58 寒い季節②

「あはははっ、そう? 宮下くんも雪乃ちゃんのこと大好きだったんだ〜。可愛い」

「えっ! 莉子さん……からかわないでください……!」

「じゃあ、そろそろ二人の部屋に行ってみようかな……? 雪乃ちゃんが普段からどんなことをしてるのか、お母さんとしてすごく気になるからね?」


 ちょっと待って、俺の部屋……? まずい、今そっちに行くと俺たちが床に散らかした物が……。それに部屋を全然掃除してないのを莉子さんにバレてしまう……。それだけは……、絶対嫌だった。胡桃沢さんも俺も……、部屋にいる時だけは怠けてしまうから……下着とか服とかいろいろめっちゃやばい状況だった。


 ガチャ……。


「あっ」


 とはいえ、部屋に入る莉子さんを止めるのはできなかった……。

 なんで……胡桃沢さんはすぐ俺に言ってくれなかったんだろう……。ちゃんと言ってくれたら、部屋の掃除くらいすぐ終わらせたはずなのに……。居間やキッチンなどはちゃんと掃除できてるけど、俺たちの部屋は片付けても片付けてもすぐに散らかってしまうから仕方がなかった。


 服を着替えた後、床に置きっぱなしにする胡桃沢さん。

 それについて何度も言ってあげたけど……、「朝陽くんが洗濯かごに入れて」って言うから……胡桃沢さんのその悪い癖が直らなかった。


「へえ……、意外とキレイな部屋だね」


 うん……?! なんだと?


「ふふっ、私がちゃんと掃除してるからね〜」


 消臭スプレーの匂いがする。

 もしかして俺が慌てていた時に部屋の掃除をしてくれたのか、先まで床に散らかっていた物が全部どっかに消えてしまった。

 いつこんなことを……?


「朝陽くん」

「うん?」

「私、お茶もっと飲みたいけど……。お願いしていい?」

「あっ、分かった。じゃあ、莉子さんとゆっくり話してて」

「うん」


 そして朝陽がキッチンでお茶を淹れる時、扉を閉じる雪乃が微笑む。

 静かな部屋、二人が目を合わせた。


「雪乃ちゃんは……まだ高校一年生なのに、偉いね」

「何が……?」

「お母さんは匂いに敏感だから、全部知ってるよ? 隠さなくてもいいのに……」

「何言ってるのか分かんない……」


 首を傾げる雪乃を見て、ベッドの下から使用済みのゴムを取り出す莉子だった。

 彼女が持っているのはおよそ十個、あるいはそれ以上に見える。


「ふーん。ゴムに日付まで……」

「あれ、バレちゃったの……?」

「だから、お母さんは匂いに敏感って言ったでしょ? 一度覚えた匂いは絶対忘れたりしない……、仕事だから」

「……へえ、やっぱりお母さんは私のだよ」

「巧みな言い回しはお母さんに通じないからね? それに一応二人がどんな生活をしているのかって言っておいたけど、そろそろお母さんの物を返してほしいから」

「…………も、持ってないし」

「雪乃ちゃん、お母さんは優しいからそんなことで怒らないよ?」


 ベッドに座る莉子が足を組む、雪乃はその笑顔から目を逸らしていた。

 そして、しばらく静寂が流れる。


「わ、分かったよ……。返したらいいじゃん! お母さんのケチ!」


 スクールバッグに入れておいた物を、莉子に渡す雪乃。


「それはお母さんの物だから、雪乃ちゃんが使うにはまだ早い。とはいえ、このゴムの数を見るとけっこう使ってたような気がするけど……」

「…………」

「雪乃ちゃんは宮下くんのこと大好きって言ったよね?」

「そ、そうだけど……?」

「じゃあ、誰かに取られないように注意した方がいいと思う……。それだけじゃ、全然足りないからね? これはお母さんからのアドバイス!」


 雪乃はまだ知らなかった。

 あの時の莉子が何を言っているのかを———。


「私の朝陽くんが他の人と付き合うわけないし……、私のこと好きって言ってくれたからね!」

「人間関係はそう簡単なことじゃないから、もっと慎重に考えて」

「うん……」

「よろしい……」


 そう言いながら雪乃の頭を撫でる莉子。

 そして外からノックの音が聞こえた。


「お母さんはそろそろ会社に行くから、雪乃ちゃんはどうする? 宮下くんと一緒にいたい?」

「うん……」

「青春だね」


 ……


 もしかして部屋で何か話しているのか、ノックをしても返事は来なかった。

 じっとしてそこで待っていたら、先に出てくる莉子さんが俺を頭を撫でる。


「宮下くん、待たせてごめんね。雪乃ちゃんと少し話があって」

「は、はい……」

「…………」


 そして、いきなり莉子さんの顔が近づいてくる。

 びっくりしてすぐ目を閉じると、そばから匂いを嗅いでるような……気がした。


「また……、会えたらいいね。宮下くん」


 耳元で呟く莉子さん。


「えっ? えっと……、はい」

「じゃあ、またね」

「はい……」


 また……、わけ分からないことを言う莉子さんに心がもやもやする。

 この気持ちは一体なんだろう。


「お母さん、バイバイ」

「またね。雪乃ちゃん」


 今度は俺をぎゅっと抱きしめる胡桃沢さんが、頭を撫でてくれた。


「へへっ、朝陽くん。私眠い…………」

「じゃあ、もうちょっと寝ようかな……?」

「うん!! そばにいてくれるよね?」

「もちろん……」


 ……


 マンションの階段を降りる莉子が笑みを浮かべていた。

 彼女は雪乃からもらった薬の紙箱から、薬のシートを取り出す。


「一シートに十錠。それが三つあったのに、今残ってるのは三錠……。あはははははははっ、面白いね。本当に……面白い。へえ……」


 そして薬をハンドバッグに入れた莉子が、車の中でゆっくり口紅を塗る。

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