八、日常と胡桃沢さん

43 空気

「昨日の映画面白かったよね?」

「き、昨日の映画なら……あの……」

「うん!」


 確かに、それ海外の有名な監督が作った自分以外の全員が幽霊に殺される……そんなホラー映画だったよな……? 途中から魂が抜けてしまって……、どんな結末で終わったのか全然覚えていない。薄暗い部屋で見る映画はやはり怖いなと思っていた。それより海外のホラー映画は……、どうしてやばそうなところにわざわざ行くんだろう。それがすごく不思議だった。ほぼ自殺行為じゃん…。


「もしかして怖かった? ふふっ」

「ゆき……。胡桃沢さんもビクッとしましたよね? 怖いシーンが出るたび……」

「雪乃!」

「あっ、雪乃……」


 また胡桃沢さんって呼んでしまった……。 

 映画を見ていた時は雪乃って呼んだのに、やはり外に出ると元に戻ってしまう。俺にはまだ慣れていない呼び方だった。それより、胡桃沢さんは付き合ってからずっと下の名前で呼んでくれたから……俺も早くその呼び方に慣れないといけない。とはいえ、胡桃沢さんは俺の彼女なのに、どうしてそれを言うのができないんだろう……。


 口に出すのがすごく恥ずかしい。


「そうそう」

「頑張ってみます……」

「あっ! また! 敬語」

「う、うん……」


 指先で横腹をつつく胡桃沢さんと今日も一緒に登校をする。

 そして廊下から人たちがざわめく声が聞こえた。

 確かに、あっちはうちのクラスだけど、何かあったのか……? 向こうから聞こえるこの大声は、やはりうちのクラスから聞こえる声だった……。まさか、朝から喧嘩をしてるのか……?


「誰だよ!」

「うわ……、汚ねえ……。友達だと思ってたのに……」

「ち、違う……! 違う! 違う!」

「じゃあ、これはどう説明する? まさか、自分のアカウントじゃないとか言わないよね? 本当に……汚い人」


 スマホでいちかの裏アカを見せるクラスメイト、いちかは沈黙した。


「悪口はともかく……、友達のいちかがこんな○ッチだなんて。信じられない」

「ねえ、いちかちゃん……。〇〇活とか、そんな汚いこともこそこそやってるんじゃないの?」

「違う……。違うって……!」

「はあ……」


 教室の中で声を上げる小林さんと、彼女と口喧嘩をしているクラスメイトたち。

 今がどんな状況なのか、教室に着いたばかりの俺にはよく分からなかった。


「胡桃沢雪乃……!」

「えっ……? お、おはよう……」


 いきなり胡桃沢さんの胸ぐらを掴む小林さん、みんなが止めようとした。


「いきなり……、ど、どうした? いちかちゃん……」

「あんたの仕業だよね……?」

「えっ……? わ、私……何も知らない」

「いちか! どうして雪乃に声を上げるの……? 汚いことは全部自分がやったくせに、今更他人のせいって言いたいわけ? 裏アカで私たちの悪口と、その自慢の胸をみんなに見せつけて気持ちよかったよね? みんなにチヤホヤされて……、楽しかったよね?」

「…………」


 なんか、SNSの話をしてるけど……。

 俺はSNSをしないから何の話なのか全然分からなかった。

 裏アカを作って悪口とか、そういうことかな……?


「胡桃沢……雪乃……」

「おい! 何してるんだ! 小林!」

「…………」

「それは……」

「……?」

「私の物に手を出した罰だよ……」


 小さい声で話す雪乃、いちかの手が震えていた。


「や、やめてください。小林さん。そろそろ……先生が来ます!」

「…………宮下くん……」


 小林さんがこっちを見ても、俺にできるのは何もない……。

 だから、何も言わなかった。

 沈黙……、静かに涙を流す小林さんが教室を出た。


 ……


 昼休みになるまで、小林さんは教室に戻ってこなかった。

 まさか、そのまま家に帰ったり……。


「何考えてるの? 朝陽くん」

「あっ……、ううん。何も……、今日の天気がいいなと思って……」

「嘘……私は全部知ってるから早く話して」

「うっ……。実は二人の間に何があったのか気になって……」

「何もなかったよ? 少し口喧嘩をしただけで、気にしなくてもいい」

「うん……」


 もうあんなことはしないよな……。

 実は小林さんが胡桃沢さんの胸ぐらを掴んだ時、俺……ふとあの時の記憶を思い出して体が動かなかった。どうしたらいいのか、なぜこうなったのか、俺が寝ていた間に何があったのか……。いろんなことが思い浮かんで、それがすごく気になった。


「…………けど……」


 早く忘れないと……。


「…………ねえ!」

「は、はい……!」


 うっ、顔が近い……。


「ぼーっとして何してんの? 私の話、聞いてた?」

「いいえ。何も……! は、はい!」

「ふーん……」


 頬をつねる胡桃沢さんがこっちを睨んでいた。

 バレたのか……。


「私に集中して……!」

「うん……。ごめん」

「だから、文化祭が始まる前にうちに来てほしい」

「雪乃の家……? あっ、確かに胡桃沢さんと電話した時、それを言われた覚えがある」

「うん。お母さん、早く宮下くんと会いたいって!」

「えっ……? そう? でも、こっちはすごく緊張してるけど……」

「緊張しなくてもいいよ? うちのお母さん優しいからね? それより、私に集中! 私以外の人はもう考えないでほしい! 分かった?」

「うん……。ごめんね」

「そう! 私以外の人は全員村人Aだからね?」

「うん」

「ふふっ」


 なんだろう。そのドヤ顔は……。


 笑いが出てしまうほど、胡桃沢さんは可愛い人だった。

 そして廊下を歩いていた俺たちは堂々と手を繋ぐ。

 ずっと緊張していた俺だけど、なぜかあの緊張が消えてしまったような……そんな気がした。


「あの二人……似合う」

「うんうん。笑う雪乃ちゃん……めっちゃ可愛いよね?」

「宮下も」

「でしょでしょ? あの二人最近ずっとくっついてるから……、本当にお似合いのカップルだよ」

「羨ましい……」


 周りの声がちゃんと聞こえるから……、すぐ緊張してしまう俺だった。

 やはり……、気のせいだったよな。それは。

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