第59話:無我の剣
まず一本だけ、皇龍の鱗を使って《インスタンス・ウェポン》で剣を作った後、ひたすらに職人用の鎚を振るい続けた、俺の主観的では10年ほどの、実時間では分単位しか経過していない時間。
皇龍の表面の鱗を使い切り、捌いた肉を収納魔術の中で整理し直してから通常の時間に戻った俺は、成果物の中で最も出来がいいと思えた竜鱗の片刃剣を手に、職人ギルド長のもとに向かった。
「おい、さっき作業場に行ったばかりだろ。まさかもう自信作ができたってのか?」
子供の工作じゃねえんだぞ、とでも言いたげに鼻で笑う職人ギルド長に、俺は竜鱗の片刃剣を差し出した。
「手元の素材が尽きた。現行の最高傑作はそれだ。素材確保のため一旦迷宮に戻る。それ以外の成果物は《収納魔術鞄》に詰めて作業場の隅に積んである」
それだけ伝えてギルド長の返答を待たず、俺は職人ギルドを後にした。
「そんな理由で、《収納魔術鞄》を担いで来たのか、面白い人間。面白い奴だとは思っていたがここまで面白いと一周回ってあきれ果てるぞ」
素材確保のために第20層を訪れた俺を、宣言通りあきれ果てた声色で睥睨し。
「しかし、やられっぱなしというのも気が滅入る。我も一つ技を覚えたのでな、試させてもらうとしよう」
そう宣言すると、皇龍は光に包まれ、急速に小さくなった。
存在の規模は変わっていない。いわば、圧縮されたのだ。
何故かフル装備のメトに少し似ている姿への変身を終えた皇龍は、メトと全く同じ構えを取った。
「さあ、これで条件は互角だ!」
拳を握り踏み込んでくる皇龍を、俺は《ゾーリンブランド》で迎え撃った。
対敵の、盾を模しているのかドラゴンの姿の名残を残した右腕から繰り出される正拳突きは、拳風だけでも周囲の地形を抉る程の威力を持っていた。
さながら、音速を越えて撃ち出される弾頭といったところか。
殺傷力過剰の剛拳は俺の体組織をただの一撃のもとに解体しつくして余りある。
その拳は、直撃はもちろん、かすめただけで即死確定の一撃だ。
あらゆる防御手段を紙屑のように引き裂いて、俺の命を奪う一撃だ。
しかし、俺の手の中にある《ゾーリンブランド》は、それを見事に捌いてのけた。
受け止めたわけではない。
そんなことをすれば《ゾーリンブランド》の繊細な刀身は砕け散る。
受け流したわけでもない。
それだけでも、《ゾーリンブランド》をへし曲げるには十分すぎる威力だ。
回避したわけでもない。
俺は一歩も動いていない。
ただ白刃の軌跡だけが、水飛沫の如く虚空を流れ散る。
そのたびに皇龍の拳が、見当違いの方向へ導かれて不発に終わる。
なんだこの技は。
なんだこの技術は。
なんだこの技量は。
俺は知らない。こんな武術を知らない。
それなのに、俺はその技の原理を理解した。
《ゾーリンブランド》は皇龍の攻撃を弾き返しているわけではない。
むしろ逆に、刀身を竜の拳に絡めとり、手前に引き寄せるように釣っている。
敵の攻撃に、自ら勢いを加えているのだ。
これによって、皇龍の拳は速度を増すが、同時にわずかにベクトルを狂わされ、結果、標的を外れて勢い良く振り抜く羽目になる。
それによって体制を崩され、姿勢を整えながら放つ皇龍の打撃は一撃ごとに威力と正確さを失っていき、僅かずつではあるものの、隙を広げていく。
「こ、のぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
攻め通しているはずの自分がむしろ不利であることを悟ってか、皇龍は人間態で竜の力を完全に開放、肩から先が分裂して見えるほどの連撃を仕掛けてくる。
闘士を極めたらメトもこういうことができるようになるのだろうか。
もしそうなら、あとでメトに稽古をつけてもらえるように頼めないだろうか。
皇龍の拳風の轟きの中、しかし俺はそんなことを考える余裕さえあった。
怒涛の猛攻に応じる《ゾーリンブランド》は、なお一層軽く、速く、柔靭に奔る。
闇に踊る繚乱の白刃は、最大速度の連撃拳を、しかしこれまで通りに捌き続けた。
俺は生身の人間だ。いかにこの世界がゲーム的な法則に満ちているとはいえ、間違いなく限界が来る。ドラゴンという超存在とは、どうあがいてもその点に差がある。
このスピードで刀を振るい続ければ、いつか必ず息切れを起こす。
それなのに《ゾーリンブランド》が描く剣戟の綾目は、一行に鈍る様子がない。
俺の知らないナニカが、俺の体に起こっている。
その正体は分からないが。ひとまず、今はそれによる性能強化に便乗させてもらうことにしよう。
俺の耳に届いたのは、ただ一刹那の風切音。限りなく鋭く疾い、ただそれだけの気流の響き。断じてそれは、鋼と、竜鱗が激突する音などではなかった。
なのに、皇龍の右腕は、肩から離れて視界の隅へと飛び去った。
「一撃か……全く、底が知れないな、君という奴は。実に、実に面白い」
肩をすくめる皇龍の首を落とし、もとの形に戻った皇龍の死体を《収納魔術鞄》に詰めて俺は地上に戻った。
皇龍の死体を捌いて職人ギルドに戻った俺は、何やら騒然としている周囲を無視してまた時間を止めて作業を開始した。
今回は、多少は経験値が溜まった職人の熟練度が《インスタンス・ウェポン》に影響を与えているかを検証してみる。
結論から言えば、影響は大いにあった。二度目の《インスタンス・ウェポン》で作った剣は、確かに一度目よりも大幅に性能が上がっていた。
《ゾーリンブランド》には遠く及ばないが、それでも、万一、《ゾーリンブランド》がへし折れた場合に緊急の予備兵装として使用するには十分だ。
いつか、《ゾーリンブランド》を超える刀を生み出せる日が来ることを夢見て、修行に励むとしよう。
また10年ほど皇龍の鱗を加工し続けて通常の時間に復帰し、一番出来がいい刀を《ゾーリンブランド》と見比べていると、職人ギルド長がドスドスと音を立てて俺の前まで走ってきた。
「ダンジョン・ディガーてめえどういうイカサマ使いやがった! 初日の職人が作れるようなもんじゃねえぞこの剣はよぉ!」
俺が最初に提出した片刃剣を突きつけて怒鳴ってくるギルド長だが。
「時間を止めて、主観的には10年ほど作業した、と言ったら笑うか?」
ちょうど手元で《ゾーリンブランド》と見比べている竜鱗の刀を見せつつ訊ねると、職人ギルド長は顔をひきつらせた。
「そんなこともできたのかよ……」
最初に作った竜鱗の片刃剣と、今見せた竜鱗の刀を見比べながら、そこにある10年分の修行の蓄積を否応なく認識したのか、職人ギルド長は納得したかのように首肯し、親指で職人たちが輪を作っている方向を指し示した。
「じゃあ、あの《収納魔術鞄》の中身は全部、自分で作ったんだな?」
職人たちが車座になって、中身を取り出しては検分している《収納魔術鞄》を指さした職人ギルド長に、俺は首肯を返した。
「そうだ」
職人ギルド長は頭を抱えた。
「やってくれたなてめぇ」
なにか、まずかったらしい。
「てめぇの極端な上達の速さに若い衆がやる気をなくしてんだよ。作品数から10年かそこらの作業量に達していることを理解してるのは、10年以上のベテランだけだ。どうしてくれんだよコラ」
首をかしげる俺に、職人ギルド長は吐き捨てるように言った。
なるほど。後進の育成に支障をきたす、か。
それは問題だ。
とはいえ、《流星の腕輪》はもうない。
メトが使いたくないというので魔剣に食わせてしまったのだ。
……食う?
「俺が時間を止めて10年作業したことの証拠を見せるのではどうだ」
少し腹が減ってきていた俺は、皇龍の肉を食うことに思い至った。
「できんのかよ」
いぶかしげな職人ギルド長に、俺はにやりと笑って見せた。
「できる。城に行って練兵場を借りる必要はあるが」
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