第92話:賢者の初恋

「そう、ミルガルズはもう……」


 ミルガルズが完全に滅んでいたことの報告は、想像以上に女王を消沈させた。


 そうだろう。

 ウルベリヒは滅亡寸前、ミルガルズはもう滅んだ、となれば、他3国もどうなっているかは嫌でも想像がついてしまう。


 アスガルドには聡明な女王がいて、勇者級冒険者や王女レイアのような、誰かのために戦い抜ける者達がいて、その背中を追う者たちが多くいた。

 それゆえに、滅亡のタイムリミットが十分に先延ばしにされ、恐らくはこの大陸で唯一、文明的な社会が残っていた。

 そこに、俺というイレギュラーが放り込まれたことで、アスガルドは魔物相手にじり貧の戦いを続けるのではなく、反撃し、他国に救援を出せる状態になった。


 だが。

 その成果は、ウルベリヒの数百人を救えただけ。

 アスガルド王都の人口の数千分の1でしかない。

 まだ様子を見ていない3国も、良くてウルベリヒと同等の状態だろう。

 もちろん、アスガルド王都は魔物の襲撃から避難してきた者たちによって城壁の外に広大な貧民街を形成している状態で、単純な人口が本来の10倍ほどに達しているというのもあるのだが、それを加味しても、酷い差だ。


 その現実を直視すると俺も気が滅入ってくる。

 だから、無理やりにでも前向きに考えることにした。


「悲観しても気が滅入るだけだ。広大な土地が手に入ったと考えよう」


 女王は少しうなった後、苦笑して見せた。


「大陸の覇権を握りたがっていたラルファスが大喜びする顔が目に浮かぶわね」


 少々ブラックなジョークをぶちかましながら笑う女王。

 どうやら、とりあえず前向きな気分には、なってくれたらしい。

 ※ラルファスみたいなことを言いだしたフェイトがやっぱり王位簒奪の計画を練っているのではないかと内心めちゃくちゃ疑心暗鬼に陥っている模様。


「でも、大陸の覇権なんて、無意味にもほどがあるわ。邪神復活の阻止、再封印の手立てがなければ」


 しかし女王はすぐに後ろ向きなことを言い出した。

 それは確かに一理どころか百理くらいあるが。


「ならば全力で延命策を打つ。その間に次の手立てを探せばいい」


 それでも結局、人は目の前のできることを死に物狂いでやるしかないのだ。


「延命策?」


 鸚鵡返しに問う女王に、俺は首肯を返す。


「第25層にいた、迷宮国家を建国したという1000年前の賢者から聞いた話だが、迷宮は、邪神が自らの復活のための贄として、そこで死んだ人間や魔物の魂を取り込む舞台装置らしい。例外は、邪神から力を供給されている門番」


 賢者エメラからの受け売りだ。俺はこれをもとに、邪神復活を少しでも先延ばしにする戦略を練っている。


「賢者の話を前提に、門番を可能な限り高速で出オチさせまくる。魔物は、せめて増殖する前に殺すしかない。人間の死人を出すのは論外だ」


 まあ要するに、門番をもっと効率よく殺し、逆に魔物はなるべくゆっくり殺すというだけのことなのだが。


「今やっている以上にってことよね? 何か改善案があるの?」


 女王の問いは、耳に痛かった。今の俺には、まだ改善案がない。

 だが。


「あてはある。今日はそれを試したい」


「そう。頑張ってね」


 女王に送り出され、俺は城を後にした。



 城を出てすぐ、俺は時間を止めて迷宮に突入した。

 目的地は第25層ボス部屋。賢者エメラの住まいだ。


「邪魔するぞ」


「あら、いらっしゃい。フェイト」


 出迎えてくれた賢者に、俺は剣を抜いて見せた。

 折れた《ゾーリンブランド》の代わりを務めるのは、以前、《インスタンス・ウェポン》で作った《ゾーリンネクスト》。


「今日は、そういう用件なのね」


 賢者エメラは寂しそうにため息をつくと、ダイニングめいた家具を魔術で消した。


「ああ。試したいことがある」


 見慣れたボス部屋に戻った空間で、容赦なく斬りかかる俺を、賢者エメラは魔術で迎撃した。



 頬に吹き付ける突風と、一拍遅れて同時に聞こえてきた数多の破砕音。


 周囲に無数に張り巡らせた多積層構造の魔力防壁が一気に叩き割られた事実を認識しながら、エメラ、かつて賢者と呼ばれた大魔術師はふと思った。


 目の前の彼と、かつて志を共にした男、戦神、どちらが強いのだろう、と。


 能力の数値なら、戦神の方がはるかに上だ。少なく見積もっても、10桁の開きがあるとみていい。

 神々からの加護を受け、邪神と戦い、封印する使命に殉じた、神々に選ばれし者、勇者の力は、それほどに圧倒的なのだ。


 だが、目の前の少年は、勇者ではない。

 その背後に、何らかの神の気配を感じるが、その加護も、ギリギリ認識できるかどうか、という、微かなものに過ぎない。


 だからこそ。


(異常というほかないわね……)


 この少年は、比較対象が戦神や勇者になる程の能力を、自らの努力によって手に入れているのだ。

 その異常な精神性、あり得ない心のありようは、あるいは、戦神を越えられるかもしれないとすら思わせる。


 その意味では、目の前の少年は、勇者をも超えうる存在であった。



 傍から見れば無為な思考に囚われながらもエメラの集中が鈍る事はない。

 今この瞬間も全力で頭を回し、死力を尽くして戦っている。

 四方八方から打ち込まれる攻撃を防御魔術で防ぎ、邪神からの魔力供給というずるチートに物を言わせて攻撃魔術を叩き付け続ける。


 エメラの戦闘能力は後衛としてのそれに特化している。

 のみならず、そもそもエメラは戦闘能力よりも、その知略によって軍隊規模の作戦立案を行うことを得意とする非戦闘型の人物である。


 一方、対敵の、全知全能と人間に錯覚させうる神の領域まであと10桁に迫る能力はただひたすらに人外であるとしか形容する術が無い。


 足を止めての純粋な遠距離戦、魔術の撃ち合いならまだ勝機もあるかもしれない。

 しかし、対敵にはそもそもエメラの得意な土俵にわざわざ上がる義理もない。


 その割に、速度を解放せず、エメラと同じ時間の流れにいるように思われるが。

 戦神が邪神と戦いえたのは、神の領域の速度に自らの速度を引き上げることができたからだ。

 目の前の少年はそれをしていない。

 本人曰く「試したいことがある」らしいので、そのためか。

 それとも、単にできないだけか。

 ※単に忘れているだけである。


 あらゆる面においてエメラに迫り、凌駕しうる能力の対敵。

 邪神の加護を前提とする、魔術による遠距離戦以外に勝機を見出せないエメラ。

 そして、双方の速度の大まかな一致。


 これらの条件により、戦闘はあらゆる魔術を駆使して間合いを開け、徹底的なまでに近距離戦を拒否するエメラを、徹底的に遠距離戦を拒否する対敵が猛追する犬追戦ドッグファイトの様相を呈している。


 互いが互いの得意な間合いを奪い合う、いっそシンプルですらある戦いの綱引き。


 その高揚に、賢者エメラは自らの口角が上がっていることを自覚した。 


「知らなかった……」


 戦うことが、こんなにも楽しいなんて。


 戦えば戦うほど、余分なものが削ぎ落とされていく感覚。

 戦えば戦うほど、必要なものが磨き上げられていく感覚。


 これが、強くなるという事か。


 一人の戦う者として急速に研ぎ澄まされていくのが分かる。


 まるで、目の前の少年に優しく手を引いて導かれているかのように錯覚する。


 それが、どうしようもなく楽しい。


(皮肉な話ね、年齢4桁の初恋なんて)


 失笑しながら、エメラは一つの魔術を発動した。


 生み出されたのは8体の、小さな人形のような飛行する光の小人。


 《シャイニング・アロー》の見た目を変えただけの、こけおどしだ。

 

 しかし、対敵の隙を作るには、それで十分だ。


 対敵は、かつて自分に魔導書をねだるという形で教えを乞うてきた通り、魔術への知識そのものが乏しい。


 ゆえに、初見の魔術にはどうしても一定の警戒をしてしまう。

 知識さえあれば一瞬で看破できるそれに、確かに対敵は一瞬以上、意識を割いた。

 

 意図的に、まるで自律駆動しているかのように複雑な軌道で対敵に向けて放つ光の小人。


 その幻惑効果が失われないうちに、さらにエメラは大量の魔術を発動する。


 数万にも届く数多の魔術の大半は回避され、一部が当たっても耐性を抜けず、さらに一部が耐性を抜けても魔術防御力に阻まれ、結局、かすり傷程度のHPを僅かに削るのみの戦果しか得られない。


 しかし矢継ぎ早に繰り出される魔術の数々は、全てが賢者と呼ばれた魔術師が作り出したオリジナルの魔術だ。ほとんどは失敗作だが、構いはしない。今は、とにかく対敵に初見の攻撃を見せまくる事だけに集中する。


 これはたった一手、読み合いと立ち回りで対敵を上回るための、いわば初見殺し。

 2度は決して通じないとエメラ自身も理解している薄氷のフェイント。


 だがそれでいい。


 二度目など必要ない。


 全ては今この瞬間の、勝利のために。


「《ステイシス・カリバー》!」


 発動した魔術は、1000万にも届く《ハーケンカリバー》の同時発動。

 だが、賢者エメラの卓越した魔力制御により、それは対敵の周囲に発動寸前の状態で停滞する。このまま、身じろぎ一つでもすれば対敵は無数の《ハーケンカリバー》に切り刻まれ……


「《チェイン・ショットガン・カリバー》!」


 対敵は、同数以上の《ハーケンカリバー》の連鎖多重発動による、《ハーケンカリバー》同士の相殺という力技をもって、エメラの切り札を真っ向から叩き切った。

 

「なっ……」


 自らの切り札が粉砕されたという事実に、エメラは一瞬、驚愕する。


 魔術の知識がない眼前の少年が、あんな魔術を自作しているなど、予想だにしていなかったのだ。

 ましてや、こちらの手を読み切り、カウンターを撃ち込んでくるなどとは。


(まずっ……)


 そして、その一瞬の隙は致命的だった。


 対敵はそれを逃さず、踏み込みながら手にした刃を振りかぶり。


 真正面から、エメラを切り捨てた。

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