28 彼女の家で②

「あったか〜い」

「…………」

「でも、すぐ来てくれるとは思わなかったよ……。嬉しい……」

「し、心配になって……。胡桃沢さん、今日はずっと寝ていたから」


 お茶をテーブルに下ろした胡桃沢さんがこっちを見つめる。


「へえ……、私のこと心配してくれたの?」

「は、はい……。そんな約束、だったから」

「優しいね……」


 さりげなく俺の頭を撫でてくれた胡桃沢さんに、まだ嫌われてないんだと、なぜかほっとする。あの時の俺は何も言えなかったから、俺たちの関係もずっと曖昧だったから……、その場で悩んでいた。そして何も言わない方が、胡桃沢さんにもいいことだとそう思っていたからな……。


 でも、今は二人っきりだから聞いてみてもいいのか……?

 俺はまだ悩んでいた。


「今日…疲れたよね? みんなしつこいから」

「あ、そうですね……。でも、それは胡桃沢さんが人気者だから……仕方がありません」

「どうして私にそんなことを聞くのかマジ分からない。私ね。ちゃんと断ったのに、自分と付き合わない理由を説明してほしいって言われたの……。何度も説明したはずのにそれでも全然分かってくれないのは……、やはり私のことを見くびってることだよね?」

「確かにあの人たちはしつこいから……」

「うん。疲れちゃったし、誰とも話したくなかったからずっと机に突っ伏したよ」


 だから、ずっと机に…………。


「でも、今は宮下くんが来てくれたから……すごく嬉しい」

「そうですか……? よかったですね」


 ケーキを食べる胡桃沢さんが微笑む。

 深刻な話に冷静を取り戻したけど、胡桃沢さんの方を見た俺はすぐ彼女のパジャマ姿に顔が真っ赤になってしまう。やばすぎ……胡桃沢さんは普段から短いズボンをはいてるんだ……。パジャマとはいえ、これって男に見せてもいい格好かな? 恋人同士ならいいと思うけど、俺にこんな姿を見せるのはよくないと思っていた……。服を着替えてくださいって言いたいのに……無理だよな。


 そういう雰囲気じゃなかった。


「甘いものと宮下くん、それだけで私は元気を出せる」

「はい……」

「でも……、やっぱりみんなにそんなことを言われるのは嫌だよ……」

「そうですね……。すみません、俺…陰キャだから何もできなくて……」

「ううん……。そんなこと考えなくてもいいよ。ただ…………」


 話がまだ終わってないような気がするけど、すぐ俺に抱きつく胡桃沢さんだった。

 いつもよりいい匂いがして、やばい……今の状況はすごくやばい。


「学校で……、私に声をかけてくれなかったから……。悲しいっていうか……、宮下くんがいなくなってつらかったよ……。すっごく」

「す、すみません……」

「なのに……、友達の清水くんとは仲良く話したよね……? 私にも気を使ってほしいのにぃ……」

「は、はい……。でも、学校では人目が多いし……」

「だから、ダメってわけ?」

「それは……」

「もっと私のことを大事にしてほしい……宮下くん。みんなの前でどれだけ強がっても、私も結局……弱い女の子だから何もできないよ……? こうやって宮下くんを抱きしめないと……、ずっと不安で……どんどん怖くなるから」


 腕に力を入れる胡桃沢さんに、俺は何もできなかった。

 口に出せなかったけど、今のことで心臓がすごくドキドキしている。そばからそうやって抱きしめるのは反則じゃないのかと思うけれど、今の状況ならこれが普通かもしれないと俺はそう思っていた。


「…………」

「ドキドキしてるね……」

「そ、それは……胡桃沢さんがくっついてるからですよ!」

「ふーん」


 シャンプーのいい匂いと、向こうから伝わる体の温もり。

 そして話す時に見上げる胡桃沢さんの目まで……、そのすべては人を狂わせるほど致命的だった。今日胡桃沢さんの家で一緒に甘いものを食べて、こうやってくっついて、そして二人しか知らない話をした。それだけで俺たちが普通の関係じゃないって知ってるのに、はっきりと言えないまま……時間だけが流れていく。


「あのね。私、気になるのがあるけど……」

「はい? なんでしょう?」

「宮下くんはどうして私を抱きしめてくれないの? 私だけじゃ……ずるいと思うけど」

「えっ……?」


 聞き間違いか?


「だ・か・ら・!」

「…………」

「私、今宮下くんのことを抱きしめてるじゃん?」

「は、はい……」

「なのに、どうして宮下くんは私のことを抱きしめてくれないのって聞いてるの」

「そ、それは……。俺にもよく分からないんです」

「私を抱きしめてよ。きっと気持ちよくなるはずだからね……?」


 き、気持ちよくなる……!? そんなことを男の前で言ってもいいのか……?

 それにその小さくて細い体を俺が抱きしめるなんて、今まで考えたこともない。


「私のこと……、大事にしてくれるよね? 宮下くん」

「は、はい! だ、大事にします!」

「じゃあ……、遠慮しなくてもいいよ……。もしかして、私の前でドキドキするのが恥ずかしいの?」

「い、いいえ……。他の意味で……」


 ためらっていた。


「ねえ、私のことを安心させてほしい……」


 その大きい目が俺を見つめていた。

 なぜか胡桃沢さんの言う通りにしないといけないって……、本能が彼女に従う。

 そして気づいた時はもう胡桃沢さんの体を抱きしめていた……。いろいろやばいって知ってるのに、安心させてって言う胡桃沢さんをほっておくのができなかった。しばらく……このままじっとする。


「…………誰もいない家で、こんなことをして……宮下くんはどう思う?」

「よ、よくないと……思います」

「ねえ。私にこんなことをしてもいい人は……宮下くんだけよ」

「…………」


 その話に、耳と顔が熱くなる。


「ふふっ、恥ずかしいの……?」

「は、はい……」

「可愛い……。私はね……。宮下くんと一緒にいる時が一番楽しい……、私の大切な人だよ。宮下くんは……」


 この人はどうして……、あの時の俺が聞きたかった言葉をさりげなく話してくれるんだろう。ずっと彼女なんかいらないって思ってたのに、その考えが心の底からどんどん消えていくような気がした。胡桃沢さんと出会って……、俺が少しずつ変わっていく。


「はあ……、好きぃ…………」


 そして朝陽に抱きしめられた雪乃は、真っ赤になった自分の顔に幸せを感じる。

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