禁図書館の司書官隊《ブックエンド》

灰汁須玉響 健午

第1話

「ああ、もう、どこへ行ったのですか、隊長チーフは!」

巨大な三階建ての洋館のホールに、高めの澄んだ声がこだまする。やや息が上がっているのは、この広すぎる建物内を早足でぐるりと一回りしてきたからだ。

妃院透湖きさきいんとうこは頬を膨らませ、眉間に皺を寄せていた。いつもは一つに結い上げられているシルバーグレーの長髪は、授業外ということもあっておろされている。鈍色を思わせる暗めの銀髪は、染色などではなく、百パーセントの天然モノだ。その異質な色の髪と丸く大きな目は、さらに整いすぎた涼しげな顔立ちと相まって、時に人形を連想させる。今のように制服ならまだしも、これでフリルのついたドレスでも着ていた日には、間違いなく等身大の人形に見えてしまうことだろう。

「どうした、大きな声を出して」

 一階奥のバックルームから顔を出したのは、長身に眼鏡の少年――戸村とむら清住きよすみだった。彼は透湖の一つ上の五年生で、この建物の運営、管理、警備を任されている司書官隊の副隊長だ。

「隊長がいないのです。これから、執行部の方々とミーティングだというのに」

 奇麗な眉を八の字に歪めて、透湖は言う。

「京なら、おそらく屋根裏だろう。三十分ほど前だが、なにやら本をたくさん抱えて第六書蔵庫のほうに向かっていったのを見たぞ」

 銀縁の眼鏡を中指でくいっと上げながら清住は言った。見るに知的美少年といえなくもない彼だが、その冷たそうな外見そのままに冷静沈着、クールな男だ。クールすぎて、薄情ですらある。

「屋根裏へ? 何の用でしょう」

「そうだな。多分あれのことだ。背の高いハードカバーの本を組み合わせて、迷路かなんかを作っているのだろう」

 透湖の疑問に間髪いれず、清住はそんなことを呟く。

 本で迷路? そんな馬鹿な、と思ったところで、すぐにその可能性がどれほど高いかを考え直す。

 普通ならありえないが、相手はあの男だ。彼が本を抱えてすることなど、決まっている。膨大な量のハードカバーが蔵書されているのをいいことに、それで迷路を作ったり、ドミノを作ったり、そんなことばかりしている。本棚に入りきらない本を山積みにしている現状も確かに悪いが、本を読むかコレクションする以外の用途で遊ぶなどあってはならないと、優等生の透湖は眉を顰める。

「ありがとうございます。行ってみます」

 ペコリとお辞儀をして、透湖は階段を上り始める。

 メインエントランスの後ろ、左右両方に作られている二階への階段。ホールの上は、二階まで吹き抜けの造りになっていて、各部屋と奥の間に通じる渡り廊下が円をなして広がっている。建築様式が何式かなどということは透湖には分からないが、この建物が元は貴族の所有していた洋館で、少なくとも三百年以上も前の代物であるというのは、話に聞いたことがある。内部は百年前に大改装され、生活を主とした『家』の造りから、今の『図書館』の造りに変わった。そうはいっても、建物の骨格が変わるわけではないので、今でもいかにもな洋館なのである。

 透湖は三階へと通じる階段を求めて、右階段を上って一番手前のドアから、奥へと通じるL字廊下へと歩みを進める。こういう細い部屋と部屋を繋ぐ廊下は、図書館となった今ではとりわけ気味が悪い。窓の無いところが多く、昼でもライトがなければ、真っ暗だ。

 L字廊下を突き当たると、西側の小ホールに出る。ホール自体は十四畳ほどで、そこからさらに三方向、三つの部屋に続くドアがある。ホールの中央には螺旋階段があり、それが三階への入り口だ。

螺旋階段を上がると、そこには少し異質な空間が広がっている。鍵のついた本棚が四方にびっしりと並んでいるからだ。三階には、危険・重要度の高い所謂『禁書』と呼ばれるものが多く保管されている。それでも螺旋階段を上がった先に広がるフロアにあるのは、それほど危険なものではなく、一部は一般の人間も見学のできるレベルの本だ。危険・重要指定されているものは、このフロアの先にある部屋。二階と同様に三方向に部屋が続いているが、二階とは微妙に方角が違う。つまり、二階の部屋の上に三階の部屋はなく、食い違うようにずらしてあるのだ。それは、二階の部屋からの侵入を防ぐ目的があるとか。

 透湖は南方の部屋に繋がる入り口の前に立ち、センサーに手をかざす。指紋認証システムだ。このドアに入れるのは、司書官第三級以上の人間と決められている。ドアを潜ると、三メートルほどのつなぎ廊下があり、すぐにまた部屋の入り口が見えてくる。ドアには『第六書蔵庫 召喚魔道書・召喚獣』と書かれている。そしてこの部屋の奥から、やっと屋根裏部屋に行けるのだ。

はしごの下りる仕掛け天井のある場所へ進もうと通路を曲がろうとしたところで、透湖は違和感を覚えた。それもそのはず、曲がり角辺りから、分厚い本で囲われた四角い通路のようなものができていたからだった。それは、本のトンネルのようだ。

透湖は呆れ顔でトンネルを見詰めた。

上の部分はどうしてあるかと思って覗いてみると、きちんと木製の板が渡してあった。ほう、しっかりした造りになっている、などと感心したところで、その板に見覚えがあることに気づく。

クルクルと思考を回転させていると、ふと思い出す。

この板は、あれだ。本棚の底板だ。本に合わせて高さを変えられる、ビスで支えるあれだ。ということは、少なくともこの数メートル分、おそらく十数枚の底板が引き抜かれていることになる。

とすると、その本棚に並んでいた本は?など訊くまでもない、このトンネルの一部に使われているに違いない。

透湖は大きなため息をつくと、キッとトンネルを睨みつけた。このトンネルの向こうに、あのアホの隊長がいる。屋根裏までの道をこの本で囲ってあるのだ。透湖は勢い良く歩き出した。さっさと隊長を捕まえて、大事なミーティングに連れて行かなければならない。

と、透湖の歩みは、三歩ほど進んだところで、鈍い音と共に終わった。おでこに痛みが走る。

っつぅぅ」

 思わず鼻とおでこを押さえ、なみだ目になる。歩みの勢いがあっただけに、ぶつかった衝撃も強かった。

 思いもよらない痛みから何とか冷静になると、透湖に疑問が浮かぶ。当然だ。本で作られたトンネル、それを通ろうしただけなのに、果たして自分は何にぶつかったのか。トンネルの天井ではない。長身の清住ならまだしも、百六十センチにも満たない透湖の身長では、上には当たらない。もし仮に当たったとしても、それなら一歩目で当たっているはずだ。

 そう思って、よくよく見ると、なんてことはない。写真だ。このトンネルの中を忠実に、そして、緻密に原寸大で撮った写真だ。その等身大の写真がパネルに貼られ、それが壁となって通路を塞いでいるわけだ。少しだけ奥まって暗くなっているため、見た目には普通にトンネルが続いているように見える。

 なんということだ。

 透湖の頭に急激に血が上る。

 こんな古典的な手に引っかかる自分も愚かで情けないが、それを仕掛ける彼はもっと始末が悪い。

「チィィィィィィィフゥゥゥゥゥ!」

 渾身の怒りを込めて、透湖は叫ぶ。

 乱暴にパネルをどかし、なおも続く本のトンネルを突き進む。ぶら下がっていた『ここから京ちゃんの秘密基地~こっちがホントの入り口よ~』と言う札も完全に無視だ。それでも念のため手を前に出しつつ進んでいるのは、同じ鉄を二度踏まないためだった。

 五メートルほど進むと、はしごが見えてきた。

なにやら、話し声も聞こえる。

『うわっ、なんスかこれ。スゴイ格好っスね』

 この声は、隊長チーフ・夏八木京介のものではない。この若干軽い喋り方は、三級司書官の南雲 解のものだ。巻き込まれたのか、自ら志願したのか、京介のこの悪戯に付き合っているということか。透湖はやれやれと思いながら、はしごを上ろうとしたが、

『だろう?こっちはどうだ? 妃院透湖、幻の巫女服バージョンだ!』

 反応せざるを得ないワード満載の京介の声に、しばらく聞き耳を立てることにする。

『おお~妃院先輩可愛いっスね。さっきのメイド服もよかったですけど、巫女服はまた似合う』

 おかしい。

 透湖はぐるりと考える。

 メイド服、巫女服? 私? 巫女服?

『これは貴重だから、一枚五千円の値がついております。だが、解。お前は特別に四千五百円でいいぞ!』

 五千円? 私の巫女服のなにが? いや、考えるまでもない。おそらく写真だろう。だが、待って。私は巫女服など着たことが……あった。

 それからの透湖の行動は早かった。一説では音速を超えていたとも言う。誰も見てはいなかったが。

「隊長(チーフ)! なにをやっているんですか!」

 一瞬ではしごを駆け上った透湖は、開口一番、渇を飛ばす。

「やあ、透湖ぴょんじゃないか。ああ、今ね、この秘密基地を手伝ってくれたお礼として、俺の秘蔵版・妃院透湖写真集を見せていたところなんだ」

 何も悪びれるそぶりなど見せず、気持ちのよいくらいに堂々と言ってのける。

 もうなにから怒ればいいのか、わからない。

 ミーティングの忘却、本のトンネル、写真の無断販売、名前の末尾に変な言葉をつける……。透湖の頭のあたりから、ぶちっという音がした、様な気がした。

 コォォォォォォ

 空気が震え、小さく共鳴するような独特な音が鳴り響く。

「いやあ、待て待て待て待て、分かった、謝るから、本気で謝るから!」

「おお、落ち着いてください、妃院先輩、これはほんの遊び心ですよ!」

 一転、怯える二人。それもそのはず、透湖は今、その銀髪が浮き上がるほど魔力が高まっている。その大きさから考えるに、上級魔法の一発や二発は撃てそうな量だ。それが破壊系の魔法だったら、この屋根裏と京介たちは、木っ端微塵に吹き飛ぶことになる。

「そうだ、透湖ぴょんが奇麗過ぎるのがいけないんだ! 美は時にして罪なものだ」

 今ひとつ真剣みのない口調でいう京介に、透湖の怒りはますます募る。

「捕縛せよ、因果の鎖、絡みつく闇、その自由を奪え」

 素早く詠唱すると、透湖の手の先に青黒い光が集まり始める。が、

「きゃっ」

 パンッ、と弾けて、消滅する。

 ニヤリと笑ったのは、京介だった。

「ハハッ! ダメだよ。緊急時でもないのに、レベル2以上の力を使うなんて。この学園内で、それもこの『図書館』内では強制的にキャンセルがかかるに決まっているじゃないか」

 そうだった、と今更のように透湖は思い出す。

 この学園の広大な敷地には、永続的な魔方陣と魔術列柱、その他複雑な装置により制限がかけられている。特殊な能力を扱うものたちを育成するシステムのあるこの学園ならではの特別な仕掛けだ。私情で習いたての不完全な力を使わないために、授業意外でレベル2以上の心身や因果律に影響を及ぼす魔法は使えないことになっているのだ。もっとも、例外はあるが。

 シンプルに『魔法』と呼ばれるこの特殊な能力を敷地内で使用できるのは、完全監視と緊急事態時の自動魔法中和機能のある鍛錬場と、授業のために教師が指定解除をしたときだけだ。

「それで、なにか用じゃないのかい?」

 そう聞かれて、透湖は本来の目的を思い出す。怒りは一先ず置いておいて。

「はい…そうです。今日は生徒会執行部の方とミーティングです。あと五分で始まってしまいますので急いで下さい」

「ああ、そうだったっけ。それなら、メールでも送ってくれればよかったのに」

「それだと、隊長は見事にスルーしますから。直接連れて行くのが一番確実なのですよ」

 つんと澄まして、勝ち誇ったように言う透湖。

「鋭いな、透湖ぴょんは」

「やめてください」

「透湖にゃん」

「嫌です」

「サイボーグ透湖」

「意味不明です」

 京介への突っ込みは、慣れたものだ。

「そういうわけで、俺は行かねばならない。あとは頼んだぞ、解」

「はいっ! ってなにをですか?」

 清々しく言う京介に、返事はしてみたものの、何のことやらわからない。

「ここの片付けさ」

 グッと親指を立てて、アイドル張りの笑顔を決めるこの書庫の責任者に、解はポカンとする。

「本だけは元に戻しておいてください。あとはミーティングが済み次第、このアンポンタンがやりますので」

 京介の首根っこを掴んだ透湖が、穏やかに言って手を振る。

「全部片付けてしまってもかまわないよ。俺は君を信じている。君ならやれる! 任せたよ。ハハハハハッ」

 母猫に運ばれる子猫のような体勢で引きずられながら、なおもキラキラと輝いている京介を解は苦笑いで見送った。

「ははっ、これ全部……僕がですか。はぁ……」

 もう誰も聞いていない屋根裏部屋で解は呟く。

 腕時計を見ると、午後の四時にさしかかろうとしていた。

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