第44話:マジボケ主人の恋女房
俺が孤独な5000年を満喫して通常の時間に戻ったとき、まだ世界の時間は3時間ほどしか進んでいなかった。速度の上昇率はもっと低いと思っていたが、やはり素人の暗算などあてにならないものだ。
なお、貧民街の肥溜めはいくつか満杯になった。
少々申し訳ないが、有効活用してくれることを祈るしかない。
「思っていたより能力が上がったことは歓迎すべき、か」
5000年の止まった時間の中で、食いきれずに溜まっていた魔法の果物も、読みきれずに溜まっていた魔導書も、そして、メトが数回俺の前に置いて行ってくれた大量の魔法の果物も魔導書も消費しつくした。
《ドラゴンの血》も大量に余っている。
疑似的な時間停止能力を切り札として運用するのはもちろん、たまに孤独を満喫するための娯楽用として使っても惜しくない程度には。
無論、再入手の当てが常にあるとも限らないし、ノーリスクで若返りができて数千年生きられるようなおぞましくヤヴァイ霊薬の存在を明らかにするわけにもいかないので、使用時は目立たないようにする工夫も必要だろう。
その意味では、ドラゴンを打ち負かした本人にしか効果がない、というのは、世界の法則として良くできているのかもしれない。
「フェイト……?」
呼ばれて振り返ると、《収納魔術鞄》を膨れさせたメトが立っていた。
鞄の中身は魔導書や魔法の果物だろう。
ずいぶんと世話をかけてしまったらしい。
「はい。ただいま戻りました」
俺がその声に応えると、メトは《収納魔術鞄》を放り出して飛びついてきた。
「お帰りなさいっ!」
メトにとってはたった数時間のはずだが、数年来の再会のようなテンションで抱き着いてくるメトを受け止める。
「気を遣わせてしまったようですね。ありがとうございます」
俺がらしくもない礼を言うと、メトはにぱー、と、子供のような笑みを浮かべた。
「言われなくても主人のために動くのが奴隷ですぅ!」
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俺は両手両膝を地面についた。
……どうして、メトはこうなってしまったのだろう。
「ふぇ、フェイトぉ?」
突如崩れ落ちた俺に、メトは困惑を見せている。
「失礼。今でも、メトさんの主人である自覚があまりないのです」
俺は土を払って立ち上がった。
いかな不本意な経緯であれ、既に俺と彼女は主従である。
彼女はすでに、従者かくあるべしという姿を追求し始めている。
ならば、俺もまた、いつまでも主人の責務から逃げ回るわけにはいかない。
「とりあえず、《エンド・オブ・センチュリー》の魔導書は女王陛下に献上しに行きましょうか。これで魔術部隊の火力を上げられます」
俺はせめて、少しでも主らしく、行動方針を示す。
「あ、買う魔導書を厳選してませんでしたぁ」
俺の言葉で《エンド・オブ・センチュリー》の魔導書は俺に必要なかったことを思いだしてしまってか、メトはバツが悪そうに目を伏せた。
そういう意図ではなかったのだが、確かにそう受け取られても仕方がない言い方だったかもしれない。
「いいんですよ。選別作業もいい暇つぶしでした」
5000年という桁違いの退屈の中では、魔導書の仕分け作業すらも刺激的だった。
無論、誰とも話さなくていい5000年というのは、無上の安息でもあったのだが。
ともあれ、メトが気に病んでしまうような話題を続けるのはよそう。
「それより、買い手がつかない果物はともかく、魔導書の在庫があんなにある店がよく見つかりましたね」
5000年という時間の中ではごくわずかな無聊の慰みではあったが、数時間で用意した量としては明らかに異常な多数の魔導書を思い返せば、メトがどれだけ苦心したのかは容易に想像できる。
その苦労を知り、労うくらいはすべきだろう。
「足がなくなった魔術師のおじいちゃんが魔導書作家になったそうで、ちょうど商人ギルドに運び込まれてたぶんを全部買っちゃいましたぁ」
メトは照れたように笑いながらそう教えてくれた。
「そうですか。ありがとうございます」
俺はきっと、多くのものに感謝すべきなのだろう。
足を失った老魔術師が人生を諦めずに魔導書作家としてデビューし、大量の魔導書を執筆してくれたこと。
その納品のタイミングでメトが商人ギルドを訪れた巡り合わせの良さと、即座に俺の5000年の暇つぶしを考慮して魔導書を買い占めると決定したメトの判断力。
無茶苦茶な買い占めを了承してくれた商人ギルド。
パッと思いつくだけでもこのくらいはある。
無論それは俺が頼んだわけではない。それでも、俺のためにしてくれたことだ。
俺は孤独を満喫するにも、周りにお膳立てしてもらわなければならないのだ。
なんたる矛盾。なんたる背理。
俺は孤独を愛し、求め、そして、それを得ることもできる。
しかし、本当の意味で孤独になることはできない。
俺は、かつての世界同様、孤独を求めながら人の中で生きていくしかない。
だから、俺は俺の孤独を許し、与えてくれる人に報いなければならない。
それを自覚すると、言葉は口をついて出た。
「メトさん、何かしてほしいことはありますか。欲しい物とかでもいいんですが」
脈絡のない俺の言葉に首をかしげるメト。
「急にどうしたんですか?」
説明不足なのは俺の明確な欠点だ。
人とコミュニケーションをとること自体を好まないのだから、克服可能な欠点だとも思っていないが。
しかし、必要な時に補足説明を行う労力を惜しむほど怠惰でもない。
「この数時間の働きに対する褒美。そのようにお考え下さい」
俺の説明に、メトは目を見開き、そして心底嬉しそうに笑った。
「それじゃあ、これからもずっと、ずぅ~っと一緒にいたいですぅ」
周囲の通行人がこちらを振り返る。
褒美をやろうという主人の言に対してその返答をする奴隷というのは、さぞや高度に調教済みと映ることだろう。
なぜか王都の通りには女性が多いこともあって、命の危機を感じるのだが。
とはいえ、要望を言わせておきながら前言を翻すのもまた、憚られる。
「だめ、ですかぁ……?」
ましてや、不安げに見上げてくるメトに容赦なく却下を叩きつけられる程度の
孤独の狂信者になるほど、人との関わりに倦み疲れていない。
(ほんとうに、矛盾した人。その矛盾を愛してやまない私も、人のことは言えないのかもしれないけれど)
あきれ果てたような、しかし、歓喜の色を含んだ孤独の女神の言葉に確信する。
俺は、これでいいのだ。
これが、俺だ。
俺は深呼吸を一つして、メトに目を向けた。
「では、ドラゴンを一人で殺せるようにならないとですね」
ずっと、というからには、寿命問題を何とかしなければならない。
「どういうことですかぁ!? ドラゴンを一人で殺せない雑魚奴隷はいらないってことですかぁ!?」
メトは盛大に誤解していた。
メトの大声で衆目を集めてしまった今、誤解を解くためには絶対に周囲に聞こえない声で説明しなければならないわけだが……。
ひとまず、俺はメトの耳元に口を寄せた。
「ぴゃぁっ!?」
「《ドラゴンの血》を使って長生きしなければ、ずっと、という条件が満たせない。そのためにはメトさんがドラゴンを一人で殺せる必要がある、ということです」
「……」
俺が耳打ちすると、メトはぽかぽかと俺の胸板を殴ってきた。
レベル3桁後半のメトがそれをやると普通の人は一瞬で死ぬのでやめてほしい。
「き、キスしてくれるのかなって期待した私がばかみたいじゃないですかぁ!」
メトは急に変なことを言い出した。
今の文脈で何をどう解釈すればキスという結論になるのか、全く分からない。
そもそも、俺がそんなことをするほど人を好きになる心を残しているとでも思っていたのなら、俺という人間を極端に買いかぶっていると言わざるを得ない。。
「それは確かに愚の骨頂ですね」
直後、メトの正拳突きが俺の顔面にめり込んだ。
痛くはないがHPがもったいないのでやめてほしい。
「~~~~~~!」
泣きながらぺしぺしと叩いてくるのはやめてほしい。
ちょっとしたレンガ作りの家程度なら余裕で粉砕できる筋力があるという自覚を持ってほしい。
(あなたって人は……)
孤独の女神の呆れ顔は今日もかわいい。
「とりあえず、その話は女王陛下に魔導書を献上してから考えましょうか」
叩かれている事実から目を背けて今後の予定を確認すると、メトはため息をついて俺の腕に抱きついた。
「フェイトはしょうがない人ですねぇ」
どういう意味だろうか。
よくわからんが、まあ、気にしないことにしよう。
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