十五、大切な人

87 私のこと

 今すぐ会いたいよ……。朝陽くん。

 私は体にできた傷よりも……、二度と会えないかもしれないことが怖くて…怖くてたまらなかった。私はそこにいたい、朝陽くんのそばにいたいから……。目が覚めた時、私の前にいて……。失いたくないよ、ずっとずっと私のそばにいて……。朝陽くん。


 そして、私はお父さんの夢を見た。

 あの時の夢を———。


「お父さん! 今日も仕事……?」

「お帰り、雪乃ちゃん。そうだよ」

「え……、たまには遊んでよ!」


 家に帰ってくると、お父さんがいつも居間で仕事をしていて、私はさりげなくお父さんに声をかけてしまう。そのたび、お父さんは私の頭を撫でてくれた。仕事で忙しいはずなのに……、私が帰ってきた時はいつも優しい声で「お帰り」って言ってくれる。それがとても好きだった。


「今日はどうだった? 学校楽しかった?」

「学校……、楽しくない。友達……がいないから」

「そう? どうして雪乃ちゃんと遊んでくれないのかな? こんなに可愛いのに」

「可愛いの……? 私はよく分からない……」

「雪乃ちゃんは可愛いから、もっと勇気出してみて! きっと友達できるはずだからね?」

「うん!」


 幼い頃の私はお母さんと過ごした時間より、家でお父さんと過ごした時間がもっと長かった。お父さんとは一緒にご飯を食べたり、テレビを見たり……、たまには外でショッピングもした。中学校に入る前まで友達が全然できてない私に、お父さんは私の友達になってくれたから……。お父さんと一緒にいる時が一番楽しかった。


 私は友達を作るのが怖くて、声をかけるのができなかった。

 だから……ずっと一人ぼっちで学校にいる時が一番づらい。


「お父さん、仕事してるの?」

「そうだよ」

「私も見たい! 膝に座りたい!」

「ふふっ。いいよ」


 なんか、アルファベットが多くて小学生の私にはよく分からなかった。

 でも、お父さんと一緒にいられるならなんでもいい。お父さんは料理も上手だし、カッコいいし……。私も大人になったらお父さんみたいな人と結婚したかった。私を見て笑うお父さんに、そんな小さい夢を見る。


 そして中学生になった頃、私は家の雰囲気が変わってしまったことに気づく。

 お父さんの表情や言い方が前とは違うから……、ずっとお父さんを見てきた私にはそれが分かる。心配になってお父さんに声をかけても、お父さんはただ「大丈夫。仕事のせいで疲れたよ」と言ってくれるだけだった。仕事ならいつもやってるのに、今更そんな顔になるのはおかしいと私はそう思っていた。


 きっと、他に理由があるはずなのに……。聞けなかった。


「えっと……、えっと…………。お父さん、今週の……」

「あっ、ごめんね。雪乃ちゃん……、今週は仕事で忙しいからまた今度にしよう。本当にごめんね……」

「う、うん……! 平気!」

「…………うん」


 そう言ってから私の頭を撫でてくれた。

 一緒にショッピングとか行かなくてもいいよ。私はそばにいてくれるだけで十分だから……、ちょっと悲しいけど、お父さんが疲れてるから仕方がなかった。そして来週は一緒に行ってくれるのかなと思いながら……、部屋に入る。


 でも、お父さんはそれからずっと仕事ばっかりで私とテレビを見るのも……、一緒にご飯を食べるのも、全部なくなってしまった。どうして……? 私はずっと知りたかった。そして、それを聞く前にお父さんの方から私に声をかけてくれた。


「ごめんね……。雪乃ちゃん、本当にごめんね……」

「お父さん……。どうしたの? どうして、いきなりそんなことを言うの?」


 ちらっと、後ろに置いているキャリーケースを見る。

 そしてお父さんの悲しい表情に、私はすぐ涙を流してしまった。

 お父さんはいつも笑っていたのに、どうしてそんな顔をするの……? 私が何か悪いことでもしたのかな? あるいは、仕事中のお父さんにしつこく付き纏ったからかな……? 全部私が悪いから、お父さん……そんな顔しないで。


 ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。


「お父さんはもう雪乃ちゃんと一緒にいられない」

「どうして? お父さん、どこに行くの? どうして? どうして?」


 行かないで……、お父さんしかいないから。

 私にはお父さんしかいないから……、どこにも行かないで……お願いだから。


「理由は……後で話してあげるから、今は……ここまで。ごめんね」


 お父さんは何度も何度も……私の前で「ごめんね」って言った。

 どうして私に謝るのかも分からない。今すぐ私の前で消えてしまいそうなお父さんに、私はずっと涙を流すだけだった。いつか言ってくれるよね? 私のせいじゃないよね? いろんな言葉が思い浮かぶけど、泣いていた私は何も言えなかった。


 手足が震えていて、心臓がドキドキする。

 その状況を受け入れるのができなかった。


「雪乃ちゃんは可愛いからね。きっと……いい友達と彼氏ができるから心配しなくてもいいよ」

「どうして、今そんなことを言うの……? お父さん、どうして私にそんなことを言うの? 私のそばにいて、いつもお帰りって言ってくれたでしょ? どうして……」

「…………ごめんね」


 何がお父さんを苦しめたのか、何が悪かったのか、私は何も分からない。

 私が覚えているのはその悲しい表情と、家を出る時の後ろ姿だけ。


 そして数日後、お父さんが亡くなった———。

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