第55話:迷宮国家

 宮廷魔術師ジーナと別れた俺は、第20層で皇龍と挨拶代わりに一戦交え、今回は死体を収納魔術に押し込んでから第21層に向かった。

 視察の時目にした通り、第6層から第10層の農業で大量に肥やしを使うことになるので、少しくらいなら俺がドラゴンを食っても肥溜めが満杯になることはないだろう。


 入り口から見渡す範囲では、第21層は、険しい山岳に囲まれた海のようにも見える湖と、その中央に浮かぶ巨大な城のような建築物で構成されていた。

 おそらくは、あの中に第22層へのポータルがあるのだろうが。


「和式建築……?」


 まず目を引くのは、その城の建築様式。

 美しい勾配を描く、滑らかな切込接きりこみはぎの巨大な石垣の上に、目の覚めるような白の漆喰と黒の瓦のコントラストが映える城壁に囲まれ、高くそびえる中央の構造物の上にしゃちほこを飾った威風堂々たる城塞は、どこからどう見ても、俺にとっては前世の文化財としてなじみ深い、和式の城であった。


 あれほどに美しいと《エンド・オブ・センチュリー》で爆砕するのが惜しくなる。

 城を戦闘要塞ではなく文化財としてとらえる俺に対しては、あるいは最強の防御方法なのかもしれない。

 作った何者かは絶対にそんなことは考えていないと思うが。


 ともあれ、俺はその城塞を、まずは近くでよく観察してみることにした。



 今の俺にとっては何の脅威にもならない、襲い来る魔物を《カウンター》で処理しながら十数キロの山道を下り、湖畔にたどり着いた俺は、城塞を眺めながら湖の周辺をぐるりと回り、そして、湖の小島を繋ぎながらその城塞にたどり着ける橋の前で足を止めた。


「……見られている」


 確かな視線を感じる。

 城塞から、俺を見ている者がいると確信する。

 孤独の女神の恩寵か、積み上げたレベルによるものか、それともドラゴンとしての知覚か、いずれにせよ、決して錯覚ではないと言いきれるだけの確信をもって、遠くからの視線を認識する。


 半径にして3キロほどはありそうな湖の中央に浮かぶ、半径1キロ程度の城塞から、つまり2キロほど離れている位置から感じる視線は、それだけの性能を持つ狙撃銃のスコープと考えるべきだろうか。


 そんなものはあり得ない、そう断じるには、俺はこの世界で荒唐無稽なものを目にし過ぎた。


 だから。


 俺は努めてゆっくりと、橋に足を踏み入れた。



 拍子抜けにもほどがあるが、俺は一度も射撃されることなく、橋を渡り切って城門にたどり着いた。


 城門は開放されており、そこには多くの、武装した和装の女たちが俺を待ち構えていた。

 何故か、女ばかりだ。男がいない。

 出払っているのだろうか。


「貴殿は地上の者か」


 リーダー格らしき女の問いに、俺は首肯した。


「当方フェイト。アスガルド国女王の勅命により迷宮を探索している。現在位置を迷宮第21層と認識し、迷宮第22層への道を探しているところだ」


 女が続けるであろう、俺の素性、目的に関する問いを《邪眼》で予知して答えると、女は目を細めた。


「こちらの言葉を察したな。竜の力か」


 どうやら、ドラゴンの職業について知っているらしい。


「よく魔力が持つな」


 続けられた女の言葉は、彼女がドラゴンの職業を詳しく知っていることを俺に痛感させるには十分すぎた。


「無限の魔力が文字通り手の中にあるものでな」


 しかしこうしてみると、魔剣のインチキっぷりが改めて痛感される。

 HPと魔力を、ほぼ瞬時に最大まで、無限に回復し続けられるという反則級の性能ゆえに、俺はドラゴンの経験値のため《竜魂解放》を常時展開して行動するというじつに贅沢なことができているのだ。


『えへへ……』


 何故か魔剣が嬉しそうにしていた。

 まあ、気にしないでおこう。


(私にもっと力があれば……! 無力が憎い……!)


 悔しがる女神の幻影は本当にかわいい。


 俺が少々気を散らしている間、少しばかり考え込むようなそぶりを見せていた女は、やがて俺の手を取った。


「竜の力を身に宿す者よ、貴殿にとっては寄り道になるが、この迷宮国家を救ってくれないだろうか」


 迷宮国家。それが彼女たちの住むこの場所の名前らしい。

 1000年前に迷宮の生成に巻き込まれた人間が迷宮の中で生き残り、生きるために打ち立てた国家というところだろうか。


「救う? どのように」


 十分な人数規模と設備を持ち、迷宮で長年生き抜いている彼女たちから俺が学ぶことは多いように思うが、俺が救うというのは、妙な話だ。

 いささかインチキなドーピングを繰り返した俺の能力が高いこと自体は認めるが、それはそれ。

 彼女たちの視点からは、俺は浅い層からやってきた未熟者であるはず。


「たいしたことではない。私たちを手当たり次第に孕ませてくれればいいのだ。子育ては我々がやる。無論君が子供に愛着があるなら尊重するが」


 十分にたいしたことだった。

 労力や難易度という意味ではたいしたことではないのかもしれないが。

 俺にとっては心理的にたいしたことだ。


「理由を聞こう」


 とりあえず、俺はそう返した。


「魔物は女の胎を使って繁殖する。だから、魔物と戦って命を捨てるのは常に男の仕事だった。その結果、今のこの国には男が残っていない」


 なるほどそれは一大事だ。

 人間とて、繁殖するためには雌雄一対を必要とする有性生殖生物。

 魔物の繁殖を抑えるためとはいえ、男の命が軽すぎるこの世界ではそういう国も生まれうるのか、と、妙に他人ごとめいた感心を覚えつつ、俺は尋ねる。


「地上に出るという選択肢はないのか」


「我々にとってここは、かけがえのない故郷だ」


 いかに迷宮に取り残された者たちとはいえ、1000年もたてば末裔の感覚はそんなものか。彼女たち自身の感情もまあ、分からんでもない。

 美しい湖と山に囲まれたこの場所に愛着がわくというのも分かる。


 だが、それはそれとして。

 その状況なら故郷への愛着とかにこだわらずに地上に出ろよ、という言葉を飲み込むのに、俺は相応の苦労を味わった。


「なら、何人か地上に送ってナンパさせるとか」


「やっている。ウルリカがこの間、気に入った男に声をかけたが全く相手にされなかったと言って泣きながら帰ってきた」


 俺が思いつくようなことは、もうやっているようだ。成果はともかくとして。


「なんでも声をかけた男はたいそう強い者であったらしく、あえて怒らせてわからされることを狙って相当に侮辱したらしいのだが、聞こえてすらいなかったかのように同伴していた少女といちゃつきながら立ち去られたらしい」


 ウルリカという女のことは知らないが、気の毒なことだ。

 彼女持ちに声をかけたことや言葉選びなど、明らかに手段を間違いまくっていることは、きっと教えないほうがいいのだろう。


「ちなみにウルリカはそこにいる。見覚えはあるか?」


 リーダー格の女が指し示した先にいた少女に見覚えはない。


「いや、知らん顔だ」


「あーっ! お前は!」


 首を横に振った俺に、しかし少女の方は見覚えがあるらしかった。


「ヴィヴィアン! こいつだよあたしが声をかけた相手! 地上じゃコイツに並ぶ者はいないくらいに強いんだ! フェイトって名前は初めて聞いたが、迷宮を掘る者ダンジョン・ディガーで通ってるんだ!」


 声をかけられた覚えが全くないのだが、少女のいう人物は確かに俺のことだ。

 なら、俺が忘れているだけか。


「ウルリカと言ったな。君に声をかけられた後、俺が同行している女性とどういう会話をしたか覚えているか」


 確認のため、聞いてみる。


「え? たしか、『おろせ、そいつを殺せない』ってお前が抱えてる女が言って『じゃあおろさない』みたいなことを返しながら、女を抱えたまま歩いてったな」


 そのやり取りには覚えがあった。メトが何をトチ狂ってか俺の奴隷になりたいと志願し、荷物持ちとして起用した日の、帰還後の会話だ。


「じゃあ、俺か……」


 声をかけられたのは俺であることを、認めなければならなかった。

 そして。


「強い男……」「並ぶ者がいないほど……」「じゅるり……」


 俺を取り囲む女たちの目が、名状しがたいぎらつきを増したことを、俺ははっきりと感じ取った。

 見目麗しい女たちに欲情されているという、男なら夢見るシチュエーションであるというのに、全く嬉しくないのはなぜだろう。


「何が不満なのだ? 貴殿は、多くの女を孕ませる機会という、かつて迷宮国家にいた男たちが欲してやまなかったものを得ているのに、嫌がっているように見える」


 リーダー格の女の言葉は、確かに俺の煩悶を言い当てていた。

 何人もの女性と関係をもつ不義理への忌避感、そんなものは、彼女たちが置かれている状況を考慮すれば、贅沢な悩みと一刀両断すべきものだ。

 子供に対する責任が持てる気がしない、というのも、本来気にすべきところだが、彼女たちは自分たちで育てると言いきっている。

 その二つを捨て去った先に残るはずのものは、本来なら、『たくさんの女性とそういう行為を楽しめてラッキー』とかそういう不道徳極まりない感情のはず。


 それなのに、俺はどうしても、その不道徳な快楽に身をゆだねるという道を選べなかった。

 答えを求めて1秒ごとに大脳を全周する思考は、やがて一つの顔を記憶の中から拾い上げる。


 メト。

 俺の孤独への渇望に理解を示してくれた女性。

 彼女を、彼女の好意を、裏切りたくない。


 裏切られるのは慣れている。

 それなのに、いや、だからこそ、か。

 自分が彼女を裏切るのは、どうしても嫌だった。


「そうだな。少なくとも、俺がそうすると悲しむ奴がいる。自惚れかもしれないが」


 ようやく絞り出せた声に、リーダー格の女は応用に頷いた。


「そうか。では、その者と話し合ってくるがよい。我々も、出来れば地上最強の男の子種が欲しいが、嫌がる男から子種を搾り取るような下衆の真似はしない」


「わかった。では、地上に戻る」


 俺は《携帯非常口》を地面にたたきつけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る