第102話:こいつに必要なのはまともな父親
「朗報って、なんですか?」
急に聞こえづらくなった孤独の女神の声を聞こうと意識を割いていた時間が会話の合間の沈黙としては長すぎたのか、訊ねながら心配そうな視線を向けてくるメト。
俺は軽くかぶりを振って、ひとまずはメトの質問に答えることにした。
「君の速度を俺に追随できるようにする。俺と同じように、無限と言っていい訓練時間を得ることができれば、君の戦闘力は大きく向上するだろう。君が言うところの、君を手放したくなくなる理由が一つ増える」
「できるんですかぁ!?」
俺の説明に、予想に違わずメトは目を輝かせた。
そこまで喜ばれると、失敗した時の落胆が逆に不安になってくるのだが。
「いや、できるかはわからん。その意味では試すというべきだったか。済まない」
「早速試しましょう!」
失敗の可能性を理解していないか、失敗しても何度でも試せばいいと思っているかのように、メトはすごく乗り気だった。
「……とりあえず、戦乙女も呼んでくるか」
メトと俺の寝室を出て戦乙女の部屋に向かおうと踵を返した俺の前に、戦乙女は既に立っていた。
俺が振り返る動作に入ったときにはすでに後ろにいなければあり得ないことだ。
「お呼びでしょうか、ご主人様」
涼しい顔で言う戦乙女の動きに、後ろに立たれたことに、何故気づけなかったのか。
それが分からないことが、空恐ろしい。
戦乙女ではなく、ゴブリンに後ろに立たれ、そのまま後頭部を殴られたとしたら。
そのゴブリンが防御力とHPを貫通して一撃で相手を気絶させられるような武器を持っていたとしたら。
それだけで俺は死んでいた。
そして、孤独の女神の加護によって「知識を与え」られ、職業『ドラゴン』の《邪眼》によって数秒程度なら予知に匹敵する未来予知すら可能なはずの俺が、この帰結を一切予想できていなかったという事実が、俺に何らかの致命的な変化が起こっていることを如実に物語っていた。
俺は何を失ったのだろうか。
スキルリストから《邪眼》が消えているようなことはない。
孤独の女神の加護を失うほど、人と触れ合うことに喜びを見出したつもりもない。
10京年もの間、時間を止めてドラゴンを虐殺してばかりいたせいで、「敵が動く」という当然の事実と、無意識の感覚が合致しなくなっているとでも考えるのが妥当だろうか。
これについては、今後検証する必要があるだろう。
「ああ、呼んだ。……エメラ、二人に説明を頼む」
「説明といっても、たいしたことはないのだけれど」
苦笑する賢者エメラは正しい。
俺は思い付きで賢者エメラに『メトの速度を俺に合わせる魔術を作ってほしい』と言っただけで、具体的な話は何も決まっていないのだから。
賢者エメラがそれだけを説明した時、メトと戦乙女は顔を見合わせて笑った。
「今の話、何か面白かったか?」
俺が首をかしげると、メトは笑いながら答えてくれた。
「ご、ごめんなさいフェイト……実は、そういう魔術が欲しいってエメラさんにお願いしてて、昨晩ちょうど、フェイトの同意がないとできないけど一つ理論ができたって聞いてたので」
「なるほど。奇遇という奴か」
それであんなに笑えるというのは、共感しがたい感覚ではあるが。
箸が転げても面白い年ごろという奴だろうか。
まあそれはいい。
少々苛立たしいのは、その話を伏せていた賢者エメラだ。
何か理由あってのことだとは思うが、こうして笑い種にされるというのは当然、楽しい体験ではない。
とはいえ、戦力になるべき人物をいたずらに責め立てたところで得るものはないか。
「賢者エメラ、俺の同意が必要だという、その魔術理論について説明してくれ」
苛立ちを飲み込んで質問すると、賢者エメラは自分の横にいくつかの図形を投影した。
投影された魔術理論は難解で、俺には全く理解できなかったが、賢者エメラはそれをかいつまんで説明してくれた。
「端的に言えば、この魔術理論は、魂そのものを相手に預けることで、相手の能力と自分を同調させるというもの。自分の存在全てをかけて相手についていきたいという強い願いと、自分の存在そのものを相手に預けられる固い信頼がないと、そもそも行使できないわ。あなたに対して行使できるのは、とりあえずこの場の三人ね」
そう締めくくられた説明を聞いて、俺は頭が痛くなってきた。
今、自分の存在全てをかけて相手についていきたいという強い願いと、自分の存在そのものを相手に預けられる固い信頼を、この三人から向けられている、と言われたように感じたのだが。
俺は、そんなものを背負える器ではない。
「……重いからやめてくれ」
「フェイト、重いと感じるのは、背負う意志があるからですよ」
メトの励ましすら、今は鉛のように重い。
「あなたが人嫌いなのは、私も理解してる。でも、あなたが受け入れて、私達を引っ張ってくれないと、速度を合わせられないわ」
賢者エメラの説得は正しい。
速度を合わせることは、俺が望んだことだ。
「ご主人様、応えて下さらなくてもいいんです。ただ、私達の想いを受け止めてさえくれれば、この魔術は使えます」
戦乙女にこんなことまで言わせる自分が情けない。
こういう感覚になることも多いから、人付き合いは本当に嫌いなのだが……。
仕事と一緒だ。
必要なら、耐えることはできる。
「……術式を教えてくれ」
呻くように答えた俺に、賢者エメラは微笑みながら頷いた。
「ええ。魔導書を書くから、少し待っていてちょうだい」
「ああ。頼んだ」
部屋に戻った賢者エメラが魔導書を書き上げるまでの間、俺は時間つぶしを兼ねて迷宮と職人ギルドでいつもの仕事を済ませることにした。
迷宮の第26層に飛び、支給品の棚と納品用の棚、修理待ちのゴーレムを確認する。
棚の《収納魔術鞄》は半分も移動していなかったため、ここに来るのは2日に1回に減らしてもいいかもしれない。
三分の一は超えていたので、もう一日頻度を減らすのは難しいだろうが。
作業中にタイミングよく戻ってきたゴーレムのうち1体に話を聞いてみると、装備性能、特に《飛翔》スキルによって完全な回避が実現できており、さらに数体で連携して現れた魔物をほぼリスキルできている状態らしい。
ほぼ世話が必要ない状態であることは実に喜ばしい。
これまで通りに頼む、とゴーレムに告げて、空の《収納魔術鞄》を棚に補充し、中身が詰まった《収納魔術鞄》を持って地上に戻る。
これだけで、換金額で100万サフィアはくだらないだろう。大金だ。
神を相手取る戦いの準備に、もはや金など数字にしか過ぎないが。
次に職人ギルドに向かい、最高の集中力で1本だけ剣を打ち、ギルドで1番の職人に渡す。
最初こそ毎日渡すという約束をしていたが、彼の修行ペースが常人の範囲内であることを考えれば、その約束をしいて守る必要もないような気はするが、それでも、義理立てとはそういうものだ。
「ありがとうな。……これ何万年修行したらできるんだ?」
受け取った剣を検分しながら、壮年の職人は愉快そうに笑った。
彼にとっては、自分が進む道の奥深さは喜びだ。
俺はそれをよく知っている。
「さぁな。数えるのはもうやめたよ」
それだけを答えて帰ろうとした俺だが。
「だろうなぁ。前に王城の倉庫で見学させてもらった神造兵装にも負けてねえぞ。お前さん、神にでもなるつもりか?」
俺は、壮年の職人の言葉に、つい、振り返ってしまった。
壮年の職人は、そんな俺を見て失笑する。
「なんだ。本当に神になる気だったのか?」
なんとも気まずいが、剣を見ただけでいろいろ見抜いてくるこの男にごまかしきれる気もしない。
「対話や交渉は、同じ立場でなければ成立しない。神と対等に交渉できる力の持ち主は、やはり同じ神だろう」
「なるほどなぁ」
俺の答えに、壮年の職人はしばらく腕を組んでうなった。
「ま、そん時は、俺を信者第一号にしてくれよ。鍛冶の腕前にご利益ありそうだ」
「考えておく」
そっけなく返して職人ギルドを後にした俺だが。
あえて軽い調子でそう言ってくれた壮年の職人の気遣いは、仲間との関係で少々ささくれていた俺の感情を少しだけ宥めてくれた。
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