第60話:職人たちへの賛歌

 城で手続きをして、今はほぼ使われていない練兵場を借りた俺は、その場に集めた若い職人達の前で皇龍の肉を取り出した。


「これだけの肉を一人で食べようと思えば、何年かかるか、予想してみてほしい」


 俺が問うと、若い職人たちはうず高く積まれた皇龍の肉の山を前に、ただただ首を傾げるばかり。


「ざっと5000年はかかるだろう。それを、君たちの目の前で食して見せる」


 困惑する若い職人たちにそう言って、俺は魔剣の力を解放した。



「……いや、いやいやいや……おかしいだろ……」


 優に数十万人の腹を満たせるであろう、膨大な量の肉を積み上げたかと思えば、文字通り目にもとまらぬ速さで肉を消し飛ばすように食い続ける気狂いの少年を見て、若い職人たちは呆然と立ち尽くした。


 あれはもはや人間ではない。

 あんなものと競ってもしょうがない。

 あんなものが職人をやるというのなら、自分たちなどいる意味がない。


 そんな、絶対的な絶望感。

 先程までの、初日で熟練職人並の剣を作り上げた気狂いの少年に対する、不貞腐れた嫉妬を塗りつぶすほどの絶望感に支配された空気に、職人ギルド長すらもかける言葉を失っていた。


 それほどに、非現実的な光景であった。

 それほどに、意味不明な光景であった。


 そして、1時間もしないうちに、コマ落としのような高速機動をやめた気狂いの少年が、なにかの小瓶を数えあげながら漏らした、


「7200年か。思ったよりかかったな……量の見積もりが少し甘かったらしい」


 という言葉に、若い職人たちは肩を落としつつ、深いため息をつく。


 自分たちにとっては数十分の出来事でも、あの速度を出している本人にとっては、気が遠くなるような時間が経過しているという事を否応なく理解してしまったのだ。


 そして、誰かが隣の若者の肩に手を置いて、力なくつぶやいた。


「帰って、真面目に修行しようぜ」


 若い職人たちは楽して上達したかったのであって、気狂いの少年のように、時間を止めて孤独に作業に没頭する10年の時間が欲しかったわけではないのだ。

 そんなものは、まともな神経を持っている人間にとっては、拷問でしかない。

 それよりは、先輩職人の指導を仰ぎながら、仲間とともに鎚を振るうほうが、いくばくか気持ちの上では楽だと認めなければならない。

 若い職人たちは、ほかに楽な道がないと分かれば、今歩いている道を歩き続けられる程度には、平凡な勤勉さを保っていた。



「……まさか、若い連中の口から真面目に修行なんて言葉が出てくるとはな」


 職人ギルド長は、練兵場の後片付け(主に肉焼きキットの撤収と掃除)にいそしむ俺に、呆れたように声をかけてきた。

 言いたいことはわかる。職人気質の、老年と言っていい職人ギルド長にとって、若い職人たちの考えは徐々に理解しがたいものになっているのだろう。

 ましてや、《ゾーリンブランド》を打って見せた、仕事を楽しいと思い、気負わずに打ち込める変態を部下に持ってしまった職人ギルド長には、凡人の苦しみに配慮するより、同じ変態を追い求める方がはるかに楽であるに違いない。


「人には向き不向きがある。俺は孤独を愛している。永遠の孤独を望んでいる。だから時間を止めて、永遠にも等しい時間、孤独に作業を続けられる」


 それが職人ギルド長の悩みなら、俺の理解を語る程度のことはするべきだろう。


(急にそういうこと言うのやめて。照れるから)


 しばらくぶりに聞いた孤独の女神の声は、相変わらずとてもかわいい。


「彼らは、孤独を好むタイプではない。とすれば、仲間と向き合う時間を重んじるか。ならば、たとえば毎月、その月の最高傑作を互いに見せ合う時間を作るとかして、仲間との時間のためにも仕事に集中して打ち込むという動機付けにする、というのはもしかしたら有効かもしれないな。自慢のしあい、けなしあいにならんように配慮は必要だろうが」


 肉焼きセットを収納魔術にしまいこんだ俺に、職人ギルド長はしばらくの間苦虫をかみつぶしたような顔をしていたが。


「まあ、老人のやり方を押し付けるだけじゃ、やる気をなくして逃げていくだけか。誰かさんのせいで世の中が豊かになって、逃げ道が増えちまったしな」


 皮肉たっぷりに、少なくとも今までのやり方を見直す必要がある事だけは認めると、そう答えてくれた。



 一度、いくつか置いたままにしていた荷物を取りに職人ギルドに戻ると、《ゾーリンブランド》を打ってくれた壮年の職人が俺の方を向いて手招きしていた。


「なにか、俺に用か」


 訊ねると、壮年の職人は俺の肩をぽんと叩いて口の端をにっと持ち上げた。


「おう。時間を止めて20年修行してたんだってな。品の出来から言っても、俺の職人歴との比較で言っても、あと10年も作品を作り続けりゃあ、お前さんは《ゾーリンブランド》を越えられる」


 最高の賛辞だ。

 なにしろ《ゾーリンブランド》はかの皇龍と斬り合ってもいまだに刃こぼれが確認できず、切れ味も申し分ない、もはや魔法の武器と言っていい業物。

 その作工からの言葉として、これ以上に名誉なものがあろうか。


「ギルドで一番の職人の名前はお前さんにやる。負けちゃいられねえが、時間を止められる奴にゃあ勝てねえ」


 しかし、壮年の職人の言葉には悔しさがにじんでいた。

 考えてみれば、当然のことだ。

 自分が数十年の修行の末に至った境地に、自分の目線ではわずか数分で迫ってくる若造などという非常識。

 まともに自分の努力と積み重ねた時間に自負を持つ者であれば、悔しくないはずがないのだ。

 だが。


 壮年の職人は、そこで終わらなかった。

 片目を瞑り、顔の前で手を合わせる、少しだけ茶目っ気のある頼みごとのポーズで、壮年の職人は続ける。


「で、だ。毎日、つまりはお前さんにとっては何十年かおきに、だが、最高傑作を手本として俺に寄越してくれないかってのが相談なんだ。お前さんのやる気が続きさえすればだが、その道1000年とか10000年の、普通ならあり得ねえ熟練工の技に触れられる機会なんてのは幸運なんてもんじゃない」


 壮年の職人は、俺が『時間を止める』というイカサマを使って、しかし20年の修行期間を確かに、自分と同じように積み重ねたのだと理解し、それならば、あり得ない修行期間を積んだ職人の技に触れられるチャンスだ、などと考えるほどに、自らの技量を高めることについて貪欲だった。

 というより、そのくらい仕事が楽しいのだろう。

 また新たなことが学べるのがうれしくて仕方ないのだろう。

 彼は間違いなく変態だった。

 ワーカホリックとか、仕事が嫁とか、そういうタイプの変態だった。


「事情は分かった。約束する。俺は君の打った《ゾーリンブランド》に、十二分に満足している。その恩を返す時だ」


 俺は彼の頼みを引き受けることにした。

 俺の目的は《インスタンス・ウェポン》の強化だ。

 成果となる作品については、あまり興味がない。

 それを欲しいという者がいて、その者は俺にとって恩義ある者となれば。

 断る理由などあろうはずもない。


「恩に着るぜ」


 朗らかに笑う壮年の職人に送り出され、俺は再度迷宮に向かった。


 それから皇龍とのスパーリングと素材の加工を往復して繰り返し、主観的には80年ほどの職人歴を重ねた頃、ようやく《ゾーリンブランド》以上だと言える刀が打てた。

 壮年の職人のもとにそれを届けると、壮年の職人は苦笑した。


「ちょっと時間かかったか?」


 なにが10年でできるだバカやろう、などという言葉がのどまで出かかる。

 それを噛み砕いて飲み下し、深呼吸を一つして、俺は刀を差し出した


「ああ。80年かかった。それはきっと、俺と君の才覚の違いだろう」


 踵を返して職人ギルドに置いてある時計を見れば、迷宮に潜るには遅く、夕食にはやや早い時間だった。

 今日の成果について宮廷魔術師ジーナに報告してから、冒険者ギルドに行くか。

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