第107話:地母神の帰還

 第30層、戦乙女と出会った部屋に入ると、魔剣はすぐに一つの座標を示してきた。


「解析完了です。そこの座標に、この迷宮における邪神の核があります」


 魔剣の示した座標に盗賊技能とドラゴンの《魔眼》を集中することでかろうじて見えた空間の間隙、そこに俺は手を突っ込み、触れた石のようなものを引きずり出した。


「これが邪神の欠片か……ぐあっ」


 引きずり出した直後、俺は手に痛みを覚え、ついそれを放り出してしまう。


「すげえ怨念だなおい」


「旧地母神ウルナの怨念は、ここにあるようですね」


 鎧型の悪魔と魔剣が呑気に話しているが、これは由々しき問題だ。

 疑似的な時間停止すら手にした異次元の能力を有する俺が、この世界基準では痛くて我慢できない《加護転換》に痛みを感じることすらない俺が、それでもなお痛みで保持できなくなるほどの怨念、瘴気をまき散らす邪神の欠片を地上に持ち出せば、5桁は死人が出るだろう。

 後ろで悶絶しているメト達が悶絶で済んでいるのは、俺と一緒に1000年程修行したうえで能力を同調させているからだ。一般人ならコンマ2秒と持たずに即死だろう。

 何ならそのまま、次のコンマ2秒で死体がアンデッドになってもおかしくない。


「メト、賢者エメラと戦乙女を連れて地上に戻れ。俺はこれを持って転移する」


 メトの足元に《携帯非常口》を放り投げ、俺は《邪神の核》をひっつかんで、復活位置を封印神殿に設定した《身代わり人形》を装備して切腹した。


「転移の仕方が強引すぎますぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」


 メトはギャン泣きしながらも、賢者エメラと戦乙女を抱えて《携帯非常口》が開いたポータルに飛び込んでいった。



「早いお戻りでしたね」


 狙い通り、邪神の核を持ったまま、封印神殿の最奥部で復活できた俺に、壁に埋まった女性の姿をした検索用端末エルモは静かに見下ろしていた。


「ああ。一つは、すぐ見つかった。あと5つだな……この激痛をあと5回味わうのは勘弁してほしいとも思うが、仕方ない」


 俺は《邪神の核》を差し出した。

 ちなみに収納魔術に入れる考えもあったが、収納魔術内が瘴気で汚染されて、魔力の逆流に酔って俺の体が内側から汚染されまくる可能性から却下だ。


「旧地母神ヴァルナは欠損なくこの中にいるようです。分離はすぐに実行しますか?」


「それは朗報だな。是非頼む」


「準備はできています。中心の魔法陣に乗ってください」


 俺はエルモの言葉に従い、エルモが指し示す、光る幾何学文様が描かれた床に足を運んだ。

 直後、せりあがってきた床の形は、どこかベッドに似ていた。


 そういう事だと判断し、寝そべる。


 何かの、恐らくは探知系の魔術がいくつか俺の周りを動き、


「人造神ヴァヴェルの侵蝕が進んでいます。旧地母神ヴァルナを分離した場合、人造神ヴァヴェルは完全に侵蝕対象をあなたに定めることが推測されます」


「この際、地母神ヴァルナを救出できただけで良しとするか」


 どうやら、手でつかんだだけでも俺の体は汚染されまくっていたらしい。

 元より俺は、招かれもせず、勝手にこの世界に踏み入って居座っている不法滞在者だ。

 この世界の本来の主の復権に寄与して死ねるなら、まあ、それも一興だろう。


「始めてくれ、エルモ。もし俺が人造神ヴァヴェルに取り込まれ、無差別破壊を始めるようなら殺処分を頼む」


 俺は最後にそれだけ言って、目を閉じた。



 目を覚ました時、俺の姿は眠る前と変わっていなかった。

 もっとこう、甲殻に覆われたり羽が生えたり目が4つになったり足が蹄になったり尻尾が生えたりしてる可能性もあるかと思っていたのだが。


「邪神はお前の中で休眠している。魔剣が引き受けた呪いを押し付けた」


 鎧型の悪魔が軽い調子で言ってくる。

 どうやら、大変に世話をかけてしまったらしい。


 それはそれとして、邪神って邪神の呪いで眠るんだな。

 フグは自分の毒では死なないと聞いたことがあるんだが……いや、ワサビは自分の毒の影響を受けるから育てるのに大量の水がいるんだったか?

 まあ、詮無いことだ。


「許さない! 許さない! 許さないぃぃぃぃぃぃぃぃ!」


 俺が目を覚ますなり、掴みかかってくる緑髪の女性に比べれば、優先度も随分と低い。


 俺に殺意しかない目を向けてくるその女性は、きっと旧地母神ヴァルナだろう。

 旧地母神ヴァルナの、その怨嗟に満ちた表情を、俺は、美しいと思ってしまった。


 本来の権能を奪われ、それを奪い返すために手に入れた邪神としての力を奪われ、市井の女性と変わらぬ程度の力しかない、か弱い存在に貶められてなお。

 彼女は戦う意志を捨てていない。


 俺もまた、彼女にとっては、倒すべき、憎むべき怨敵だろう。


「地母神ヴァルナ、お目通りがかなったことを嬉しく思います」


 俺は、自然とその女性の前に跪いていた。

 加えて本来の、へりくだった口調がすんなり出たということは、ドラゴンの呪いは、存在の格がドラゴンより高い神を相手にするときまでは適用されないらしい。


「お前ぇぇぇぇぇぇ! よくも! よくも私を、ヴァヴェルから引きはがしたなぁぁぁぁぁぁ!」


 その女性は殴りかかってくる。

 しかしその殴打は、メトが甘えてポカポカ殴ってくるときよりはるかに優しい一撫でとしか感じられない。


 そうして、一体どれだけの時間殴られていただろうか。


 やがて、疲労困憊したのか、女性はへたり込んでさめざめと泣き始めた。


「地母神ヴァルナ、俺は、御身の復権を目論む者です。そのために、人造神ヴァヴェルは邪魔でした」


 ようやく話せる状態になった地母神ヴァルナに、俺は努めて優しく告げた。


「信じられるわけがない! 私が何度裏切られてきたと思っているんだ!」


 怒りに満ちた美しい泣き顔に、俺は、努めて優しく微笑んだ、つもりだ。

 うまく笑えているかわからない。


「構いません。俺は大地の主権を神々から奪い返し、御身の前に捧げるだけだ。俺の言葉を信じるのはそのあとで結構」


「お前に何の利益がある!」


「信じてもらえない以上語る言葉を持ちません。証を立てることを優先します」


 俺を問い詰める地母神ヴァルナとの話を切り上げ、俺はエルモに目を向けた。

 聞きたいことはただ一つ。


「エルモ、君の意見が聞きたい。光域の神を相手取って対等に交渉することを目標とした場合、俺の力はどの程度不足している」


「絶望的な不足です。人造神ヴァヴェルをもってしても、神々全てを相手取ることは不可能です」


 俺は両手両膝を地面についた。

 俺の目論見は見事に潰えたわけだ。


「ならば他に、俺にとれる、神を討つ手段はあるか」


「人造神ヴァヴェルを作り出した者達も、それを求めました。彼らの唯一の成果物が人造神ヴァヴェルです」


 要するに、人造神を作るような超絶頭脳を持ってる研究者を超える自信がなければ諦めろという話だな。


「心当たりは、あるな」


 賢者エメラに泣きつくか。

 最近彼女を酷使しすぎて過労死されないか心配ではあるが。


 俺はひとまず、アスガルドに戻ってメト達に状況を説明することにした。


「一つ大切なことを言い忘れていました」


 立ち去ろうとする俺を、エルモが呼び止めた。


「なんだ」


「地母神ヴァルナの救出作業には5年かかっています。外の世界も相応の変化を遂げていると思われますので、その旨ご承知おきください」


 声が出ない。

 その原因を求めて喉元に手をやれば、口が開いたまま固まっていた。

 開いた口が塞がらない、とは、こういうことだったのか。


 一度手動で口を閉ざしてから、返答する。


「忠告に感謝する。地母神ウルナの護衛は、任せて構わないな」


「行ってらっしゃいませ」


 エルモに送り出され、俺は今度こそアスガルドに戻ることにした。

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