85 そこにいるのは…②
ゆっくり休むのはいいけど、やはり胡桃沢さんのことが心配になって居ても立っても居られない俺だった。今すぐそっちに行きたいのに、莉子さんがそうさせてくれないから……。むしろ、俺のことを心配してくれる莉子さんのせいでこの部屋から出られなくなった。子供じゃあるまいし……、そんなに心配しなくてもいいのにな。
「あの……、莉子さん」
「うん?」
「僕のスマホ……、どこにありますか……?」
「ダーメ! 今はそんなことをする時じゃないよ?」
「は、はい……」
スマホをいじるのはダメってことか……。
せめて、委員長に連絡をしたかったのに。
しかし、莉子さんって普段から忙しいイメージだったのに……、俺のせいで仕事を休んでもいいのかな……? そばで静かに本を読んでるけど、俺だけがベッドに座っていて……どうしらいいのか分からなくなる。
何か、面白い話題を思い出せないと……。
とはいえ、大人と何を話せばいいんだ……?
「あ、あの……莉子さん」
「うん?」
「莉子さんって、今日休みですか?」
「気になる?」
「あ……、はい。いつも忙しいイメージだったので……」
「雪乃ちゃんのこともあるし、手間がかかる子供が増えちゃってね。気にしなくてもいいよ。こうやって時間を過ごすのも嫌じゃないから……」
優しい言い方……、大人って雰囲気が溢れている。
てか、本当に胡桃沢さんだ。メガネをかけてるけど、どう見ても胡桃沢さんですごく不思議だった。遺伝子の凄さっていうか、静かに本を読んでるその姿を……じっと見つめていた。特に話せることもないし、俺はそのまま莉子さんを見ていた。
「暇だよね?」
「は、はい……」
「じゃあ、お話をしよう」
持っていた本を本棚に戻して、俺のそばに座る莉子さん。
「えっ……? そこ……?」
「うん? ダメ? そばでいろいろ話すのが楽しそうだから……」
「いいえ。なんでもないです」
「ふふっ」
何がなんでもないですだ……!
莉子さんと同じベッドにいるのはともかく同じ布団を…………かけるのはちょっとやばすぎじゃない? お互いの肩が触れそうな距離に莉子さんがいた。
「ううん———! こうやってのんびりするのは本当に久しぶりだね。何をすればいいのか分からなくなる。でも……、今は宮下くんがいるから楽しい話を言ってくれるよね?」
「えっと……」
「緊張しなくてもいいって! それより、宮下くんは気になることとかない? 私に聞きたいこととか……」
「えっと、あ! そうだ。僕はあの……立派な大人になりたいんですけど、まだやりたいこととか……。遠い未来のことがよく分からなくて……」
「ふーん。将来の話なんだ」
「莉子さんが香水を作るようになってきっかけとか……。あっ、やはりこんな話はダメですよね」
「全然? 将来のことを考えるのは大事だからね……」
そう言ってるけど……、先とは違う表情をする莉子さんだった。
「うん。そうだね。きっかけは……やはり胡桃沢くんと出会った時かもしれない」
「はい? 雪乃のお父さんですか?」
「そうだよ。幼い頃からずっと一緒で、中学校と高校も一緒だった人。今は私のそばにいないけど、高校を卒業して大学に入る頃、将来のことで悩んでいた私に香水を作る仕事はどー?って言ってくれたの。それがきっかけ」
「へえ……」
「もちろん、お母さんがそんな仕事をやっていたから引き継ぐことになってるけど、興味なかったから……。香水など……。でも、胡桃沢くんが私の匂いが好きって言ってくれて……。なんとなく勉強を始めたことを覚えている」
「好きだったんですね」
「そうだよ。大学を卒業したばっかりの私たちはすぐ結婚をして、すぐ雪乃ちゃんができちゃった。それほど好きだったよ。だから……、この仕事だけが私の生きがい。あの人と過ごした時間は楽しかったから、忘れたくない。だから、もっと仕事に専念するようになったかもしれないね」
過去形、胡桃沢さんのお父さんはもうこの世にはいないってことだよな……。
余計なことを聞いてしまった。
「す、すみません……。わざとじゃないんです」
「知ってる。大丈夫……」
「たまにはね。あの人を思い出しちゃうから……、心がどんどん痛くなっちゃって。どうしたらいいのか分からなくなる。この気持ち……宮下くんは分かるかな?」
「…………えっと、……好きだった人がいなくなるのは悲しいことだと思います」
「もし、好きだった人とそっくりの人が現れたらどうする? 宮下くんなら……」
「えっ? 多分、気になるかもしれませんね。好きだった人だから……」
なんか、雰囲気がどんどん……。
「宮下くんは知ってる?」
「はい……?」
「体の匂いはね……。人によって少し違うかもしれないけど……、香水の場合は一緒だから。その匂いを嗅ぐと……思い出しちゃうのよ。あの時の思い出を…………」
「そ、そうですか? 僕は香水に詳しくないんで……」
「宮下くんにあげた香水、そして雪乃ちゃんがつける香水……。それは大学生の頃、私たちがつけた物と一緒だよ……?」
「はい……?」
つまり……。
つまり…………それは。
あれ……?
「…………目の前が……ぼやけて……」
持っていた注射器を床に投げ出す莉子は微笑んでいた。
「ずっと、会いたかったよ……。あなた……」
頬を伝う涙。
片手で朝陽の顔を触る莉子はさりげなく彼の体に乗っかる。
「寂しかった……。ずっとずっとずっと……、寂しかったよ。どうして、私を残して行っちゃったの……? 私はあなたがいないと何もできないのに。もう仕事ばっかりの日々はつまらない。ねえ、ずっと私のそばにいてくれるって言ったのに……どうして……? どうして? いつものお帰りが聞きたい……」
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