第74話:託すことを覚えた男

 元奴隷娼婦との向き合い方について宮廷魔術師ジーナから一通り説教されて、解放されたのは夜中だった。

 いつも世話になっている安宿の主人はもう寝ているかもしれない、などと少々不安に感じながらとりあえず向かってみると、主人は宿の前に立っていた。


「おお、今日は遅かったね。いつもの部屋をあけてあるよ」


 俺たちを見るなりそう言ってくる宿の主人に、俺は、自分がすっかりここの常連になってしまったことを理解した。

 まさか、部屋を取りおいて、俺が来るまで待っていてくれたとは。


「世話をかけた。釣りは取っておいてくれ」


 俺は3人分の宿泊費(ひとり500サフィア)に少し上乗せして、1000サフィア金貨を2枚、宿の主人に差し出した。


「いいのかい?」


「いつも世話になっているからな。それに今夜は、新しく増えた連れがどういう迷惑をかけるか予想がつかん」


 すまなそうに聞いてくる宿の主人に、俺はメトが背負っている迷宮国家の子供を親指で示した。


「君たち、子供がいたのかい」


 言祝ぐように微笑む宿の主人。

 まあ、そうだろう。子供が生まれることは望ましいことだ。

 魔物のせいで死者が多いこの世界なら、なおのこと。


「拾った子供だ」


 宿の主人が言祝ぐ理由を理解したうえで、俺はそれをあえてぴしゃりと遮った。

 子供が作れない体のメトにとって、この話題は辛いと判断したのだ。


「そうかい、そうかい。こんな世の中だ。その子が、親がいなくてもちゃんと育って行けるように、私も一肌脱ごうじゃないか」


 どうやら孤児を助けたとでも勘違いされているらしい。

 まあ、いちいち訂正していてもキリがないので、放っておくことにしよう。


 ところで、一肌脱ぐとは、どのくらいのことまでならしてもらえると期待していいものなのだろうか。

 単なるリップサービスと解釈すべきか、ある程度あてにしていいのか。


「主人、少し相談したいことがある。少し時間をくれ」


 俺は宿の主人に頭を下げた。

 敬語は相変わらず使えないが、仕草で下手に出ることは可能なのだ。


「いいとも。ココアでも淹れようじゃないか」


 微笑んで宿に入る主人に続いて、俺たちは宿に入った。



「それで、相談というのは何かな?」


 3人分の、湯気を立てるカップをおぼんに乗せて持ってきた宿の主人は、早速俺に目を向けて訪ねてきた。

 早速聞いてくるなら、話は早い方がいいだろう。

 俺は端的に頼みたいことを伝えることにした。


「この子供を雇ってほしい。万一の失策については俺が責任を負う」


 これから洒落にならない厄介事を抱える俺としては、手元の子ども一人といえど、少しでも肩の荷を下ろしておきたかった。


 子供にできる仕事などたかが知れている。

 少なくとも今すぐ冒険者になるようなことはできない。

 できてどこかの下働きだ。それも、当面は足手まとい確定。


 分かっている。

 俺は無責任に拾った子供の面倒を誰かに押し付けようとしているに過ぎない。


 今、宿の主人に頼んでいるのも、何のゆかりもない人物よりは、普段世話になっている宿の主人の方が頼みやすい、という程度の理由でしかない。


「ふむ、もう少し詳しく話してくれるかい? 私も、働く気がない子供を名目上雇ってただ預かる、なんてことはできないからね」


 宿の主人の返答は実にもっともだ。

 ここは宿であって託児所ではない。

 俺が無責任にこの子供を誰かに押し付けようとしていることも、きっと宿の主人は理解している。


 だから俺は、全てを吐き出すことにした。


「迷宮の中に、人が暮らしている場所があった。そこはあまりにも豊かで、それゆえに誰もが堕落していた。この子供は堕落に危機感を覚え、つたない言葉で働きたいと俺に訴えてきた。だから、俺はこの子供を堕落から救いたいと思った」


 もとより駆け引きだの嘘だの、そんなことが得意なたちでもない。


「なるほど。見捨てられなかったけど、こんなに小さい子供に冒険者はさせられなくて、扱いに困っているってところかな」


 宿の主人はココアを飲みながら、納得したように頷いた。


「うん、その子はうちで引き受けよう。この年になると、客室の掃除は少し骨が折れるからね。今を時めく新たなる勇者級冒険者ダンジョン・ディガーが身元を引き受けてくれるなら、こちらとしても心配はいらないよ」


 続いた宿の主人の言葉は、俺にとってはあまりに意外だった。

 だからこそ。


「恩に着る」


 俺は聞き返すなどという間抜けなことをしたがる衝動を噛み砕き、頭を下げた。



 翌朝、床で寝ていた俺は、誰かの小さい手に頬をぺちぺちと叩かれた感触で目を覚ました。

 寝起き特有のぼやけた視界でとらえたのは、俺の上にまたがっている小さな少女。むしろ幼女と表現すべきそれ。


「早起きだな」


 俺の上にまたがったままの、迷宮国家から拾ってきた少女に声をかけると、少女はぱっと顔を輝かせた。


「おはよー!」


「ああ」


 少女をどかし、体を起こす。

 ベッドに目をやれば、メトはまだ眠っていた。

 ベッドの片側にスペースがあいているのは、少女と二人でベッドを使っていたからと解釈すべきか、いつも俺と寝ているせいでそこが定位置になっていると解釈すべきか、少し迷う。


 思えば、この少女の処遇について宿の主人と話す間、メトは口を挟まなかった。

 抱き上げていたり撫でていたり、わずかな期間とはいえ、一応のパーティメンバーの中で最もこの少女を可愛がっていたメトが何も口を挟まないのは、少し異常にも思える。


 メトにとっても、悪くない帰結だから何も言う必要がないと判断したのか。

 それとも、思うところがあっても、ぐっとこらえていたのか。

 本人に聞かなければ分からないが、まあ、それはメトが起きてから聞けばいい。


 今すべきことは、一つだ。


「君の働き口が見つかった。挨拶に行くぞ」


「うん!」


 俺は少女を連れて部屋を出た。



「おお、フェイトくんか。今日はいつもより早いね」


 朝日が城壁に阻まれ、しかし空が少しずつ明るく照らされ出す程度の時間、既に掃除を始めていた宿の主人は、部屋から出てきた俺を見て穏やかに笑った。


「この人が、君を働かせてくれる人だ。挨拶を」


 俺は横の少女の背中を軽く押した。


「えっと……おはようございます!」


 どうやら挨拶は完璧に躾けられているようだ。

 俺は少しだけ迷宮国家を見直した。


「うん、おはよう。元気だねぇ。お名前は?」


「ターニャ!」


「ターニャか。君が、働きたい子かな?」


「うん!」


 穏やかな顔で質問を重ねる老人と、元気に応える少女。

 まるで祖父と孫娘の関係のようで、少しほほえましくさえある。


「そうかい、そうかい。働くのは大変だよ。きついことがいっぱいあるよ。それでも、働きたいのかな?」


 しかし、質問はすぐに、シビアなものに変わった。

 穏やかな口調と微笑みの中から、平易な言葉で繰り出される、しかし、明確に、働くことの覚悟を問う、いっそ老獪ですらある好々爺の言葉。


「でも、働かないと、いつかみんなの食べるものがなくなっちゃう。誰かが働かないと、みんながいつか死んじゃう。私が生まれた国、誰も働かないのに、誰も心配してなかった。私、働かないの、怖い」


 宿の主人の目をまっすぐに見て、目に涙を浮かべながら、それでも少女は一歩も引かずにつたない語彙で自らの意志の硬さを示した。


「なるほど」


 その言葉を聞いて、宿の主人は二度頷き、俺に目を向けた。


「……フェイト君、ありがとう。こんな子なら大歓迎さ」


 どうやら、面接は合格らしい。


「じゃあ、早速だけど、掃除を手伝ってくれるかな?」


「うん!」


 そして宿の主人と少女ターニャは二人で親子のように掃除を始めた。


 さて、俺はメトを叩き起こして王城に向かうとするか。

 ……憂鬱だ。

 配慮すべき事項が無駄に多い100人を部下とするなどとは、想像するだけで胃が痛くなってくる。

 今からでも断れないだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る