第72話:最強の幼女

 士官用食堂を後にした俺は、そのまま城を出ようとして、見事に道に迷った。

 だだっ広く、どこを見ても同じようにしか見えない廊下は、恐らく攻め込んできた敵を幻惑する効果を狙ってそのように作りこまれているのだろうが。


「壁をぶち抜いて出るのも手だが……」


 そんなことをすれば、確実に面倒なことになる。

 とはいえ、地道にマッピングしながら進むというのもそれはそれで面倒だ。


「あ、あの……」


「どうしたものか……いっそ窓から」


「あのっ!」


 誰かが、俺の背中を叩いた。

 振り返ると、えらく背が低い金髪の天使が俺を見上げていた。

 頭の上の輪っかといい、背中の光の翼といい、天使そのものでありつつ、背の低さや顔の幼さから、上位存在の威厳はあまり感じられず、ただひたすらに無垢な存在という印象を受ける。


 恐らくは彼女が、肉体が天使化したという、王女レイアの妹。


「王女アストレアか……」


「私を知ってるんですか?」


 どうやら当たっていたらしい。


「ああ。女王から少しだけ聞いている」


 俺の答えに何か思うところがあったのか、王女アストレアはしばらく俺の顔を見上げて固まっていた。


「ああ! あなたがフェイト様ですね!」


 黒髪黒目の見た目はそこそこ珍しいものだと理解していたが、まさか女王から王女アストレアの話を聞いたことがあるという検索条件を付与するだけで俺しか選択肢がなくなるとは思っていなかった。


 ※選択肢じたいは複数あるが、最近女王が話題に出すのはほぼフェイトのみ。


「あのっ!」


 王女アストレアは、有名人に会ってサインをねだるファンのような純真無垢な表情で、考え込む俺を見上げ。


「私と本気で戦ってください!」


 戦闘狂極まることを頼んできた。


「……」


 改めて子細に観察してみれば、孤独の女神の加護が俺に見せた彼我の戦力差は、絶望的なまでに相手が各上。

 このシチュエーションは、皇龍との初回戦闘以来だ。


 俺は無言で抜刀し、不意打ちで王女アストレアの首を狙った。が。


「わぁ。すごく速い剣ですね!」


 その斬撃は、王女アストレアの首の皮一枚にすら傷をつけられなかった。

 直撃しながらも、その皮膚の強靭な防御力に阻まれて。

 皇龍ですら、攻撃が全く効かないという事はなかったというのに。


 これではっきりした。

 彼我の戦力差は、皇龍と王女レイア以上。

 今の俺では、どうあっても勝てない。


「じゃあこっちの番ですね!」


 王女アストレアは心底楽しそうに笑うと、急に閃光を発した。


 ドォン! というような轟音が俺の鼓膜を叩いた一瞬後、吹っ飛ばされた俺が背中から叩きつけられたのは、王城の中庭。

 廊下や壁ではなく、中庭である。


 王女アストレアの攻撃で壁が吹っ飛んだのか、吹っ飛ばされた俺がぶち抜いたのか。


 いずれにせよ、つい先ほど、自分で棄却した方法で城から出たことだけは確かだった。


「……《エンド・オブ・センチュリー》か?」


 体を起こしながら、今起こったことを可能な限り解釈しようと試みる。


「その起源ではありますね」


 答えは、背後から聞こえてきた。

 それも、耳元で囁くように。


 ……俺が吹っ飛ばされ、体を起こすそのわずかな時間に、吹っ飛ばされた俺を追い抜いて後ろに回り、耳元で囁くほどの速度と気配断ち。

 盗賊の《敵感知》スキルもドラゴンの《魔眼》スキルも欺いて、気づいた時には必殺の間合いの更に内側まで踏み込んでくる超級の存在。


 間違いなく、100回戦って100回殺される。


 この存在は、なんだ?

 肉体の天使化、だけで説明がつく相手ではない。

 天使は、今よりも弱かった俺が一方的に蹂躙できた魔族と対にされる程度の存在に過ぎない。

 魔族よりはるかに強いドラゴンを虐殺し、左腕に融合した魔剣によってその力を幾度も取り込んだ今の俺を一方的に蹂躙できる存在の心当たりは、一つだけあった。


 神。


(ええ。彼女は神の器。宿る神は私より格上ね)


 孤独の女神が、俺の仮説を肯定する。


 かつてここではない別の世界で死んだ人間の魂を引っ張ってきて俺という存在を作り上げ、この世界に放り込む、などという意味不明なことを、まさに奇跡としか呼びようがない所業を、いともたやすくやってのける孤独の女神。


 それが、格上と認めた別の神。


 きっとそれは、邪神に匹敵する強敵だ。

 ならば。


「勝ち目はないと見たが、胸を借りるぞ!」


 俺は跳躍して間合いを開け、《ゾーリンブランド》を再度抜刀した。


 神を前にしてしまっては、一手、ご指南願うほかあるまい。


 いずれ戦うべき邪神、その予行演習として、これ以上の相手があろうか。


「ふぇ、フェイト様のエッチ!」


 王女アストレアは平坦な胸を自分の小さな両手で覆い隠しながら《エンド・オブ・センチュリー》……の、起源らしい破壊の光を放つ。


「なぜそうなる!」


 同じ手をそう何度も食うつもりもないので、67連 《エンド・オブ・センチュリー》で相殺しながら《ゾーリンブランド》で……


「何をやってるのアストレア! 今すぐやめなさい!」


 斬りかかろうとしたところで、激昂した女王によって勝負に水を差された。



「もう! こんなに散らかして! ちゃんと片付けなさいね!」


 なぜか女王に怒られただけで涙目になり戦意喪失した王女アストレアと並んで正座して女王の説教を受けること30分程度。

 叱責の終わり際に片づけを命じられた俺は周りを見渡し、頭を抱えた。


「片付けるといっても、何をどうすればいいのだろう……」


「大丈夫ですよぉ」


 途方に暮れる俺とは異なり、王女アストレアは少しだけメトに似た無邪気な笑顔で俺を見上げ、そして、ただ、瓦礫の山に手をかざした。


 ただそれだけで、瓦礫の山は自らのあるべき場所を覚えているかのように動き出し、城の壁を再形成する。


「回復魔術の起源か」


 俺は、目の前の光景をそう解釈した。


「はい! フェイト様は聡明であられるんですね! とってもお強いし、私、好きになっちゃいそうです!」


 楽しそうに、王族としては爆弾発言極まりない言葉をぶっ放す王女アストレア。

 だが、目の前の少女の好感度なんぞより、俺にはよほど気にかかることがある。


「魔術と、その起源になる神の力の間にある開きは、どのくらいだ」


 俺と、神なる種族の戦力差の見積もりが必要だ。

 俺も少々強くなったと天狗になっていたが、目の前の少女になすすべもなく叩き伏せられては、その伸びた鼻を自らへし折るくらいはしなければならない。


「うーん、すごく大きい開きがありますね。なんていうんだろう。自分の手ですぱすぱ物を切れるのが神の力で、それを模倣するためにナイフを用意するけど切れ味は劣るのが魔術というか。対応する魔術が存在しない力もいっぱいありますし」


 とりあえず、何でもできる神様と、その御業を不完全に模倣するために道具を用意する人類、という構図であるらしいことだけは理解した。


 それならば、所詮一人の人間に過ぎない俺が神の領域に立つことはないだろう。


 その前提で再定義する。必要なのは、『そこに至る』方法ではない。


「なら、1000年前の戦神とかいう男はどうやって邪神を封印したんだ」


 必要なのは、『それに対抗する』方法だ。


「私と同じですね。神霊憑依って言い方で分かります?」


 俺は数秒前の自分を殴りたくなった。

 むしろ必要なのは『そこに至る』方法だった。

 それこそが唯一の『それに対抗する』方法らしい。


(……私が憑依してもたいした戦力になれないからね)


 孤独の女神は俺の考えを先読みし、否定してきた。


 俺の表情から、神霊憑依に興味を持ったことを察してか、王女アストレアは俺の袖をくいくいと引っ張りながら勧誘してくる。


「フェイト様ほどの器なら、肉体が天使化していなくても強い戦闘神と契約して憑依してもらえるかもしれません。私から口添えを……」


「悪いが」


 俺はマルチ商法よりよほど熱心に勧誘してくる王女アストレアを遮った。


「信仰上の問題で、俺が憑依を受け入れる神はただ一柱だ」


 最愛の女神を横目に他の神を体に受け入れるなどという所業を容認するには、俺は孤独の女神を敬愛しすぎていた。

 ある種の貞操観念に近いかもしれない。

 それを捨て去れるほど、俺は信仰に対してやさぐれてはいなかったのだ。


(……このスケコマシ)


 何故か孤独の女神から絶対零度の鋭さで抗議が飛んできた。かわいい。

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