。つまり微笑と呼ぶその顔は、穏やかで落ち着きを払った平静そのものである。

 そしてテンテリスがフールの作り笑いを長年の経験から看破したのは、毎度の事だが眼の虚無を隠せていなかったからだ。


「要らねぇよ、そういう気遣いの素振りは。

 どうせ生きて返ってくるまでがアンタの計画の内ってんだろ? 偶然と奇跡が重なって運良く俺たちが今ここにいるわけじゃあねぇってことぐらい、その眼を見れば分かんだよ」

「おや。そうか、私の眼には何が映っているのか、分かると?」

「少なくとも、まるで光の無いアンタ眼には、俺たちは映っちゃいねぇな」


 はははと、フールは乾いた笑いする。

 そしてその通りと言わんばかりに、テンテリスの言葉に頷いた。


「正しいね。君の考えは正しいよ。私はその先を見据えている。

 驚いた。長い付き合いになれば、たとえ私でも言わずとも理解する関係が築けるようだね」

「そうだな。嬉しくもないが。

 ──で、結局のアンタの目的は何だよ?」

「それは分からないのかい?」

「分かんねぇよ。回りくどく、わざわざ俺達に『森の幽鬼』の護衛をさせて、マキナと俺達を正面から衝突させたんだぞ。そんなことをする意味がどこにあるってんだ?

 ……それに俺とアルテ、セクレントンのトップが私兵を使ってコソコソ良からぬことを企んでるときた! 陰謀、詭謀に謀略、暗躍……そんな奴の頭の中は、理解しないほうが健全ってもんだろうが」

「ですね。本当です。不健全と無礼を承知で頭の中を覗いても、意図するところは全く理解しがたいですよ。なんですかその思考の散らばりよう。一と二の間に三と四が混じってるみたいに、順番も繋がりも滅茶苦茶じゃないですか! 

 大体何ですかこの”国”って。結論が意味不明ですよ」

「アルテでも分からないってのか。おいフール、アンタ実は何も考えてないとかないよな?」

 

 まさかと、フールは首を振る。 


「だがアルテが分からないというのは、少々意外というか、かなり驚いた。頭の中を覗くより、より長い時間を過ごした方が上回るとは。

 ふむ。私のことを君に頼んで、それ以外をテンテリスに任せるつもりでいたのだが、まだ時間がかかってしまうようだね」

「塔長フール。私はここに来てまだ三ヶ月です。そしてあなたとの付き合いも同じく三ヶ月。短く浅く、そしてここまで裏切られた私が、なのに今更自分の答えに自信を持てるとお思いですか?」

「それも、そうかな。ははは」

「ええ、です。ですよ! そして右も左も分からない、ただの受付嬢だった私をここに引っ張り出してすぐさまこれです。いくら私が人の顔色を窺うのが得意でも、注意すべきことは伝えるですとか、それくらいの当然はあるべきだったでしょう?」

「そうだね。耳の痛い話だ。私は君に反論ができない。

 しかしアルテ君。当然あるべきことをしないのは、私が君の上に立つ以上これからも続くやり口だ。そして、それによってもたらされる結果こそ、私が求めるものだ」

「──う。ですか。です、か……。

 はあ、どうして私こんな人の下についちゃってるんでしょうか……」 


 か細い声でそう言うと、彼女は湯気を立てるカップにふうと息をかけた。

 じんわりと温かい空気は抗うことなく揺れて消えて……彼女はその白が、流されるままにここに至ってしまった自らに似ているように思えた。

 しかしそんな意気消沈のアルテを前にしたためか、フールは初めて、”何故”をほんの少しだけであったが、口にした。


「まあ。つまり塩梅だ。匙加減だよ。

 伝える企ての内容は断片的なければ、私の計画は成功することが無い」


 ……口にしたはいいが、いいのだが。およそ上に立つ人間が口にすべきではない言葉をフールは言った。そして最悪なことに説明した”何故”は”何故”を呼ぶ代物だった。

 それを聞いてテンテリスは呆れたとばかりに大きくため息をつくと、カップの紅茶の残りを飲み干して、深く座った体を起こした。


「そんな企みは止めちまえ、と。ちっ、できれば言いたいところだが……ここまで危ない綱渡りさせられて、今更それが全部パアにされる方が腹が立つってもんだ。イラつくことにな。

 だから。アンタのそれが何のためのものかは知らねぇが、必ず成功させろよ」

「それはもちろん。ここまでして結果を残さないのは、愚かではなくただの阿呆だ」

「じゃあいい加減教えろよ。『森の幽鬼』に同行して調査──ってのは、嘘だってんだろ。もう終わったんだ、その疑問くらいすっきりさせてもらってもいいだろ。

 何のために俺たちは、マキナの敵として鉢合わせる羽目になったんだ?」

「いや。テンテリス、それは嘘であり本当だ。要するに本来の目的でもあり、真の目的を呼ぶ口実ということだ」


 返答に思わず眼をしかめたテンテリス。

 何を言っているのか理解できず、彼はアルテの方に顔を向けたが、同様に困惑は免れなかったようである。

 アルテは口をぽかんと開けて、待ってください、と話す。彼女はつまりはどういう意味かとフールへ尋ねた。


「……? 言葉がやはり滅茶苦茶では、フール? 

 いえまあ、いいですけど。では、その真の目的とは?」 

「それはね──」

「それは?」

「秘密だ」


 窓の外を眺めたまま、振り返ることなくフールは言った。

 月明かりが彼を照らす部屋の中、その姿を二人は見ているだけ。

 だがテンテリスの鋭い眼光は殺意のこもったもののようで、獲物をしとめる狩人の瞳。それを横目にちらりと確認したアルテは、思わず緊張する。 


「……っ」

「……」


 しばらくの静寂の後。

 テンテリスは片手に持った高そうな金の飾りつけのなされた、まるで飴細工のように繊細に扱うべきティーカップを、おもむろに机に放り投げた。

 しかし放棄は主従ではなく説得。机の上のカップは傷一つなくそこにケロリと存在していた。彼はそして、そうかよと意外と簡単に諦めを口にしたのだ。

 触れれば爆発するかのような空気感の中、意外にもあっさりと状態は収束にむかったために、どっと力の抜けたアルテ。

 彼女は伸ばした背筋をクタリと曲げて、”二人とも、争いごとは止めましょう”と。火が再び勢いを取り戻すことが無いように、同意を口にする。


 ……とはいえ、彼女だって説明が欲しかったのは事実である。

 だからアルテが口にした言葉というのは、長い付き合いのテンテリスがそういうのならばと、右へ倣えという思想の下。短い付き合いの自分が口を割らせることなどできはしない、そんな思い上りは愚かだろうと考えたからだった。


「そうか。そうだね。アルテ君の言う通り、我々での争いは止めておこうね。

 テンテリス、潔いのは私の部下に必要な素養の一つ。良い判断だ」

「止めとけよその言い方は。諦めた心に火が付きかねないぜ」

「そうかな。では油を注ごう」

「っ、お前ってやつは……」


 もしかしたら私の上司は人を怒らせる天才なのかもしれない。

 アルテは給料につられて故郷を出てしまった日のことを、今日初めて真面目に後悔した。

 受付嬢にさえならなければ、このふざけた人間が上司になることは無かったのだから。


「……二週間後、四国会議が始まる。ここセクレントンでね」

「四国会議……? んだそりゃ?」


 そう言って首を傾げたテンテリス。

 反対にアルテは、知っていますと、空のカップを片づけながら彼女は話した。


「四国会議は、聖王国・そのトップがここセクレントンで一堂に会し、経済や政治をはじめとした、各国の関係の今後を話し合う会議ですね。

 魔国の王と紅国の王そして機械帝国の皇帝──いえ、今は管理者ですかね。あと、今年は聖都から聖女が来るそうです」

「そう。今年は例年と違って全員が参加することになっている。

 より深く決定的な議論が、避けようもなく二週間後には交わされるだろうね」 

「へぇ、大層重要な会議じゃねぇか。つまらなそうだが、大事らしい」

「ですね。まあ我々は街ですから。冒険者が警備のために駆り出される忙しい日、くらいの認識でいましょう。発言はセクレントンの立ち位置を危うくしかねませんからね。

 そしてそうであれば、彼らも安易に領有を主張し合って争いを起こそうとは考えないでしょう。今の曖昧な状況は、この大陸における国々とセクレントンの関係性の停滞を招いてはいますが、それでも恩恵があること──あ、……」

「ん、アルテ?」

「いえなんでも、……ない、無いでほしいです。けど……」

「? まあいい。んで、その会議とやらが俺たちに何の関係がある? 警備ってんならいいが、もしお偉い方のいざこざに首を突っ込むってんなら話は別だぜ。理不尽がこっちに回りかねねぇ案件だ。

 悪ぃがそう言う話だってんなら有給を申請するぞ」

「回りくどい話でもない。もっと直接的なことだとも」


 ──その言葉は、下手をすればこれまでの常識がすべて覆ることになるモノであった。

 恐ろしく、それでいて決意を感じるざるを得ない言葉。新たな時代の幕開けを意味する、そんな未来のお話。

 希望に満ち溢れる人もいる。あるいは騒乱の予感に身を震わす恐怖を感じる人もいるかもしれない。その言葉はそういうたぐいのものだった。

 だが彼は違う。言った本人は特別を纏わすことなく、書かれた文字を読むように、当たり前を当然に音にした。

 ただ普通のことのようにやはり淡々と、なんてことないことだという態度のまま、彼は口にしたのだ。


「私はそこで、国の建国を宣言するつもりだ」

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