第4話 呪いの人形師
「なんだ、女二人だけか? 囲まれていると知らずにノコノコとそんな調子とは……。
その危機感の無さ。さすがは『磨き上げた一枚の銅羽』というべきか」
下卑た声色で嘲笑う。あるいは軽蔑を深く深くこめたそんな言葉とともに、二人の前に仁王立つ、闇に溶け込む装いの男が一人。この暗闇のせいもあってか、その顔はひどく青ざめていた。
そして。ガサガサと音を立てて飛び出す、人の形をした真っ白が無数に。
群れなすそれらは木々の間から。およそ生気を感じさせない無機質な顔つきの面々は、顔色だけで言えば男に似ている。
ただしむき出しの敵意だけはどす黒く露わになっていて、無表情ながら明確に感じさせる不思議があった。
つまりそんな集団に、途端に二人は躍り出た影に取り囲まれたのだ。
背後はいつの間にか道幅いっぱいに、隙間なく所狭しと木々が生え茂っていた。馬車に残った二人との分断である。
前も後ろも右も左も行く手無し。シャーロット達はどこにも逃げ道が無くなっている。
「アハハハハッ!! あわれあわれの無様な反応!!
身の程知らずは二人もいたのね!」
──その不安を煽るようにケタケタと笑い声が響く。
甲高い声の主は白の目立った服で、黄色い花の髪飾りをつけた女。彼女は顔色の悪い男に引っ付きながら、マキナを指さした。
「あはッ! アンタがマキナね?! あーマキナ、マキナ……。偽物の金羽の証明に、本物の金羽の尻拭いをさせられに来たのね。アンタはようやく見限られたのねカワイソウニ。
ねぇビクター様。あの哀れな女、いっそ売り飛ばして悲惨な目にあわせてあげましょう。女優上がりの鼻持ちならないこの女に、せめて出来うる限りの屈辱をあわせてあげましょう?」
「──フハハ。ああそうだとも、そうだな。いい考えじゃないかフラン。
ああ!! やはり君は素晴らしい。僕も今、そう思っていた所だ」
「ええ、ええ!! ビクター様。だってそうでしょう?」
「「嘘つきにはお似合いの末路だ!!」」
手を取り合って二人はそう言った。
楽しげな雰囲気は殺気立つ人形に囲まれる状況にしては異常で異様。そのためにシャーロットは、二人の会話すべてに耳を傾けられるほどの余裕は無く、それどころではなかった。
ひしひしと感じる死の予感は彼には覚えがあって、周りの状況はその予感を現実のものにしかねない。彼はそれで頭がいっぱいだった。
『森の幽鬼』。その正体は、ビクター様と呼ばれた顔色の悪い男と一人の女。加えて周りを取り囲む、少なくともシャーロットが現時点で判断する限りでは、それらは意志無き人形達であった。
白の人形達。その数合わせて、ざっと10人以上。
手には剣、弓、杖をそれぞれ持っていて、全身白塗りの人形達はそもそも顔など持ち合わせてはいなかった。
「……森も人も人形も急に……。
さっきまで何も──見えなかったのに……」
これが現代の魔法。シャーロットの知らない魔法。
森のざわめきは獲物を前にした盗賊の舌なめずりと、ギィギィと不気味で不快な駆動音。
シャーロットは目の前に現れるまでその真実を知ることはなく、直面した今になってようやく隠れ潜んでいた者達を知った。
「ガ、ガ、……ィーギ、ギギギ……」
ひときわ激しい金切り声。人形の一体が激しくその身を震わせると、絞り出し、漏れ出たような必死な声は、絶叫のように鳴り響いた。
つんざくそれは竜の威厳を示す咆哮とはわけが違う、怨念無念の怨嗟の声。あらゆるを蝕む呪いのよう。
「ひっ……!」
悪意あてられ、背筋が凍り付く。恐れがシャーロットを包み込む。
思わず一歩後ずさりした彼の中にある感情は、”ただただ『怖い』”だけ。
一度死んだ彼は、もう死ぬことは怖くないと思っていたのに。
竜に直面した彼は、もう大抵のことには驚かないし、怖がることは無いと思っていたのに。
……それでも。凶器と悪意をもった存在を目の前にすれば、恐れてしまう。
だから彼は自覚せざるを得なかった。
──どれほどの奇跡に恵まれてここに立っていようと、特別など自分には無いのだと。あってはならないモノなのだと。
何故なら彼はシャーロット、ただの人間なのだから。
「さて、ではそろそろだ。目的のついで、たまたま出くわしたお前達に時間をかけるなど馬鹿らしいことだ」
ビクターはそんな絶望を浮かべるシャーロットの事などどうでもいいとばかりに、やつれ、しわがれた手を挙げる。それは人形達へと指示を下さんとしていることを表していた。
応えるように人形達はそれに合わせて、ゆっくりと一歩を確実に踏み出し、じわりじわりとシャーロット達へと近づいていく。
「あら、ビクター様? ここはテンテリスに任せないのですか?
あの男口の悪い男。後ろで突っ立ているだけというのは、ワタシ気に入らないわ」
「いいや、仕方の無い事だフラン。君と僕の思い付きを叶えるのなら、テンテリスに任せる訳にもいかない。今日一日ばかりの雇われに、フランと僕との共通認識を理解できるとも思っていないからね。
……しかし、君の言う通りだ。ただ傍観しているだけというのは気に食わない」
しばしの沈黙の後、ビクターは振り返る。
木々で先の見通せぬ中、その声が誰に届くともしれないというのに、ビクターは暗闇に向けて声を張り上げた。
「聞いていたか、傭兵テンテリス!! 馬車に残った二人を始末してこい!! 仕事は分担すべきだ。女二人は僕が直々に始末をつけ──」
響き渡る声が森中を覆わんとしたその時。ビクターが言葉を言い終える直前、囲いを形成していた人形の一体が唐突に倒れ込んだ。
ミシリ、ガシャリと足元から崩れるように崩壊する。陶器の艶に覆われた白き人形は、音を立てて地に伏した。
シャーロットのすぐそば、円はそこだけぽかりと穴が開く。一人欠けただけでも、先程までの痺れるような緊張感はそれで少しは和らいだ。
倒れた人形。
頭部にヒビが大きくはいり、案外その外装は脆いつくりなのだろうか。まるで陶磁器のように、倒れただけで内側がのぞけてしまうような、粗末なつくりで──。
その中身の肌色は、上下に激しく浮き沈みを繰り返していた。
「え……な、これ……」
駆動音は段々と弱まっていく。
「ギ、ギ、……ケテ、ダス──、ガ」
──シャーロットは思わず駆け寄った。
彼は人形が何を言っていたのかを理解したわけではない。ただそうしなければいけないと思ったのだ。
苦しみに悶える姿を目の前にして、たとえそれが殺意を向けてきた相手だとしても、シャーロットは放っておくことができないのだと。
マキナはしかし、ソレに憐みの目を向けるばかりで、動こうとはしない。
「シャーロット、離れるんだ。そして直視してはいけない。目を逸らすんだ。
……そこにいるのは君には残酷すぎる」
忠告それで。い。それより先に、シャーロットは両の目に焼き付けてしまったから。こんなものがあるとは知らなかった無垢には、一生忘れられない記憶となってしまった。
「で、でも……」
「シャーロット」
「この人、まだ生きているんです!! 人間なんですよっ!!
ニアの魔法で、時間をっ──」
耳に入った言葉は話半分だったようで、シャーロットの言葉は混乱を纏っていた。
マキナはそれに、冷静に言葉を返す。
「そうだね、君の力の使い所だということは認めよう。今ならその人間の命は、まだ間に合うかもしれない。
……だがシャーロット。今彼を直して、その先に何が続く? 何がもたらされる?
答えは明白だ。続くものは無く、もたらされるものは再び人形として動くようになるという未来だけ。君の力であらゆるケガは完治するが、酷使される未来を彼に与えることになる。
──それで。君は、でも直すのかい?」
ぴたりと、助け起こそうとしたシャーロットの動きが止まった。
確かにそうだ、と。マキナさんの言ったことに反論はできない。助けて、でも先は無い。その通りじゃないか……と。
だがそれでも何かすべきだと思案し、やはり何もできないと知りながらも、頑なに彼は離れずにいた。
「……っち、役立たずが。それも、疲労で寝ているだけとは。ならば今一度上下というものを理解しないと分からないようだな、人形。
『私は呪う。土塊を仮初に尊厳を愚弄しよう』
『支配こそ汝が幸福。手となり足となり、我が意を成し給え……』」
詠唱というにはあまりにおぞましい言葉の羅列は、不思議と意味を理解できてしまうものであった。実際の発音はまるで違うはずで、文字も綴りも何かも一致しない。そんなおどろおどろしいモノは、けれど確かにに効果を発揮する魔法でも魔術でもないモノ。
シャーロットはそれが何かを知らなかった。それでもただ少し、おぞましいと思った。
不思議な感覚にとらわれ、耳に入った言葉が何なのか、と。そうやって少しだけぼうとしたシャーロット。
「手を失礼、シャーロット」
そう言って、ぐいと、その手をマキナが引いた。
──直後、人形は寝転がりながら激しくその身を震わせる。槍を片手にじたばたと暴れまわった。
一振りで木々なぎ倒され、シャーロットがいた場所は槍の刃先で抉れる。獣が暴れまわった後のような悲惨な光景が、ものの数秒で出来上がった。
「ガガッガ、ッガアガッガガガ、ッギアアアア!!」
”苦しい苦しい”と、叫んでいる声が聞こえてくる。
”ごめんなさい”と、謝罪する声が聞こえてくる。
やがてそれはただの絶叫へと変わり、そしてふと思い出す……。
人形から聞こえてきた言葉というのは、元から言語として成立していない叫びであったのだと。
「ああ、ああ……。ビクター様、あの様子じゃ使い物にならない。拒絶しているわ。
もう駄目よアイツ。それにさっきも失敗していたわ」
「そうか、そうだな。今僕もそう思っている。
……そういえば金羽との戦いで、一人だけ間抜けに剣を弾かれていたのはお前だったか──? いや、貴様が持っているのは槍か。では別の人形なのだろうが、そんなことはどうでもいいな。役に立たない人形は皆同じだ」
ビクターはまるで人形かのように人間を見下す。
転がった人形は間違いなく人間であるというのに、およそ向けるべき感情は持ち合わせていないようであった。
落胆にビクターは、がっくりと肩を落とす。
──そんな時。一つ、大きなため息がマキナから。
「……、不愉快だ。久しぶりに、うんざりする程の悪辣だ。
ビクター、とか言ったか? 名前を呼ぶのはこれで最後だ。
お前、人体を元手に人形としての形を構成しているとはね。悪趣味で面白みの欠片も無い、おぞましさの塊だな。
人形遣いは一部を除いて、総じて社会的な倫理観を欠いているとは聞いていたが、まさかここまでとはね。願わくばその一部というのが、お前がであってほしいとは考えていたが……。
私としたことが。違反者であるという前提を思い出せば、実に無駄な希望を抱いていた」
シャーロットはマキナの呟いた言葉に、目の前の男の所業に思わず吐き気を覚えた。つまり先ほど見た光景が、そういうものであったのだと理解したのだ。
「人を──人形に……そんな、な、なんて魔法っ……。そんなのって……」
「魔法、ね。ああ、もしそうであれば、私達の目の前にはもっと、マシな光景が広がってくれていただろう。でも違う、そんな光景は無い。
いいかい。あれは呪いだ、シャーロット」
「……呪い?」
「そう。呪いとはまき散らすモノ。かけた者もかけられた者も、分け隔てなく犯しつくす人為的な災いだ。
ほら、あの男の、少し突けば死にそうなひどい顔をよく覚えておくといい、シャーロット。呪いに関わる末路がアレだ。見るも無残な不幸の結末……誰も幸せにはなれない」
単なる道連れの手段でしかないと、マキナは吐き捨てた。
その言葉に、だからどうしたと、男は声を荒げる。
「『誰も幸せにはなれない』? は。そうだそれが呪いだ。だが何が悪い!!
息ができずに死にそうか? 眼が見えなくなって暗闇か?
いいや、手足が折れ曲がろうと知ったことか。その苦しみは僕の思い通りにならない奴らが悪い。僕の命令に従えなかった奴等が悪い。
教えてやる。『森の幽鬼』たる僕の部下に必要なのは、従順と共感だ、それだけだ。反抗などもってのほか、反対など許されないのだ」
「な。……じゃあ、あなたはこの人達ができないから、人形にしたって言うのか!?
そんなことだけで──」
「っち、やはりフラン以外は話にならない。こうも単純なことも理解できないのか?
簡単な事だ。僕の役に立たないのだから、役に立てるようにしてやってだけのことだ。そして、その結果がこの人形──痛みで止まることもない、苦しみでとどまることもない、反抗しない、反対しない、そんな最高の部下となるのだ。
……だが、コイツのように中身が完全に壊れてしまえば、また役立たずだ。生前の魔法も使えなくなった人形など、差別化もできない存在に価値は無い。そして僕の部下である必要も無い。囮として使う以外の使い道は無くなるのだからな。
……これで理解したか? 僕の人形とはそういうものだ」
「──で、できない……嫌だ。僕は理解しない……」
シャーロットは首をふるふると横に振り、否定する。
目の前の男はマキナの言う通りおぞましさの塊。話す言葉は常人とはかけ離れた傲慢の極み。そしてそれを、当然かのごとく振りかざしているのだ。
だから。そんなことは理解すべきでないと、シャーロットは拒絶した。
当然シャーロットの反応にビクターは不機嫌な様子を見せる。
大きく舌打ちを打って、彼は再び話した。
「っち、イライラさせてくれる。これだけ説明してやったというのに、何故分からない? やはりフラン以外は話にならない」
「アハハ! ビクター様の事なら何でもわかります!!」
くるりくるりとその場で回るフラン。
幼げな姿にピッタリなその行動は、しかしこの状況ではあまりに狂気であった。
見ていられないあまりにもなそれは、だからいい加減我慢の限界が来てしまうのは当然で、こぶしを握り締めてしまう。怒るのも理解できること。故に──。
「ッう! ──いったあ!?」
転げるほどの衝撃ではなかったものの、よろめくには十分な威力。
フランはその一撃をくらわした人に向け、怒りのこもった視線と共に振り返る。
「この……、なにすんのよっ! テンテリス!!」
「お前に必要なのは目覚めの一撃だ。頭は冴えてるだろ? 今のは酔いつぶれた人間を叩き起こすのと大して違いはねぇよ。
──それより。やるんなら早くしてくれ、わざわざ森このを抜けんのは面倒だ」
クソくらえとばかりにその背中を蹴り飛ばしたのは、シャーロットでもマキナでもなかった。そして許せないとか、そういう怒りの感情というよりも、ずっと軽い感情である。飽き飽きしたとかそんなもの。
その男は単純に状況を急かしたのだった。
薄緑のローブに金色の髪。手にいくつもの指輪を身に着けてるというに、狩人のような見た目をした人。
年若い見た目の男は、ビクターとフランの背後から気だるげに現れた。
「テンテリス貴様っ!! フランを蹴り飛ばすとは、何をしている!?」
……いや。貴様、大体何故まだここに居る? 馬車の二人はどうした、まさか仕事を放りだすわけじゃあるまいな? 傭兵」
「ああ、それか。お断りだ」
シャーロットはその瞬間、緊張が走ったのを感じられた。
テンテリスはビクターを前にして、”お前の言う通りには動かない”と、そう言い切ったのだ。
ビクターは落ちに落ちた気分の不機嫌を隠すことなく、テンテリスに再び言葉を確認させるため、その口を開いた。
「……僕の人形についてはお前に向けた話では無かったが、話を聞いていなかったわけでは無いな? 役に立たない人間がどういう末路を辿るのか。それをもう一度言わなければならないか?」
「てめぇの後ろにいたからな。聞き漏らさず、一言一句ハッキリ聞こえてたぜ」
「ならその返答は何だ。」
「バカが。てめえの方こそ話を聞いていないじゃねえか。
もう一度言ってやる。お断りだ」
あくまではねのける態度に、ビクターの不機嫌は最高潮に到達した。
そして静かに、彼はテンテリスへ尋ねる。
「理由を聞こうか、テンテリス・バードン」
「割に合わねぇ、この一言だ。俺は帰らせてもらうぜ
そもそも金羽のギルドは俺が追い返した。それで依頼されたぶんの仕事は終わってんだ。後は好きにしろよ」
「そんなに人形になりたいか、テンテリス」
「いいぜやってみろ。その場合、俺もてめぇの敵になるだけだ。わざわざ親切に、どっちにもつかないって言ってやってるのに、分からねぇのか?
まあ、あえてそうしたいってんならいいぜ。相手してやる」
「これだから傭兵は……。いいだろう、お前は女の後だ。
精々命乞いの準備をしておくんだな」
人形達は動き出す。
シャーロットとマキナを取り囲んでいたのは人形のほんの一部だったらしく、無数の木々の一本一本の後ろから姿を現し、ぞろぞろと足音が響き渡る。行進が始まる。
いよいよをもって、『森の幽鬼』の全容は明らかになった。
「幽鬼とは森そのもの、我が軍団である。
呪いは止まぬ。貴様らもその一員にしてやろう」
かくして一方的な戦闘は始まった。
勝敗など考えるまでもない当たり前の結末が待っていることは、フランもテンテリスも、シャーロットもマキナも、その時点で理解していた。
「”命乞い”ねぇ? バカが。それが必要なのはお前なんだよ」
戦場とかした森の中。誰にも聞こえない声で、テンテリスはそう呟いた。
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