105 彼女の執着②

「おはよう……」


 その声とともに目が覚める。

 昨日の夜は抗えず、胡桃沢さんの言う通りにした。


 彼女は莉子さんがもう俺に手を出さないって言ったけど、俺の体に乗っかる彼女から莉子さんの姿が見えていた。そして体がボロボロになるまで……、胡桃沢さんに体のあちこちを噛まれる。手足が縛られた俺にできるのは、胡桃沢さんが聞きたがる言葉を言うだけ。彼女にとって「愛」はなんだろう……。


 しばらく、そんな日々が続いた。

 でも、いつかそのトラウマから立ち直れると思っていたから……。それに耐えるように、俺は胡桃沢さんの欠けているところを満たしてあげた。初めて胡桃沢さんと出会った時のことを、まだ忘れていないから……。きっと戻ってくるはず……。


 希望はある。


「…………ケホッ」


 首を絞める首輪の感覚と冷える体、目の前には真っ赤になった顔で俺を見つめる胡桃沢さんがいた。


「…………ようやく、安心して眠れるね」

「…………」


 莉子さんの部屋に閉じ込まれた時は、ずっと胡桃沢さんに会いたかったのに……。

 これと、あれと……、何が違うんだろう。

 ただ……胡桃沢さんと普通の恋がしたかっただけなのに、今の胡桃沢さんは声が出てこないほど怖い……。どうしてこうなってしまったんだろう……? 分からない。


 家にいる時はほとんどこれだった。

 でも、俺はすぐ立ち直れると思っていたのに……胡桃沢さんの状態はだんだん悪くなるだけだった。ロープや首輪などを使うのは寝る時だけだったのに、今は家に帰ってくるとすぐ両手を束縛する胡桃沢さんだった。


 そして俺を束縛する時だけ、その時だけ……彼女は笑顔になる。

 気のせいかどうかは分からないけど、そうだった気がする。


「夕飯は全部私が作るからね? 朝陽くんは食卓の前で待ってて♡」

「うん。あのさ、雪乃……」

「うん?」

「どこにも行かないから……これはどうにかできないかな?」

「ダメだよ。そうしないと、私不安になっちゃうから……朝陽くんは私の笑顔より泣き顔が見たいの? この前にも言ったよね? 解いてくれないって」

「うん。別に変な意味じゃないから……。ただ動きづらいし、雪乃のそばで一緒に夕飯作りたいから……ダメ?」

「うん。ダメ」


 どれだけ力を入れてもこれを俺の力で解くのは無理だった。

 今の生活はほとんど胡桃沢さんに頼っている。俺たちはまだ高校生なのに、立場が全然違うこの状況……。俺は彼女に飼われていた。美味しい夕飯を食べさせてくれることと、一緒にお風呂に入って体を拭いてくれることと、これは彼氏ではなくただの犬だった。


 俺は彼女に犬扱いされている。


「はい! 朝陽くん、あーん!」

「あーん」

「どー? 美味しい?」

「うん……。美味しいよ」

「ふふっ、そう。その顔、可愛いね」

「…………」


 どこに行っても、自由になれない気分だった。


 ……


 学校にいる時もずっとそばにくっついていて、胡桃沢さんは俺に声をかける女子に警戒していた。胡桃沢さんが持っていたイメージはどうでもいいらしい。今は校内でよく知られているカップルになって、クラスの男たちはずっとくっついている胡桃沢さんを見て羨ましいなとため息をつくだけだった。


「マジ羨ましいな。俺もあんな彼女欲しい……」

「お前は無理だ」

「そうだよな? 宮下とは全然話したことないからどんな人なのか分からないけど、それでもどうすればあんな可愛い彼女ができるのか聞いてみたいな……」

「てか、あいつずっと胡桃沢と一緒にいるから声をかけてもいいタイミングがよく分からない」

「それな。あははっ、二人いつも一緒だし」

「そう」


 体が自由になるのは学校にいるこの時だけ……。

 むしろ、お前らはいいなと言いたかった。

 もちろん、胡桃沢さんの前では言えないけど……。


「なんか騒がしいよね? 朝陽くん……」

「そうだね」

「あんな人は役に立たないから、無視して……」

「うん……」


 微笑む胡桃沢さんが俺の頭を撫でてくれた。

 この生活はいつまで続くんだろう……。

 嫌だとはっきり言えない俺は……これからどうなるんだろう。


 そんなことばかり考えていた。


 俺の高校生活は薔薇色なのか、あるいは灰色なのか……。

 胡桃沢さんと過ごした時間は楽しいはずだったのに、それがだんだん俺を苦しめている。そうやってほぼ一年半……立ち直れない胡桃沢さんに監禁されていた。日増しに大きくなる不安の塊が、俺を飲み込んでるような変な感覚。怖かったけど、ずっとそんな風に怖がっている胡桃沢さんを何度も説得しようとした。でも、そんなことに意味などないって……俺は高校を卒業する前にようやく自覚した。


 全部、壊れてしまったような気がする。

 どうして……? 俺が悪かったのか? 一体、どこから……間違っていたんだ。


「…………助けて……、ごめんね。全部……俺が悪いんだから……」

「どうして……? そんなことを言うの……? ねえ、朝陽くんはもう私のこと好きじゃないの?」

「そんな話じゃない……。これは……! これが本当に正しい愛だと思う……? 雪乃……」

「うん。私は……私の愛を朝陽くんにあげたよ? これは愛だよ? 朝陽くんを愛するこの気持ちが、ずっと一緒にいたいこの気持ちだけが! 私の! 愛の証だよ! 知ってるくせに、分かったって言ったくせに! どうしてそんなことを言うのよ!」

「…………雪乃、違う。それは愛なんかじゃない……」

「じゃあ……、なんなの?」

「雪乃……、いい加減に……現実を見てくれ! 俺は絶対離れないって、もう二年以上雪乃の前で話した……。なのに、どうして俺の話を信じてくれないんだ……? こうやって俺のすべて縛り付けるのを愛とは呼べない……。それは……、愛なんかじゃないよ」

「…………違う、違う……」


 ぼとぼと…………。

 ぼとぼと…………。

 ぼとぼと…………。

 ぼとぼと…………。

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