第86話:女の子を精神崩壊させて支配する外道

 午後、俺は第26層に足を踏み入れた。

 最初に来た時には第25層につながるポータルがあるプレハブ小屋程度の部屋から出ないまますぐに地上に戻ったため、第26層の環境をまともに見るのはこれが初めてという事になる。


「宇宙……?」


 最初に抱いた感想はそれ。

 障害物はなく、今自分が立っている場所も感覚があやふやである。

 重力の感覚がないという意味では、孤独の女神の聖地に近いのかもしれない。


 遠く眼下に見える銀河のような星々の集団をどう解釈すべきか悩むところだが。


「ともあれ、進むしかないか」


 幸い、窒息するようなこともないし、進もうと思った方向に進むこともできる。

 だが、それは足を使っての移動ではなく、ドラゴンの《飛翔》スキルによるものだ。普通の人間が活動できる空間ではない。


 ……100年前の戦乙女はどうやってこの空間を移動したのだろうか。


 襲い来る、皇龍よりも体格がいいドラゴンを殺して収納魔術鞄にしまいながら、俺は第30層まで直進した。


 質の差がなければだが、今後、死体とドロップ品は皇龍よりこっちで稼いだ方がいいかもしれない。


「さて、鬼が出るか蛇が出るか」


 障害物らしい障害物もなく宇宙空間もどきでなんちゃって宇宙遊泳を楽しむことしばし、特に危険を感じることもなく辿り着いた第30層のボス部屋。

 俺は深呼吸して、その扉を開けた。


「……誰?」


 鈴振るような女の声。

 王女レイアのものによく似ている鎧姿。

 王女アストレアのような、金髪と光の翼。


 まさか、とは、思うが。


「ただの冒険者だ。君は?」


「戦乙女、そう呼ばれています」


 俺の問いに、その女は、俺の予想通りの答えを返した。

 過去形ではなく、現在進行形であること含めて。


「君は始めてここに来てから、地上に戻ったか?」


「いいえ。ずっとここにいます」


 その答えも予想通りだ。

 俺が知っているこの世界の歴史、つまり、戦乙女は100年前に第30層にたどり着いた後、地上に戻ったことと異なる回答であることを含めて。


 既に仮説はある。


 この戦乙女は、100年前の戦乙女そのものではない。

 

 あとは、それを実証するだけだ。


 俺は無言で剣を抜いた。


「何を……?」


「戦って確かめる……君の正体をな!」


 斬りかかる俺を迎え撃つ瞬間、戦乙女の表情が一変する。

 不意の来訪者に戸惑う乙女から、戦士の相へ。


 そして、振り下ろす《ゾーリンブランド》の一撃を、戦乙女の手にある光の剣は見事に受け止め、のみならず、これまで数多の敵を屠りながら刃こぼれも見せなかった《ゾーリンブランド》の刀身をあっさりと叩き切って見せた。


 そのまま俺の首を狙う戦乙女の斬撃を、体をひねることでかろうじて回避した俺は、内懐に入り込んで鎧の隙間を狙い、腋下に一撃、喉に一撃、両目に一撃、立て続けに貫手を撃ち込み、それだけの致命打を受けまくってなお僅かにひるんだ程度にしかダメージを受けていない戦乙女の腹を蹴って間合いをあけた。


「やはりな」


 俺は《ゾーリンブランド》を壊してしまったことをどう職人に謝ろうか、などという雑念を抱きつつ、この戦乙女が歴史上の戦乙女その人ではないことを確信した。


 これほどの強さなら、絶対に100年前の戦乙女本人ではない。

 それを前提とすれば、自分を100年前の戦乙女本人と信じて疑わないこの戦乙女に勝利する方法は、おのずと見えてくる。


「何が、やはり、なのですか?」


 戦乙女の問いに、俺はにやりと口角をあげた。

 俺がこれからやろうとすることに対して、それは最高の前振りだったのだ。


「レベル72の君がなぜ、レベル27458の俺を相手に、有利に戦えている?」


 100年で邪神がそれだけ力を蓄えてきたということだろうが、同じ第30層に到達するまでに、戦乙女と俺の間には桁が3つも違う圧倒的なレベル差が生じている。

 俺がここにたどり着くまでに、レベルだけでなく、どれほどのドーピングを積み重ねてきたかを加味すれば、レベル差だけで比較するのは、むしろ差を過小評価していると言っていい。


 その戦力差を覆せるだけの何かが、目の前の戦乙女にはあるのだ。

 もちろん、その何かとはつまり、迷宮からの力の供給に他ならない。


「れ、レベル2万……?」


 戸惑う様子を見せる戦乙女に、俺は容赦なく、87連 《エンド・オブ・センチュリー》を撃ち込む。

 その威力は、剣戟よりもよほどわかりやすいだろう。


 戦乙女は、ダメージを負った様子ではあったにせよ、十分戦闘継続が可能な状態で俺に目を向けた。


「レベル72で、87発もの《エンド・オブ・センチュリー》に耐えられる理由はなんだ? それとも、第30層で、地上に戻ることなく修行を重ね、君のレベルは上がっているのか? 不眠不休で、飲まず食わずで100年修行したとでも? そもそも、君は俺にとって、100年前の歴史上の人物だ。若く美しい姿のまま俺の前に立っていることの方が異常だとは思わないか?」


 俺は意識的に嘲笑するような表情を作りながら、戦乙女を煽り立てる。


「な、何……を……そんな……」


 こちらの言わんとすることを察してか、戦乙女は構えを解いて立ち尽くす。


「分からないなら教えてやろう」


 にじり寄る俺。


「いやぁっ! 言わないでぇぇ!」


 耳をふさぎ、その場にへたり込む戦乙女の前に踏み込み、両腕を耳から剥がして、俺は戦乙女に現実を突き付けた。

 賢者エメラがかつて俺にしたのと同様、能力を可視化する一般的な魔術の対象を俺の目の前にいる戦乙女に書き換えて、見せつけるように目の前に投影する。


「君は! 100年前にここにたどり着き、地上に戻った戦乙女を模して! 邪神がその力を惜しみなく注ぎ込んで作った! レベル129万の魔物なのだ!」


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 現実を受け入れられないのか、自分を100年前の戦乙女と信じて疑わなかった哀れな魔物は号泣しながら首をぶんぶんと横に振った。

 なお、俺の50倍くらいレベルがある相手だったという事に、俺は内心で物凄く焦っていたりする。

 まともにやり合っても全く勝ち目はなかったのではないだろうか。

 ※ドーピング量を加味すると正面からやり合っても4%程度の勝ち目はある模様。


「私は……戦乙女……なのに……」


 放心し、さめざめと泣く戦乙女。


「残念だが、それが現実だ」


「じゃあ、私はどうすればいいんですか!?」


 泣きながら訪ねてくる戦乙女に、俺は《支配の首輪》を差し出した。

 ただの《支配の首輪》ではない。

 賢者エメラ直筆の魔導書から習得した《支配》の魔術を重ね掛けできるだけ重ね掛けした、今の俺に用意できる最強の支配力を持つ《支配の首輪》だ。


「これを。支配者を俺に書き換える形で、君を邪神の支配から解き放つことができる……はずだ」


 今度は努めて優しく告げる。

 レベル差から言って、HPを削り切る方の選択肢が妥当ではない以上、何としても俺は相手の同意を引き出さなければならないのだ。


「邪神の支配を断ち切って、それでどうしろというんですか!? ただの魔物に過ぎない私に!」 


 自暴自棄になりつつある戦乙女をそっと抱きしめ、その耳元で囁く。


「邪神を利用して、滅びかけている現代に蘇った戦乙女として、俺と共闘してほしい。これは命令ではなく、現代を生きる一人の人間としての、俺の願いだ」


 俺の言葉に、戦乙女はしばらく声を上げて泣き。


「お願い……します……私を、支配してください」


 戦乙女は、《支配の首輪》の装着に同意した。


 一か八かの賭けだったが、支配は、あっさりと成功した。

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