第93話:為すべきこと

「ここ、は……?」


 目を覚ました賢者エメラの第一声はそれだった。

 まあ、そうだろうな、と俺は苦笑する。『知らない天井』という奴だ。


「俺の家だ」


 行儀悪くも開放した窓のふちに座ってくつろいだまま答えると、息をのむような声が聞こえた。

 門番としてあの部屋から出られないはずの自分が何の説明もなく迷宮の外に出されていては、事態についていけないのもむべなるかな。

 ※惚れた男が窓から差し込む光をバックにラフな姿勢を見せている絵面に見入っているだけだったりする。


「実験の第一段階は成功だ。君の支配者を邪神から俺に上書きすることはできた。君を迷宮の外に連れ出すことができたのはそれが理由だ」


 賢者エメラに目を向けつつ、俺はその首元を指さす。


「あ……」


 賢者エメラは自らの首元をさすり、やたらと悪趣味なデザインをしている《支配の首輪》をそっと、何故か3度撫でた。

 そんな無茶な試みがうまくいったことに驚いているのだろう。

 ※惚れた男に支配されているという倒錯的な幸福を味わっている。


 正直なところ、俺もここまでうまくいくとは思っていなかった。


 昨日、戦乙女の支配権を邪神から奪った以上、邪神が何らかの対策をしてくることは想定の範囲内だったのだ。

 だから、戦乙女のように同意を引き出すのではなく、あたかも殺すつもりであるかのように装って《みねうち》で気絶させる方法をとることで、寸前までこちらの狙いが賢者エメラにも分からないように努めた。

 それが功を奏したのか、そもそも邪神は俺ごときに対策などしていないのか、あるいは、この状況すら邪神の掌の上なのかは、分からないが。


「ところで、第一段階、ということは、何か、私にさせたいことがあるのね?」


 賢者エメラは、話が分かる人物だった。

 きっと現状について聞きたいことが山ほどあるだろうに、実際に口に上らせたのは、これから何をすべきか。それだけ。


 困惑を飲み込んで、すぐにすべきことの話をする。

 字面にすればこれだけだが、言うは易く行うは難しというやつだ。

 俺だってできない。


「次の実験テーマは、邪神の支配を離れても邪神の魔力を使えるか、だ」


 俺は、賢者エメラの聡明さに敬意を表し、端的に、してほしいことを告げた。


「……ごめんなさい。たぶん、魔力のパスをあけた瞬間に支配を取り戻されるわ」


 賢者エメラの回答は、まあ想定の範囲内だった。


「何故、邪神の魔力が欲しいの?」


 続く賢者エメラの問いは、俺の実験の目的を問うもの。

 だが、僅かに前提にずれがある。


 俺は静かに首を横に振った。


「魔力を浪費させることで復活を遅らせるのが目的だ。欲しいわけじゃない」


「それなら《妖精王の腕輪》や《紅蓮の剣》なんかの、空間中の魔素を使用して魔術を発動する道具で、迷宮内に満ちる邪神の魔素を浪費するのはどうかしら」


 即座に提案してくる賢者エメラ。

 1000年、迷宮の中で邪神の思惑に従って門番をしなければならなかった悔しさに耐えてきた人物だ。迷宮の性質に関する研究はしつくしているということか。


 《紅蓮の剣》の配布は一度やったが、あれをもっと推進していくべきだろう。


「すぐに冒険者ギルドマスターと職人ギルド長に話してくる」


 俺は窓から飛び降りて、まず職人ギルドに向かった。



 職人ギルドに向かうと、ちょうど冒険者ギルドマスターと職人ギルド長、商人ギルド長が会議をしているとのことだったので、作業しながら待たせてもらうことしばし。


 さすがに自宅を埋め尽くしている素材の全てを使いきるには当然至らないが、和式甲冑の草摺のようにベルトからぶら下げている複数の《収納魔術鞄》と、背嚢のように多数束ねている《収納魔術鞄》の中に詰めておいたレア素材を使い切るくらいのことはできる時間がたったころ、俺が作業している作業台の片隅に、1枚の紙切れが置かれようとしていた。


 差し出されている紙切れには、『会議終わりました』とだけ書いてあった。

 かなりの走り書きであること含め、相当に速さを重視して対応してくれたのだろうという事が容易に見て取れる。


「ありがとう。三人はまだ会議室に?」


 俺は時間を通常の速さに合わせ、その紙きれを差し出してくれた人物(服装から商人ギルドの奉公人だと分かる)に尋ねた。


「ぅわっ! は、はい、すぐご案内します」


 それまで超高速で作業に没頭していた俺が急に話しかけてきたことに若干驚きつつ、しかし奉公人はすぐに俺を会議室に通してくれた。


「失礼する」


「私たちに用なんて、どうしたんだい?」


 座ったまま煙管をくゆらせ訊ねてくるのは冒険者ギルドマスター。


「迷宮に立ち入る全ての者に、多重合成した《紅蓮の剣》《風刃の杖》《雷鳴の斧》《吹雪の弓》《土龍の鉾》《慈愛の杖》を携行させ、《マルチユーズ》の習得を義務付けるようにルール及び補給体制を整備してほしい」


 俺の説明に、商人ギルド長がにこやかに頷きつつ質問してくる。


「なるほど、それは冒険者ギルドだけでなく、我々商人ギルドも職人ギルドも巻き込まなきゃいけない話だ。私たちが集まっているタイミングで来てくれたのは幸運だったと言えるだろう。だが、何故そんなことをしたいんだい?」


「邪神復活の阻止」


 当然、俺の答えは端的に過ぎて、即座に理解されるには至らない。

 無論、これは説明のための布石だ。


「邪神と《マルチユーズ》に何の関係があるってんだ」


 職人ギルド長の質問は、俺にとっては予定調和でしかない。


「迷宮の魔素を浪費することは、邪神の力を削ることにつながるらしい。そして、魔術を発動する道具はその空間の魔素を使うそうだ」


 説明を受けて、職人ギルド長は腕を組んでうなった。


「なるほどなぁ。全ての戦闘をそれでこなせれば、それだけ邪神にダメージを与えながら資源採掘にあたれるってわけだ……。乗った。若い衆の練習にもちょうどいい」


 職人ギルド長を皮切りに、商人ギルド長も冒険者ギルドマスターも首肯する。


「邪神復活の阻止なんて一大事業に携われるなんて、商人の誉れだよ」


「魔道具の供給さえ十分なら、うちはルールを荒くれどもに押し付けるだけだからね。簡単な話さ」


 俺は、金貨を詰めている《収納魔術鞄》を1つ、テーブルに置いて部屋を出た。


「恩に着る。それは好きに使ってくれていい」


 急に押しかけて無茶な頼みをした身だ。

 このくらいの代価は置いていくべきだろう。


 ちなみに、素材は山ほどあるが、金は買取上限なんかの都合で、今渡した分が手持ちの半分だったりする。

 凄まじく痛い出費では、あるのだが。


 元より俺は誠意だの真心だので人を動かすようなガラではない。


 それに、《召喚》で大量の魔物の軍勢を呼び出しては容赦なく皆殺しにするという情け無用の残虐ファイトに興じるだけで食料から屋敷の改修資材まで全てを自給自足可能な今の俺にとって、金の使い道など、このくらいしか残っていないのだ。


「待ちな」


 後ろ手にドアを閉めようとした俺を呼び止めたのは、冒険者ギルドマスター。


「なんだ」


 振り返ろうとすると、急に抱きしめられた。


「全く、なんだってそうなんでもかんでも自分で何とかしようとするかね、あんたって子は……」


 母親か、さもなくば年の離れた姉か何かのように、急に俺を子ども扱いし始める冒険者ギルドマスターの意図は、全く分からない。


「いつだってあんたは、武器を配ったり、迷宮をより安全に作り替えるとか、迷宮を農場にするとか漁場にするとか、突飛なことばっかりやって……挙句の果てには邪神の封印を維持するために大金ほっぽり出して……どれ一つとしてあんた一人の問題じゃないだろう。なんだって全部自分が金を出さなきゃって発想になるんだい」


 なるほど迷宮の安全性は迷宮にかかわる者すべての問題で、邪神の問題はおそらくこの世界の住人全ての問題だ。

 冒険者ギルドマスターの言葉は正しい。

 そして、全く同意できない。


「俺が育った場所では、世界すべての問題だからこそ、自分以外の誰かが解決してくれるのを期待して自分は何もしない、そういう奴ばかりだった。そして俺自身も、そんなでかい問題には何もできない、死に物狂いで自分一人を生かすのが精いっぱいの、ちっぽけな一人に過ぎなかった。だが今の俺は、運よく、でかい問題になんとか手が伸ばせる位置に立っている。これでベストを尽くせなかったら、俺は俺を百度殺しても許せないだろう」


 俺を抱きしめる冒険者ギルドマスターの腕から力が抜けた。


「悪いが、もう行く。やりたいことがありすぎるのでな」


 その隙を逃さず、俺は逃げるようにその場を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る