40 不意打ち③

 静かな部屋、雪乃はある人の写真を見つめていた。

 そして、後ろから雪乃のお母さんが入ってくる。


「ごめんね……。宮下くんと一緒にいたいのは分かるけど、今日は……」

「ううん、私も知ってるよ。だから、お母さんも今日早めに帰ってきたんでしょ?」

「うん……」


 また静寂が流れてしまう。


「…………」

「全部……、お母さんのだから」

「ううん……。お母さんのせいじゃないよ……? そんなこと言わないで……」

「雪乃ちゃん……」

「元気出して……! お母さんのそばには私がいるから……」

「うん」


 ……


 あ……、もうダメって言わないといけないのに……。

 どこまで……、どこまでするつもりだ。小林さんは。

 とはいえ、これを言っても小林さんは聞いてくれないから……、俺はそのままずっとやられっぱなしだった。ベッドで彼女でもない女子と……、エッチな行為をしている。小林さんに唇を奪われて……、体も奪われていた。


 なのに、俺は何もできなかった。


「はあ……、気持ちいい。宮下くんも気持ちいいよね? だよね?」

「…………」

「ねえ……、宮下くん……気持ちいいよね?」

「うっ……!」


 すぐ手のひらで頬を叩く小林さんだった。


「私の話に答えなさい」

「……はい」

「気持ちいいよね……?」

「はい……」

「私も……すっごく気持ちいい……。好きだよ」

「…………」

「好きって言って」

「す、好きです……」

「胡桃沢雪乃より好き?」

「はい……」


 首筋を噛む小林さんは先からずっと自分の証を残していた。

 胡桃沢さんが残したあのキスマークの上に、自分のキスマークをつける。体にも、首筋にも、見えるところには全部。俺は何もできないまま……、小林さんの言う通りに「気持ちいい」と「好き」を言うだけだった。


 気持ちよさそうなその声が聞こえるたび、もう戻れないって恐怖が俺を襲う。

 小林さんはもう俺を他人の彼氏だと認識していなかった。

 今は……自分の彼氏だと、強いてそう考えているように見える。


「へへ……、宮下くんの体に私のキスマークたくさん残しちゃった〜!」

「…………」

「嬉しいよね? 可愛い女の子にこんなのつけてもらったから!」

「は、はい……」

「ねえ……、まだ胡桃沢雪乃のこと心配してるの?」

「…………」


 素直に言えなかった。


「大丈夫。たとえ、今は他人の物だとしても奪って私の物にすればいい……。それだけよ」

「…………」

「ううん———」


 朝陽をぎゅっと抱きしめるいちか。


「私はこの日をずっと待っていたよ……?」

「そ、そうですか……」

「うん……。じゃあ……、今度は宮下くんが奉仕して」


 そう言ってから、俺の目を覆っていた布と足を縛っていたテープを外してくれた。

 そして、そこには下着姿の小林さんが俺を見つめている。

 彼女の体はとても細くて……弱々しく見えた。


「やっぱり、可愛いね。宮下くんは……」

「…………制服は……」

「脱いだよ。ねえ、今日の下着可愛いでしょ? 宮下くんのために買ったから……」

「…………」

「褒めて……」

「綺麗です……」

「ぷっ……。こんなに簡単だったのに、どうして私はずっと悩んでいたのかな?」

「…………」

「最初からこうやった方がもっと早かったのにね?」

「はい……」


 俺の首に腕を回す小林さん、彼女と目を合わせるのは恐怖そのものだった。

 そして自分の方に近づかせる。


「ねえ……、私にもつけてほしい」

「…………」

「つけて」

「はい……」


 温かい……、本当に温かいな……。

 人の温もりって、どうしてこんなに……気持ち悪いほど温かいのかな……。


「…………うっ」


 ……


 ソファに座ってる二人。


「そういえば……、今日も宮下くんの家に行くって言ったよね? 雪乃ちゃん」

「あっ……、うん。でも……」

「いいからそっちに行ってみ。お母さんはもう大丈夫だから」

「うん……」


 スマホを出して朝陽に電話をかける雪乃。

 もちろん、電話には出ない朝陽だった。


「電話……出ないね。何をしてるの……?」


 仕方がなく、雪乃は朝陽の家まで歩いて行くことにした。


「今日は……、夕飯もまだ食べてないから! 一緒に鍋料理食べたいな〜」


 ……


「私……幸せだから……。今、すっごく幸せだよ……」

「…………」

「でも、やっぱり最後までやりたくなる」

「これでもういいんじゃないですか……?」

「嫌、これは宮下くんが私の物になるために必要なことだよ?」

「こんなこと、やっぱりダメっ———」


 また……、後ろから何か……。

 まさか、あれか……?


 隠していたスタンガンで朝陽を気絶させるいちか、ずっと我慢していた笑いが出てしまう。


「あははははははっ。やっと私の物になったよ……。宮下くん♡」

「誰が……?」


 その一言に部屋は静まり返る。


「えっ……?」


 部屋の扉を開けたのは食材を買ってきた雪乃だった。


「く、胡桃沢雪乃……? ど、どうしてあんたがここに?」

「彼氏の家に来るのは彼女として普通だと思うけど……、それより……ここで何してんの? どうして私の朝陽くんが半裸の姿をして気絶してるの? うん……? ちゃんと……説明してくれない?」

「……何? 元々、宮下くんは私が先に好きだった人だから……あんたは気にしなくてもいいんじゃないの? ねえ。最近変な噂が聞こえるけど、それは嘘だよね?」

「へえ……、想像以上頭が悪い人だったんだ。いちかちゃんは」


 死んだ目でいちかを見つめる雪乃。

 いちかはその場でわけ分からない恐怖を感じる。


「でも、もう……」

「…………うん。黙ってて分かったから……。ゴミと話すなんて……、私のミスだった」

「…………はあ?」

「はあ……、本当に。私がそんなに忠告したのに、無視するなんて……。ねえ、明日から楽しくなるかもしれないよ? いちかちゃん……」

「…………私は!」

「うん? 私はね。今日朝陽くんと鍋料理を作る予定だから、さっさと消えてくれない?」

「胡桃沢雪乃……、あんた最初から知っていたよね? こうなるのを……」

「何言ってんの……? そんなわけないでしょ?」


 微笑む雪乃はそのまま買ってきた食材を冷蔵庫に入れた。


「でも、宮下くん私とやったから……あんたが宮下くんとやったことと同じことを」

「だから、何? この場で殺してあげようか……? ねえ、私はさっさと消えてくれないって言ったよね?」


 学校では全然見られない雪乃の姿、その目から殺意を感じるいちかだった。

 それでも、彼女は無理をして強がる。

 どんどん声を上げていた。


「み、宮下くんは私が先に好きだったから、諦めてくれない? 諦めてよ!」

「…………ねえ、私の話を無視しないでほしい。あっ、でも少しは感謝しているよ」

「…………」

「ねえ、そんな余裕あるの? 明日から忙しくなるはずだから……、あのSNSからどうにかしてみて」

「く、胡桃沢雪乃……!」

「失せろ……。もう限界だから」

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