第101話:性癖は人それぞれ
「おかえりなさい。早かったのね」
家に帰るなりまっすぐ賢者エメラの部屋を訪れた俺は、それを予見していたかのようにドアを開けて俺を迎え入れた賢者エメラに首肯を返した。
「ああ。頼みがある」
「どんな頼みかしら。あなたの頼みなら、何だってしてあげたいけど、私にもできることの限界はあるから」
「メトの速度を俺に合わせる方法を作ってほしい」
「彼女だけ?」
「君や戦乙女が対象でも問題はないが……」
俺は言葉を濁した。
かつて、初めて多重合成した《流星の腕輪》を使った時の孤独の女神の歓迎の言葉を、俺は今も覚えている。
『神の領域へようこそ』だ
きっと、俺の速度は神の権能の領域に片足を突っ込んでいる。
そしてそれは、迂闊に踏み入れるべきではない領域だ。
ゆえに、俺の迂闊さによって既にその領域に踏み込んでしまったメト以外を巻き込むのは、どうにも気が引ける。
「巻き込みたくない、とか言うつもりなら、今更よ」
俺の内心を見透かしたような賢者エメラの言葉に、俺はただため息をつくしかなかった。
「わかった。だが、最大限許容しても、君と、戦乙女。それが限界だ」
「ええ。十分よ。それに、あんまり多くの女があなたと同じ時間に生きるのも、いい気分はしないもの。ずいぶん気が多いようだし」
含みがある言い方をする戦乙女に、俺はただ、肩をすくめた。
そんな奇特なやつの心当たりは、一人しかない。
「俺なんぞに熱をあげるような奇特なやつはメトくらいだろう」
賢者エメラは、何故かものすごく深いため息をついた。
……なんだというのだ。
「夜道で後ろから刺されないように気をつけなさい」
「何故だ」
「あなたがスケコマシなうえ朴念仁だからよ」
俺はスケコマシだったらしい。
言い換えれば、俺は自分でも知らないうちに、好かれたくもない誰かに好かれるようなことをしていたというわけだ。
人間関係というのは本当に面倒くさい。
「無性に引きこもりたくなってきた……」
部屋に戻って布団をかぶって眠ろうか。
時間を止めてドラゴンを虐殺するのもいいな。
寝るかネトゲで狩りをやるかしか暇つぶしの仕方を知らない引きこもりのようなことを考えている俺の肩に、賢者エメラはそっと手を置いた。
「引きこもるわけにはいかないから時間制御の魔術の開発を頼みに来ているんでしょ。しっかりしなさいな」
賢者エメラの言葉は正しい。
耳に痛い話だが、受け入れなければならないだろう。
だが。
そのことに、耳に痛い話をされたとき特有の息苦しさを感じないのはなぜだろうか。
「それはそうなんだが……いや、待て。嫌な予感がするのだが」
一度は賢者エメラの諫めを受け入れながら、しかし俺は、脳裏に浮かんだ嫌な可能性について、賢者エメラに確認せずにはいられなかった。
「何かしら」
「まさか、君まで俺に熱をあげているなどという事はあるまいな」
賢者エメラは虚を突かれたように一度目を丸くし、やがて、こともなげに言った。
「あげてるわよ?」
……本気で引きこもりたくなってきた。
さすがに、本人を前にして言う台詞ではないか。
「……その、すまん」
愚痴の代わりに俺が絞り出すことができたのは、自分自身何についてのものなのか全く理解できていない、意味不明な謝罪だけ。
「なんで謝るのよ。とにかく、速度を合わせる魔術の開発にかかるから、ほかの二人を呼びに行きましょう」
「ああ、そうだな。神を相手取るのだ。一刻も無駄にはできない」
既に俺たちは、神を相手取るというどうしようもないくらいの大仕事に挑もうとしている。
ここに至って、小市民的な個人の感情を優先すべき状況ではないことは、そうすると決めた俺自身が誰よりも実感していなければならないのに。
「神を相手取る? 全く、あなたといると、退屈する暇はなさそうね」
神を相手取るという前提すら伝えていなかった賢者エメラの方がよほど正しいことを言っていたという事実に、俺は自分の人格そのものの未熟を認めざるを得なかった。
「メト、いるか」
俺は俺とメトの寝室のドアを、そっとノックした。
俺にとっては10京年でも、世界の時間は、まだ日が出て少ししかたっていない。
冒険者ギルドの窓口がようやく開く程度の時間だ。
俺と行動を共にしていたころのメトなら、身支度を済ませるかどうか、といった程度、の、はずだったのだが。
「フェイトぉー!」
ドアの内側から聞こえてきたのは、不安に満ちたメトの声。
一緒に寝ていた俺が先に寝床から抜けた程度でここまで不安がるほど、メトは子供のような甘えん坊ではない。
宿屋暮らしの頃から、メトが俺にそこまで甘えたことはなかった。
では、何がメトを不安がらせているのか。
その答えは、ドアを開けて俺の胸に飛び込んできたメトの姿が如実に物語っていた。
メトの姿は、一言で言えば大きく縮んでいた。
もともと俺より少し低かった身長は、さらに低く。
サイズが合わない服がはだけたことで見え隠れする健康的な肢体は小さい子供特有のシルエットを形成しながら、爆乳と評すべきサイズであった巨乳や安産型の腰回りは体との比率で言えばさほど縮んでいない。
これがアニメか何かの登場人物なら、デザイナーが特殊性癖の持ち主であることを誰もが確信できるであろう、幼さと色気が非常に高いレベルで融和したロリ巨乳少女がそこに立っていた。
メトの年齢がこの国の法律では飲酒も一応可能であることを考慮すれば、合法ロリというものにあたるのだろう。
「随分、縮んだな……」
「そうなんですぅ! なんなんですか、これ~!?」
朝起きたら自分の体が幼児レベルまで縮んでいた、というのは、なかなかの恐怖体験ではなかろうか。
何か知らないかと横の賢者エメラに目を向けると、賢者エメラは度し難い変態を見るかのような目を俺に向けてきた。
「何か、知っているのか」
「ええ。そして、あなたが極度の変態だという事も今知ったわ」
含みのある賢者エメラの言い草に、俺は反射的に問い返し。
「どういうことだ……いや、待て。嫌な予感がするのだが」
しかし、それを途中で止めた。
この短時間で二度も、こんなに嫌な予感を味わうことになるとは思わなかった。
俺は恐る恐る、その可能性を口にする。
「彼女に刻まれた《淫紋》の付随効果には、受胎のたびに生命の胚を分解して生命力に還元し、若返りと魅力の向上にあてるというものがあったな」
「ええ。きっと昨日は、彼女が健康な体なら子を授かることができる日だった。そしてあなたが彼女に注いだ生命力は、普通の男何万人分だったのかしら。一気に、あなたにとって、性的に魅力的な姿に変わったのよ。彼女は」
「なるほど……」
認めなければならないようだ。
今のメトの姿が。
これを考えたやつのいびつな欲望と偏執的なこだわりが如実に表れた倒錯的な美しさが逆に気持ち悪いと表現すべき今のメトの姿こそが。
最も俺の性欲を刺激するのだと。
俺は、救いようのない特殊性癖者だったのだと。
「……過去最高にひきこもりたいのだが」
実際に、縮んだ今のメトに対して、昨日までのメトより劣情を掻き立てられている自分が、今はどうしようもなく憎い。
「諦めなさい。それとも、私で大人の体の魅力を学ぶ?」
「それも一興か」
「え、あ、その……」
何故か賢者エメラが沈黙した。
現実逃避気味に適当な相槌を打っていたら、何か怒らせるようなことを言ってしまったようだ。
頭を抱える俺だが、メトにくいくいと服の袖を引っ張られて現実に引き戻される。
「え~と、つまりぃ……これはフェイトの好みの姿なんですねぇ?」
メトの問いは、認めたくないが事実だ。
「そうなるな」
首肯を返す俺に、メトはぱぁっと顔を輝かせた。
「じゃあ、今夜は期待してもいいんですかぁ?」
今夜。つまり、昨晩のような行為を、昨晩以上に行う期待をしていいか、という事だろう。
今のメトの、俺の欲望を掻き立ててやまない肢体を前に、自分を押さえられる気はしないが、それはそれとして、理性が必死に歯止めをかける軋音が聞こえてくるのも事実。
「答えにくいことを聞くんだな……」
目をそらした俺に、メトは実に上機嫌な笑顔を見せた。
「んふふ~。その答えで十分ですぅ」
「随分と切り替えが早いな」
さっきまで肉体の変化にビビり散らかしていたとは思えないほどの嬉しそうな表情に、つい俺は皮肉めいたことを言ってしまう。
「フェイトが私を手放したくなくなる理由が増えるなら大歓迎ですぅ」
メトはいつでもぶれない。
些細な理由で、しかし確かに俺に恋慕していると明言して以来、一貫して、誰とも一緒にいたくない俺に、どんな形であれ、それ以上の価値を提供して俺の隣の居場所を守ろうとしている。
……そんな彼女に、俺は何か報いることができているだろうか。
きっと、否、だ。
だが、今回は。
「……そうか。そういう意味では、今回の用事は、君にとっては朗報だろうな」
今回の用件は、メトの戦力を大幅に上げることにつながる。
それは、彼女が望む、俺の隣にいる理由を一つ、俺から提供することになるだろう。
(……)
孤独の女神の声が、何故かひどく遠くに聞こえた気がした。
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