第108話:時間が解決してくれることもある
俺にとっては一眠りに過ぎない5年の月日を経たアスガルドは、凄まじく様変わりしていた。
まず、封印神殿がある魔王平原から入国するための関所が、きちんと修理されている。
俺は時間を止めて《飛翔》スキルで上空から抜けたので不法入国できたが、平凡な能力を持つ普通の人物が不法入国することは、もうできないだろう。
たった5年前は不法入国し放題の無法地帯だったのに、たいした整備具合である。
この世界に魔術がなければこれほどの速度での建築は実現できなかっただろう。
さらに空を飛んでいると王都が見えてくるが、遠くから見ると景色が原型をとどめていなさ過ぎて本当に王都なのかよくわからなくなる。
貧民街だった場所が城壁でおおわれている他、その周辺に整備された農場も、何やら部分的に機械化されているように見える。
魔道具を発展させて機械めいた何か、魔導機械とでもいうべきものを食糧生産に使っているのだろうか。
だとすると、5年という時間で増える人口はたかが知れていることを考慮に入れれば、農業従事者の数は減ったという事か。
それ以外の産業がどう発展しているかにもよるが、貧民街の多くの者達が別の働き口を得て社会を発展させることができているのなら、それはいいことなのだろう。
そのあたりは、実際に中を歩いて確かめることにしよう。
かつて貧民街であったエリアを歩いてまず耳に飛び込んでくるのは、大勢の子供の声だ。
赤子の鳴き声も、5歳程度の子どもたちが遊びまわる楽しげな声も入り混じり、町全体が巨大な保育園か幼稚園であるかのような感覚を与えてくる。
女王の人口増加策の第一弾、出産の奨励はこの5年で十分な効果をあげているということか。
そして、多くの女たちがあわただしくあちこち走り回りながら子供の面倒を見ているのも目を引く。
魔物と戦って死ぬのが男の役目なら、次代につなぐ命を育む役割が女に振り分けられるのは、まあ自然なことではある。
それとも、ここにいる女たちはかつて迷宮国家にいて将軍ラルファスに捕らえられた、ここにいる子供たちの母親たちだったりするのだろうか。
いずれにせよ、そんな中を一人そぞろ歩く男、つまり俺は、今のこの町にとっては明らかな異分子と言える。
「とっととなじみのある場所に向かうか」
俺は内側の城門をくぐり、まずは自宅に向かうことにした。
5年。
その時間の重みを、自宅に帰るという事を意識した瞬間に、妙に重く感じる。
家主である俺が5年行方不明だった間に屋敷が女王によって召し上げられて別の貴族に割り当てられたりしている可能性も十分にあると考えるべきだろう。
そう、思っていたのだが。
「まさか宿屋になっているとは……」
俺の家であった屋敷の正門には『孤高の蒼月亭』という、男子中学生が必死に考えたようなセンスの、格好良くクールな方向性を頑張って捻出した感じの店名が掲げられ、「おひとり様1泊1万サフィア」という、雑な円換算で1泊10万円という強気の価格が掲示されていた。
俺はやむなく、今は他人の経営する宿屋と化した自宅の門をくぐり、受付の女性に声をかけた。
「済まない、5年ほど前にここに住んでいた男について何か知らないか」
だが、受付の女性は俺の問いには答えず、ポカンと口をあけて俺を見ていた。
「……フェイトお兄ちゃん?」
俺に妹はいないはずだが、なぜか受付の女性は俺にそう訊ねてくる。
思い返せば、俺をそう呼んでもおかしくない人物に一人だけ心当たりがあった。
少なくとも5年前、出会った時の彼女は俺やメトをお兄ちゃん、お姉ちゃんと呼んでいた気がする。
「ターニャか。大きくなったな」
俺がそう言うと、受付の女性は涙を浮かべた。
「お兄ちゃんだぁ……ほんとに、ほんとにお兄ちゃんだぁ……!」
そのまま号泣しだした受付の女性にどう接していいか分からず、俺はただ立ち尽くした。
「どうしたんだいターニャ……おや、ダンジョン・ディガーのご帰還かい」
奥から出てきた柔和な印象の老人は、駆け出しのころに世話になっていた安宿の主人か。
「奥の倉庫の整理を手伝ってくれないかい? 君が残していったゴーレムの稼ぎを、ずっと積んであるんだ」
その老人の方便を、俺は正しく方便と理解し。
その上で、首肯を返した。
きっと倉庫の整理が終わるころには、老人は俺の知人を呼び集め、俺をつるし上げる準備を整えているだろう。
まあ、それは構わない。
俺自身予期していなかったとはいえ、5年の間留守にしていたのは俺の落ち度だ。
と、思っていたのだが。
「よくまあこれだけ呼び集めたもんだ……」
俺は参加者の顔ぶれを見て、頭を抱えた。
メト、賢者エメラ、戦乙女、ティータ、ターニャあたりはまあ当然いるとして。
女王、第一王女レイア、第二王女アストレア、宮廷魔術師ジーナもまあ、手前みそな言い草だが、俺の戦闘力が国家にとってどれだけ重要かを考えればまあわかるとして。
世話になった職人ギルド、商人ギルドの面々や冒険者ギルドマスターもわかるとして。
なんで、シャルや魔術師アリサ、聖術師カノン、戦士アレックス、剣士ヴェイン、狩人ジョセフまでいるのだ。
だが、今の俺はそんなことに抗議できる立場ではないらしい。
それは、散々泣かれ、抱きしめられ、どつきまわされて思い知った。
「さて、それじゃあ聞かせてちょうだいフェイト君。どこをほっつき歩いていたのか」
ひとしきり手荒な歓迎を受けた俺に、笑顔で問う女王。
だが全く目の奥が笑っていない。
「封印神殿で5年寝ていた。俺への侵蝕を開始していた邪神のかけらから地母神ヴァルナを救出した代償だ」
こういう時は端的に事実を伝えるに限る。
とりつくろえばそれだけ印象が悪くなるだけだ。
「そう。救出は成功したのね」
幸い、女王の反応は悪くなかった。
「肯定。だが、そこどまりだ。地母神ヴァルナへの主権返還を神々に交渉する方法は全く分からん」
「あー……」
続けた俺の言葉への反応は、なんというか、微妙だった。
「この5年で何か、変化があったのか?」
「いろいろあったわ。フェイト君がいなくなった後、国民の9割5分くらいだったかしら、ほぼ全員が『ダンジョン・ディガーが帰ってくるまでに、彼に自慢できる国にして迎え入れてやりたい、なんでもするからすべきことを教えろ』って詰めかけてきて……」
てっきり、嫌われ、やっかみを受けるばかりだと思っていたのだが……暴動を起こされるレベルで人気があったのか、俺。
その割に、俺が戻っても「人気者が帰ってきたぞ!」的な騒動は起きなかったが。
「それからしばらくは、賢者さまやひいおばあさまに教えを請い、古の魔道具の再現を職人ギルドに命じたり、比較的体が出来上がっていれば、指導者との同伴を条件に子供でも迷宮に立ち入ることを許可したり、王都の区画整理をやり直したりしていたんだけど」
民衆の力ってすげー。
そしてその民を御しきれる女王のカリスマがもはやとどまるところを知らない件について。
「ある日神託があったのよ。王都の全ての人間が聞いていたと思うわ」
何やら雲行きが怪しくなってきた。
「『闇に抗う人の子よ、滅亡寸前の有様からよくぞここまで持ち直した。神々はこの大地に関する放棄の決定を覆し、この大地を再度管理すると決断した、自らを見放した神々の目に再び止まるほどの偉業を成し遂げたことを誇るがよい』だったかしら」
女王が語った神の使いの言葉は、なんとも腹が立つ言い草ではあるが。
それを差し引いても、神がこの世界を再度守ってくれるというのなら、いい話だろう。
民を想うこの女王がどういう決断をするかは、聞くまでもない。
「つまり今、この世界は神々の支配下に?」
女王は首を横に振った。
まさか女王は断ったのか。民を危険にさらしてまで地母神ヴァルナの帰還を望むと神に交渉するような蛮勇は、この女王には無縁のものだと思っていたが。
「ほぼすべての民が、空に浮かぶ光に向かって罵倒しまくったの……」
女王は天を仰いだ。
女王、全く民を御しきれていなかった件について。
この国、そのうち共和化への道を歩んだりするんじゃないだろうか。
「ジーナまで『勝手に見捨てといて持ち直したらまた支配してやるなんてふざけてんのか、こっちから願い下げだヴォケ』みたいな口汚いことを言ってたわね」
女王が半笑いで目を向けると、宮廷魔術師ジーナは顔を覆ってその場にうずくまってしまった。どうやら相当の黒歴史らしい。
だが、気持ちはわかる。
「御使いだと思われるその光は少し沈黙した後『神々は諸君の意思を尊重し、大地の再放棄を決定した。諸君らの道は二つだ。このまま暗域に沈み、暗域の存在となるか、神々の決定に背きこの世界にとどまっている2柱の神のうちどちらかを主権神に据え、独立大地となるか』という言葉を告げてきたわ。その瞬間、全ての人のHPが消え去ったの。神と決別したからには
神と決別すれば加護を失うか。当然と言えば当然だが。
これまで加護に守られて痛みに極端に弱かったこの世界の人々にとって、それは地獄の苦しみだっただろう。
「それでも、誰も、誰も屈しなかった。ここで痛みなんかに負けて屈するなんて御免だった。そんな私たちを見た御使いは最後に、主権神の証だという指輪を私に授けて去っていったわ」
そう言って女王が取り出したのは、見た目には何の変哲もない普通の指輪。
見る者が見れば、その価値はわかるのだろうか。
いや、見て価値が分かるかはどうでもいい。
もしここまでの話が本当なら。
これを地母神ヴァルナに奉納すれば俺の目的は達せられるのではないだろうか。
問題は、地母神ヴァルナの他にもう一柱、この世界にとどまっている神がいるという話だ。そいつに指輪を奪われ、かつ、その神がこの世界に破滅をもたらすような神であった場合……
(あなたは主神を忘れるほど不信心者ではないはずよ)
忘れてましたごめんなさい孤独の女神様。
「女王、すぐに馬車の用意を。俺が引いて走る。すぐにでも、地母神ヴァルナにその指輪を奉納してほしい」
「もちろん。こっちからそうお願いするつもりだったもの」
柔和に微笑む女王に、俺は首肯を返して表通りに出た。
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