82 失いたくない物

「今日は……鍋料理にしようかな……」


 朝陽くんと付き合ってから、幸せなことばっかりだ。 

 もうあの時のことはどうでもいい。もう怖くない。私は強くなったから、そして朝陽くんも当たり前のように私のそばにいてくれるから……。それだけで十分だった。お母さんには悪いけど、私は私の人生を生きるしかないからね……。その代わりに忘れたりしないから、許して。私はもう昔のことなど思い出したくない。


「…………あっ、お肉も買わないと」


 そして、私のスマホに電話がかけられた。


「…………知らない電話番号。誰?」


 なんか、悪い予感がする。


「こんばんは〜。胡桃沢雪乃」


 この声は……あの女の声。

 死なない程度でお願いしたけど……、すぐ復活するとは思わなかった。


「…………」

「ねえ、あんたの一番大切な物が今私のそばにいるけど。どうする?」

「朝陽くんを拉致したってこと……?」

「拉致って、あはははっ。そんなわけないでしょ? でも、寝顔が可愛いから……襲いたくなるけど……我慢できないから。ねえ、これは元々私の物だったから……返してほしい」

「それはこっちのセリフだけど……、余所者が何を言ってるのかな……?」

「そこからそんなに遠くないよ? 私は今朝陽くんの家にいるから」

「雨宮ナナ……、もし私の朝陽くんに手を出したら……絶対許さないからね」

「あら、怖い。ここで待ってるから、私の朝陽くんを見にきて」


 一瞬、目色が変わる雪乃。


「…………」


 いつか、あの人が私の邪魔をするかもしれないって知っていた……。

 でも、それだけじゃ足りなかったんだ……。

 そんな目に遭ってもまだ分かってくれないなんて、やはりあんたは私の手で……。


 ……


 元々、私と朝陽くんだけの空間だったのに……。

 今は嫌な匂いがする。


「ねえ、後ろから煉瓦で殴られるとは思わなかったよ? すっごく痛かった」

「そう? 死なない程度で殴ったけど、生きていてよかった」


 ソファに座っている雨宮ナナ、そのそばには半裸の朝陽くんが倒れていた。

 朝陽くんを気絶させたのか、ほっとしたよ。

 あの時と同じで……。


「…………胡桃沢雪乃、うん。確かに名前を聞いたのは初めてだけど、その顔。思い出したよ。朝陽くんが私と付き合う前に、朝陽くんに告白した女の子だよね? すごく慌てていた朝陽くんの顔も覚えているから……。偶然だね?」

「…………今更?」

「あの時は暗かったのに、今はクラスで一番可愛い女の子になったって友達が言ってくれたよ。すごいじゃん! でも、朝陽くんは諦めてくれない? 私、今すっごく優しく話してるよ?」

「嫌って答えたら?」

「この場で死んでもらってもいい?」


 また、私から朝陽くんを……。

 いや、今はあの時と違って朝陽くんは私の物だから……死ぬのはそっちだよ。


 雨宮ナナ、私から朝陽くんを奪った人……忘れたりしない。

 私が、わざわざ委員長にそれを頼んだ理由は———。


「あはははっ、怖くなって何も言えないの?」


 その理由は……、目の前にあんたがいたら私が殺すかもしれないからだよ……。


「…………!」


 私はスーパーから買ってきた包丁で、雨宮ナナを刺した。


「うっ……!」

「我慢するのも限界がある……。何度も、何度も、あんたに奪われるその気持ち悪い夢を見てきたから……。あの時の後ろ姿を、そして笑っていたあんたの顔を……。今まで朝陽くんにやってきたこと、全部返してあげる。これはアペタイザーだよ?」

「あああああああああ!!!!!!!!!!! う、腕が! 私の腕がぁ……!!! く、胡桃沢雪乃!!!」

「この世でクズ一人や二人がいなくなっても……、誰も気にしないから」

「ああ……、ああ…………」


 二人っきりで過ごしていたこのソファが血まみれになった。

 でも、私はあの人を殺すつもりはない。それは雨宮ナナが朝陽くんにやったことと同じこと。カッターナイフで自分に従わない朝陽くんに、彼女はさりげなく肌を切ったり刺したりした……。そして朝陽くんには見えないように、雨宮ナナは背中にその傷を残した。たくさん……。


 私は朝陽くんのことならなんでも知っている。

 なんでも、証拠で残している。

 中学生の頃、私は朝陽くんのストーカーだったから。


「逃げないで……? ねえ、あんたと一緒に遊んだ人たちは気に入らなかったの? やはりクズよりはワンちゃんみたいに……、自分の言うことをよく聞く朝陽くんが欲しかったの? 自分が振ったくせに……? 今更?」

「…………うっ」

「ねえ、痛いの? 警察呼びたい? 呼びたいなら呼んでみて、あんたが朝陽くんにやってきたことすべてを私はパソコンとスマホに入れておいたから……。やれるもんならやってみて。あの時の朝陽くんが優しいから、それで終わったと思わないの?」


 もう一度、雨宮ナナの手を刺した。

 そして力を入れる。


「ああああああ…………!!!」

「人の言うことをちゃんと聞いてくれないと……、どうして私の朝陽くんをいじめたの? あの時は彼女だったんでしょ……? それは私も知りたい、あんたの友達が勝手に作った作り話じゃなくてね?」

「…………あはははっ、朝陽くんと初めてセックスをしたのもキスをしたのも……。全部、私だから! 私は……誰かの欲しい物を奪うのが世界一楽しいからね? 楽しくて楽しくてたまらない。胡桃沢雪乃…………。あの時の顔も……、可愛かったよ? ねえ、朝陽くんと私がやってる夢を見たよね……? そうだよね? 言わなくても分かる。そんな顔をしているから、あはははっ…………」

「…………」

「女の子の独占欲はよく分かっている。だから、キスマークに執着してたよね?」


 あ……、やはりこの人は死んだ方がよかったもしれない。


「朝陽くんのことなら、なんでも知ってるって言ったよね? 私も、ちゃんと覚えてるよ? 照れながら朝陽くんに声をかけなかったあの時の胡桃沢雪乃を、同じクラスだったのに声すらかけないその姿をちゃんと覚えてるよ? だから、奪ったんだ。あの日の保健室、カーテンのせいで見えなかったけど、左側のベッドで寝ていたのは胡桃沢雪乃……だったからね?」

「…………」

「楽しかったよ? 私は狙ってないけど、そうなっちゃったから。仕方がなかった。でも、もっともっと絶望するのを見たかったからね? あはははっ!」


 雪乃の嫌な記憶を暴くナナ。


「…………」


 その話にショックを受ける雪乃。

 そしてポケットに入れておいたカッターナイフで、雪乃の首を切るナナだった。


「うっ……!!」

「邪魔者はここで終わり♡」

「…………うっ……」

「バイバイ。胡桃沢雪乃」


 冷たくて……、冷たくて…………、目の前には赤い私の血が見えた。

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