第82話:旅立ちの朝
寝たふりをしていただけの宮廷魔術師ジーナに案内されて王城を出た俺は、出口で待っていたメトと合流してすぐに宿に向かった。
宿の扉を開けるとすぐに、迷宮国家の少女ターニャが出迎えてくれる。
「おかえりなさい! いつものおへや、きれいにしてあるよ!」
「ただいまー。いい子でお仕事してましたかターニャちゃん」
「うん!」
年の離れた姉妹のようなやり取りをするメトとターニャを横目に、俺はいつも通り宿泊費を宿の主人に手渡す。
「仕事ぶりはどうだ」
ついでに、メトと戯れているターニャについて確認しておく。
「ああ、結局掃除は全部任せてしまったよ。この調子なら、体力さえ追いつけば料理やちょっとした修繕も任せていけると思うよ」
「そうか。よかった」
俺は宿の主人との会話を切り上げ、いつもの部屋に向かった。
部屋に戻ると、俺が大量に投げ込んでいた、皇龍の血と肉が詰まった収納魔術鞄は綺麗に整理整頓して並べられ、その代わり、ベッドが一つ撤去されていた。
「どういうことだ……」
顔を手で覆った俺に、後ろから元気な声が答える。
「あ、お兄ちゃん、お姉ちゃんがベッドは一つでいいって言ってたから一つどかしておいたよ。大事なものが詰まってるかばんがいっぱいあるみたいだったし」
まあ、確かに二人で一つしか使っていないから不要と言えば不要だが。
メトには羞恥心とかそういう感情はないのだろうか。
「そうか。ありがとう」
メトに抱き上げられたまま元気に笑っているターニャを問い詰めても仕方ないので、とりあえず気遣いに対する礼だけを言って部屋に入り、ベッドに腰かける。
メトはターニャを下ろし、かがんで小さく手を振って送り出してから、魔導書を開いた俺の隣に座った。
「話しておかなければならないことがある」
俺は気まずさから、魔導書に目を落としたままメトにそう告げた。
「いつにもまして深刻そうですね。どうしたんですかぁ?」
メトはHP関連の魔導書を開きながら訊ねてくる。
「王女レイアの妹、王女アストレアに求婚された」
俺が答えると、メトは魔導書を取り落とした。
明らかに取り乱している。
それはそうだろう。
メトは元奴隷娼婦で、自分を都合よく使ってくれていいとまで俺に言っていた。
その俺が、王位継承権を有する王女という、ある意味最上の相手から求婚を受けたという事実は、メトの視点からは失恋確定と認識されるだろう。
そこまで理解していてなお、俺はメトにかけるべき言葉を持たなかった。
「わ、私は……」
震えるメトがそのあとに続ける言葉は何か。
俺をなじる言葉だろうか。
それとも、別れたくないとでも泣きわめくだろうか。
かつて俺を裏切っておきながらそうして縋ってきた女のように。
……俺、前世でそんなことがあったのか。
不意に、断片的にだが蘇ってきた記憶に感心していると、メトは涙をたたえた瞳で、それでも精一杯に笑いながら訊いてきた。
「もう、用済み、ですか?」
それは俺にとって、あまりにも意外な質問だった。
この状況をメトがどう認識するかを、俺はある程度想定できていたつもりだ。
この状況ならば、自分の感情を吐き出し叩きつけてわめき散らすのが、妥当な反応であるはずだ。
だが、メトはそうしなかった。
「君と王女の二択なら君を選ぶ」
だから俺は、なだめるという無駄なステップを省くことができた。
はずだったのだが。
メトは泣き出してしまった。
「理由の説明は必要か?」
訊ねると、メトはしゃくりあげながらもこくこくと頷く。
とりあえず、その頭を撫でながら俺は続けた。
「王配などという地位になればその立場に嫌というほど人が群がってくるし、注目もされるだろう。そういう連中が君のように俺に配慮してくれるとは思えない」
メトは俺に抱きついて泣き出した。
魔導書を読むのに邪魔なので離れてほしいが、そういうわけにもいかないだろう。
俺は魔導書を横において、軽く抱きしめるようにメトの背中を叩いた。
「単純な比較でも、戦闘力においては俺を瞬殺できる王女と、あらゆる面で俺のサポートに尽力してくれる君では、俺にとってのメリットが大きいのは君だ。まあ、君を王女と組ませた方がいいのでは、という考え方もあるが」
メトは俺に鯖折りをかけ始めた。
もとい、必死に俺にしがみついている。
「私は、フェイトだから、頑張れるんですぅ……!」
王女と組ませるなどとは言ってくれるな、ということだろうか。
「そうか。俺も、君が支えてくれると助かる」
孤独をこそ狂愛するこの身で、愛しているだのとは、口が裂けても言えないが。
それでも、メトの存在を肯定することはできた。
翌朝、裸のまま隣で眠っているメトを起こさないようにベッドから抜け出し、身支度を整えた俺は、念の為当面の生活に困らないだけの金銭をベッドの下に置き、部隊運用については女王の指示に従うように書置きを用意してから王城に向かった。
ウルベリヒに行って帰ってくるだけなら一瞬だが、ウルベリヒで面倒ごとに巻き込まれて数日足止めされる可能性はあるのだ。
番兵に声をかけると、既に女王は書状を用意して待っていたらしく、すぐに謁見の間に通された。
朝っぱらから謁見の間の支度をさせられた城の侍従たちには少々の同情を覚えるが、まあ、それは些事というものだろう。
「おはよう、フェイト君。……近衛兵、早速だけど、あれを」
「はっ!」
謁見の間に入るなり、まだ拝跪すらしていない俺に対して、女王は書状を受け取れと言ってきた。
まあ、手間が省ける分には構わない。
「女王、二つ確認したいことがある」
近衛兵の手から受け取った書状を示しつつ、俺は女王に確認した。
「まず、この書状をウルベリヒのヴォータンに渡す、それが今回の依頼だな」
「ええ。そうよ」
首肯する女王。
その目尻には、うっすらとくまが残っていた。
状況が改善してきたとはいえ、女王が化粧もできない程度の貧しさがまだこの国に残っているという事の証左であると同時に、化粧などより他を優先する、女王の気高さの証明であるように、俺には思えた。
「ではもう一つだ。万一の場合のプランは」
「可能なら王族、もし、王家に連なる者が全て戦死しているなら、今ウルベリヒをまとめている人物に。そして、ウルベリヒが魔物に支配されているようなら、救助できるものを救助して、魔物を殲滅してちょうだい」
そして女王は、辛い可能性をはっきりと口にして、その場合のプランを即答できる程度には、確かな強さを持っている。
清貧にも似た気高さ、絶望を直視する強さ。
それが一般的な君主として正しい姿なのかは分からない。
マキァヴェリの君主論を真面目に読んだこともない俺には、そんなことを判断する教養はない。
それでも、俺は女王のような君主の存在を、尊いと思った。
「依頼を受諾する。」
だから、俺は少なくとも、この国のために戦うことは、そんなに嫌いではない。
手紙を届けるような使い走りも含めて、だ。
王城を出た俺は、早速、一切の寄り道をせずにウルベリヒに向かうことにした。
城を出るなり《加速》の魔術を発動し、《流星の腕輪》を食わせまくった魔剣の力を解放すると、世界はいつも通り、静止する。
最近、体感ではほとんどの時間こうしているので、すっかりこちらが俺にとってなじみ深い世界のありようになってしまったが、ともあれ。
約半年の旅路は、俺の望む孤独と共に在る。
そう思うだけで、自然と俺の足取りは軽くなった。
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