29 彼女の家で③

「あの……そろそろ離れてくれませんか?」

「ダメ、私はもうちょっとこうしたいからじっとして」

「は、はい……」


 まさか、あの胡桃沢さんを抱きしめる日が来るとは…思わなかった……。

 そして胡桃沢さんも俺にすごく頼ってるように見えるから、この関係を一秒でも早く定義しないといけない。このままじゃ……、また今日みたいな状況が起こるかもしれないから、曖昧なことはもう嫌だった。


 友達の関係を維持するのか、あるいは……それ以上の関係になるのか。

 凡人が生意気なことを考えていると言われるかもしれないけど、今まで胡桃沢さんとやってきた行為はほぼ恋人同士でやるべきことだったから。俺も胡桃沢さんも、それをちゃんと決める必要があった。


 もう誤解しないように、今日……ここで。


「はあ……。宮下くんはね……、私がこうやって甘えるのは嫌い?」

「えっ……? いいえ、嫌いとかそんなこと考えたことないんです」

「じゃあ……、好き?」

「す、好き……も……。よ、よく分かりません」


 どうしてこんなことを言ってるんだろう……。


「なでなでして……」

「えっ……? 今ですか? 明日じゃダメですか?」

「明日じゃ意味ないでしょ?」

「…………確かに」

「早く、なでなでして……」

「は、はい……」


 なんか……、二人の距離感が前よりもっとおかしくなったような……?

 これでいいのか……? 本当にこのままで大丈夫なのか……。

 仕方がなく、胡桃沢さんの頭を優しく撫でてあげた。どうして、彼女がこんなことをやらせるのか分からない。でも、一つだけ……胡桃沢さんが甘えてくるのはどうしても拒否するのができなかった。最初は……やりたくないって気持ちばかりだったのに、今は彼女との約束を言い訳にして……それをやるしかないと思っている。とても怖い……、胡桃沢さんに惚れてしまう俺がとても怖かった。


「へへへ……、好きぃ……」


 また……「好き」という言葉を言い出す。

 そんなに軽々しく言ってもいい言葉じゃないのに……、反論できない。


「あの! 胡桃沢さん……、前からずっと言いたかったことが……! もちろん、一度言ったことあることですけど……」

「うん……?」

「俺は……、胡桃沢さんといい友達になりたいから。もうこういう行為はやめましょう。胡桃沢さんは気にしないかもしれませんけど、俺にはその一つ一つがすごく気になってずっと……これをどうしたらいいのか分からなくなります」

「えっ……? どうして?」

「と、友達同士で抱きしめたり……、頭を撫でたりしませんから……」


 そして、一つの疑問を抱いてしまう。

 俺は体を抱きしめるのも頭を撫でるのもできない普通の関係に戻ろうとしただけなのに、どうして今の発言が彼女に悪いことだと思ってるんだろう。


「だから……、私の言う通りにしたくないってことだよね?」

「いいえ……。それじゃなくて、ただ……こんな風に胡桃沢さんとくっつくのはよくないと思うだけです」

「じゃあ、私が抱きしめてほしいって言ったらどうするつもり?」

「そ、それは…………」

「矛盾してない? あるいは、私とそんなことやっちゃったからもう興味ないってことかな?」

「いいえ……。ただこのままじゃ胡桃沢さんのことを好きになるかもしれないから、それが怖いんです」

「どうして……?」

「彼女を作るのが怖いから……」

「ふーん」


 俺を離してくれなかった胡桃沢さんは、そのまま話していた。こういうのはダメなのに……、こうなったら俺も胡桃沢さんに「好き」と言うしかないから……。それがとても怖い。相手が可愛い胡桃沢さんだから、俺には天使様みたいな存在だから……早くこれをどうにかしないともう戻れないと思っていた。


 すでに、どん底の中だった。


「あのね……。私……こんなことまで言いたくなかったのに、宮下くんって本当に鈍感すぎるから……困る」

「えっ……?」

「女の子が男の子を誘った理由について考えたことあるの?」

「いいえ……」

「でしょ? じゃあ、私はどうして宮下くんをうちに呼んだのかな? 考えてみて」

「それは…………」

「今日……そばで何度も言ったはず……」


 俺をソファに倒した胡桃沢さんが、耳元で囁く。


「それは好きだから……」

「…………」

「宮下くんは……?」

「あの……、ちょっと離れてく、ください……」

「ちゃんと答えないと……、私このまま寝ちゃうからね?」

「…………俺も」


 こんな人が俺に好きって言ってるのに……、それを断るわけねえだろう。

 でも、ずっと届かないところにいる人だと思っていたから……。俺はそばで彼女を支えるだけでいいと思っていたから……。いきなりこんな展開になるとは思わなかった。今の話に心臓がドキドキしすぎて、頭が真っ白になる。


 この後は本能に任せた。


「す、好きです…………。胡桃沢さんのこと、好きです…………」

「…………その好きはどういう意味?」

「えっ……?」

「友達として? あるいは恋愛対象として……?」

「恋愛対象として……です」

「宮下くんは……私と付き合いたい?」

「もう……、そんなこと聞かないでください! は、恥ずかしいです! 俺、もう帰りますから!」

「私は行ってもいいって言ってないよ? 早く答えて」


 うわ……、その話を胡桃沢さんの前で話すのかよ。

 二度と言わないはずだと思っていたのに……。

 なのに……、思考回路が壊れた。


「付き合いたい……です。胡桃沢さんのことが好きだから……」

「ねえ、私と付き合うってどんな意味なのか知ってるよね?」

「えっ……? よく分かりませんけど……」

「ううん……簡単だよ! 私に従うこと。何があっても私を信じて、私の言う通りにして、私のために生きるの。それが彼氏だよね? そうだよね?」

「は、はい……」

「もちろん……、私も……宮下くんの物になったから……。今日から……、よろしくね! 朝陽くん……」


 恥ずかしそうに顔を隠す胡桃沢さん、彼女の耳が真っ赤になっていた。

 今のは……オッケーってことかな? 本当に?

 俺があの胡桃沢さんの……恋人になるのか……?


「よ、よろしくお願いします。胡桃沢さん……」


 この日、ソファで告白した俺は「朝陽くん」になってしまった。

 でも、目の前でそれを聞いたのに……、それが現実なのか夢なのか……よく分からなかった。頭が真っ白。それほど……、とんでもない状況がここで起こってしまったのだ。


 俺はただ、一緒に甘いものを食べて、ゆっくり時間を過ごしたかっただけ……。

 そして……胡桃沢さんの状態を確認したかっただけなのに……。


 今日、彼女ができるとは思わなかった……。

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