第98話:サブミッションこそ王者の……

 翌朝、俺が目を覚ました時には、部屋には誰もいなかった。

 静かな朝。素晴らしい解放感だ。

 できればこのまま、自堕落に過ごしてしまいたくなるほどに、いい朝だ。


 だが、すべきことは山ほどある。


 各国への支援部隊の派遣に、第26層の《収納魔術鞄》の回収と補充、鍛錬もそうだが、今日からは、そこに遺跡の探索が加わる。

 邪神復活の阻止、もしくは撃破のための手掛かりを探さなければならない。


「気が進まないな……」


 俺は、あの暗闇の夢を見たせいで、邪神に同情しているらしい。


「その結論を出すためにも、知らなければならない、そう考えるか」


 かぶりを振って部屋を出た俺は、そこで宮廷魔術師ジーナと鉢合わせた。


「服を着ろ!」


「え」


 言われて見下ろしてみると、俺は全裸だった。

 素晴らしい解放感の正体はこれだったのか。


 宮廷魔術師ジーナのコブラツイストを喰らいながら、俺は己の迂闊さを呪った。



 数分後。


「なんか、すまん」


 部屋に戻って服を着た俺に、宮廷魔術師ジーナは気まずそうに頭を下げた。


「いや、いい技を見せてもらった」


 先程の宮廷魔術師ジーナのサブミッションは、俺に確かな痛みを与えていた。

 非力な宮廷魔術師が、十分バケモノを名乗れるであろう俺に、ダメージを与えて見せたのだ。これは素晴らしいことだ。


「? 組みつきがそんなに面白いか?」


 首をかしげる宮廷魔術師ジーナに、俺は首肯を返す。


 HPの喪失が、この世界の人間にとって痛いものだという事は分かっている。

 きっと、生まれてからずっとHPに守られ続けているこの世界の人間は、HPを失う以上の痛みを知る機会が基本的にないのだろう。

 だが、関節技は。


 HPの喪失程度では痛みを感じない俺に、痛みを与えることができた。

 それも、HPがなくなり切る前に、だ。


 これならば、《加護転換》の痛みに慣れる訓練に使える。つまり、《加護転換》を使える者をもっと増やせる可能性があるのだ。


 試しに俺は自分の指を逆さに曲げてみた。

 が、力加減を誤り、指を思い切り骨折してしまう。


「うん、痛い」


「『うん、痛い』じゃねー!」


 宮廷魔術師ジーナがハリセンを取り出し、俺の頭を思いっきりしばいた。

 骨折の瞬間にHPがゼロになっていたせいか、ハリセンで叩かれる感触は、まともに頭をひっぱたかれる痛みを俺に与えてくる。


「会話の途中で目の前のやつがいきなり自分の指をへし折ったらびっくりするってわからん!?」


 ごもっともである。

 俺も、前世の職場でそんなことをした奴がいたら0.2秒でスマートフォンを取り出し救急車を呼んだに違いない。

 もちろん、呼ぶ救急車は黄色いやつだ。


「済まない。関節技の有用性を試そうとしてつい」


 そんな話をしている間には、魔剣の回復能力でHPと骨折が一瞬で全回復した。

 言葉を交わすことはできないが、魔剣は確かに、俺の中にいる。

 そう思うと、よくわからない安堵が俺の心を満たした。


「そういう微笑みは、人前で指をへし折りながらする顔じゃないと思うんだが」


「そんな顔、してたのか」


「してたよ。いい顔だった。お姉さん惚れちゃいそうだったぞ☆」


「勘弁してくれ……」


「シwンwプwルwにw振wるwのwやwめwてw」


 少々のくだらないやり取りの後、宮廷魔術師ジーナは朝飯を食うと言って部屋から出て行った。王城の食堂はこの時間からやっているらしい。


「宮廷料理人も大変だな」


 などと、くだらないことを考えながら、俺は練兵場に向かうことにした。

 しばらく鍛錬でもしながら、各国に運ぶ部隊員が集合するのを待つとしよう。

 ※コイツは時間を止めることに慣れすぎているせいで一日の決まった時間に食事をとるという感覚がもうなくなっている。



しばらく数百万年、召喚した魔物と戯れていると、女性の一団が練兵場の片隅に見えたので、魔物を殺しつくしてから通常の時間に戻る。


「フェイト隊長ですか」


 通常の時間に戻った俺を見てから、一人、集団から抜けて近寄ってきた女性は、俺の前までくると開口一番、そう訊ねた。


「ああ。君は」


「これから各国に送られる者の一人です。女王陛下からこれを預かっております」


 俺が人嫌いであることについて配慮してくれているのか、その女性は名乗らないまま、大陸の地図を俺に差し出してきた。

 女王は彼女に地図を託すことで、俺の手間を減らすよう配慮してくれているということだろう。

 こうなると、名乗らないという配慮も、女王の指示に思えてくる。


「ありがとう。では、これから君たちを100人ずつ各国に送る。メンバーの分割は済んでいるか」


「はい。いつでもいけます」


「では装備を配布する。俺が君たちにしてやれるのはこのくらいだ」


 短いやり取りと、女性相手に贈るにはあまりに色気がない武具のやりとりだけを交わし、俺は彼女たちの名前も知らないまま、彼女たちを馬車に詰め込んでアスガルドを出た。


 おそらくは、彼女たちの、そして、その後ろで、彼女たちに指示を出している誰かの配慮のおかげで。


 何度も痛感するが、俺は、誰かに許され、手助けされなければ、孤独を楽しむことができないのだ。



 300人の兵士(元娼婦)を残った3国の救援として派遣する仕事は、最初の100人をアルフヴァナに送り届けたところで頓挫した。


「迷宮がないどころか、王都跡地全体が《魔の吹き溜まり》みたいになってるんだが……なんだこれ……」


 圧縮した時間の中で、山上からアルフヴァナ王都跡地を見下ろしながら、俺は頭を抱えた。

 《魔の吹き溜まり》は迷宮内に生じる、魔物が這い出る領域だ。

 文献を漁った限りでは、魔素が濃い領域か、邪神のいる世界とつながっている空間の空隙か、といった仮説が主流であるらしい。

 仮にあれが《魔の吹き溜まり》だとすると、地上が迷宮と同質の空間になってしまっていることを意味するわけだが。


 ともあれ、あそこに魔物がいることには違いない。


 俺は、ここに残る100人の兵士たちにアルフヴァナ王都跡地からあふれ出る魔物の虐殺を命じて立ち去ることにした。



 案の定というべきか、ニーサヴェルとムスペヘルも、アルフヴァナと同じく、地上そのものが《魔の吹き溜まり》になっている有様だった。


 もしかしたら、ミルガルズも救援があと少し遅ければああなっていたのだろうか。


 地上にあふれ出た魔物だけでも殲滅するように兵士たちに指示して、俺はすぐに大陸の地図を広げた。

 この状況を解釈し、人類社会について何らかの判断をするのは、今となっては事実上この大陸唯一の王であるアスガルド女王の仕事だ。


 俺がやるべきことは、邪神を倒すための手掛かりを探すことだ。

 あの夢を見てしまった後では、どうにも気乗りしないが。



 1000年前の遺跡として、最も邪神とのかかわりが深いと思われるのは、大陸中央の『魔王平原』と呼ばれる荒野、その中央にある『封印神殿』と呼ばれる建造物だろう。


 地図に沿えて渡されたメモを信じるなら、1000年前に倒された邪神の亡骸を封じる目的で、亡骸を覆うように建てられた建物らしいが。


「さて、ここに決定的な手掛かりがあれば楽でいいんだが……」


 俺は、封印神殿の入口を蹴り開けた。


 城門ほどの大きさがある扉は、俺の蹴りの前にあっさりと砕け散り、1000年の間密閉されていた、よどんだ空気が漏れ出してくる。


 その黴臭さに顔をしかめながら、中に一歩踏み込む。

 盗賊の《罠感知》にも、ドラゴンの《魔眼》にも反応はなく、特に罠はないように思えるが、慎重に歩を進めることにする。

 俺より強い奴が存在する世界だ。俺の感覚を欺く罠があってもおかしくない。



 拍子抜け極まることに、封印神殿の中には何の魔物もいなかった。

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