第42話:ドラゴンスレイヤー
「溶岩……ですねぇ……」
第16層につくなり、メトがしみじみと口にした。
「溶岩ですね」
そう。溶岩である。
そこかしこを川のように流れる赤熱した粘性の液体。
視線を上げれば紅に輝く滝。
国民的狩猟ゲームの火山ステージもかくやという溶岩地帯が、俺たちの目の前に広がっていた。
俺は《水中呼吸の指輪》を外し、複数合成して火炎耐性を無効化まで高めた《耐火マント》を装備する。
メトもそれを見て《耐火マント》を羽織った。
体にくくりつけた大量の《収納魔術鞄》を予備の《対火マント》でひとつひとつ包むその細かな気配りが、荷物持ちを頼んでいる身からすると本当にありがたい。
仲間として戦っていた時も、前衛を頼んでいただけなのに隙あらば俺の頭にHP回復薬を投擲してくれていたし、メトはもともと気遣いの達人なのだろう。
それを横目に周囲を見渡し、俺はため息をついた。
「さて、どう進んだものかな……」
地形をぶっ飛ばせば楽に進めた第10層以前。
地形をぶっ飛ばしても敵の襲撃が激しくなるばかりの第12層から第15層。
そして、地形をぶっ飛ばしたら溶岩で進行不能になる可能性もある第16層。
地形を粉砕して快適に進める時期は終わってしまった、ということらしい。
俺はとりあえず、地図の通りに進んでみることにした。
数十年前の地図が果たしてどこまであてになるものか、まずは試してみよう。
ダンジョン・ディガーと呼ばれる少年を追って第16層に突入したアスガルド王国第一王女、レイア・アスガルドは、自分の目と正気を疑った。
ダンジョン・ディガーと呼ばれる少年は、いつものように《誘引剤》を大量に浴びたのだろう。
彼にとって、《誘引剤》を使い魔物を呼び寄せることは、いつものことだ。
それはわかる。
それ自体が十分すぎる自殺行為であるということは横に置き、彼にとって迷宮探索とはそもそもそういうものなのだ、と自分を納得させることは、できる。
第16層から第20層は、《竜の巣窟》と呼ばれる領域で、そこに住まう魔物とはドラゴンを指す、という重大な事実に目を瞑れば、それは少々異常な、しかし確かな日常の一部だった。
つまり。
かの少年は、10人がかりで1体でも殺せば、その10人は
その雄姿は、神話に生きる英雄を謳う伝承歌、その佳境として用いるに十分すぎるほどの
遠間から少年めがけて火を噴こうとしたドラゴンが、少年の放つ500ほどの
少年を迂回し、背後の少女に空中から襲い掛かろうとしたドラゴンの翼が少年の
少年に振り下ろされたドラゴンの爪が切り払われ、砕ける。
少年にかみつこうとしたドラゴンの首が宙を舞う。
少年が剣を振るえばドラゴンが死ぬ。
少年が手をかざせばドラゴンが死ぬ。
少年が石を投げればドラゴンが死ぬ。
少年が攻撃を避ければドラゴンが死ぬ。
少年が攻撃を受け止めればドラゴンが死ぬ。
少年の動きを先読みしようとしたドラゴンが死ぬ。
少年の後の先を取ろうとしたドラゴンが死ぬ。
少年から仲間を救おうとしたドラゴンが死ぬ。
少年に抗おうとしたドラゴンが死ぬ。
少年から逃げようとしたドラゴンが死ぬ。
少年に近づけばドラゴンが死ぬ。
少年の視界に入ったドラゴンが死ぬ。
夏に降る雪のように儚く溶けていくドラゴンの命。
極限まで希釈される現実感の中、息をつく間もなく、ただひたすらにドラゴンを殺して、殺して、殺し続ける、少年の姿。
それは、いっそ清々しいほどの、目をそらしたくなるほどの、一方的な虐殺。
それだけならまだ、拒絶したがる感情と本能を理性で抑えつけて、目の前の光景を死に物狂いで受け入れることはかろうじてできたかもしれない。
それすらも許さない、少年の奇行がレイアの正気をごりごりと削っていく。
「わけがわからない……なんで……斬り殺したそばからドラゴンを収納魔術に入れているの……?」
王女レイアの呆然としたつぶやき。
それが、その場にいた者の感想の全てを代弁していた。
少年は《エンド・オブ・センチュリー》のような広域殲滅力に優れた攻撃手段を用いることなく、わざわざ手間のかかる近接戦闘を選んでいる。
魔力が尽きたか、溶岩が流れるこの第16層で下手に地形を破壊し、溶岩に飲まれるリスクを嫌ったか、それとも他の理由か。
いずれにせよ、近接戦闘を行っていること自体は、まだ解釈のしようがある。
かの少年が現に見せている圧倒的な戦闘力ならば、ドラゴンを相手にしても近接戦闘で後れを取ることはないだろう。
人類とドラゴンの間にある隔絶した力関係の
だが、正気を保ったままでは決して理解できないだろうと確信できる。
ドラゴンを1体殺すごとに、乱戦の最中にもかかわらずその死体を素早く収納魔術に格納しているという、頭のネジがダース単位で消し飛んだような奇行だけは。
殺したドラゴンのドロップ品や経験値は、HPを潰しきった瞬間に得られている。
稼ぎとしてはそれで十分なはずだ。
ドラゴンの死体は、放置すればいずれ迷宮に吸収されて消える。
死体が戦闘の邪魔になることも、ないはずだ。
だから、乱戦のさなかに隙をさらす理由など、ないはずだ。
ない、はずなのだ。
「ヒャッハァァァァァァ! ドラゴン肉食べ放題だァ! 竜の鱗や骨も使いでがありそうだしなァ! 全部かっさらって行くぜぇぇぇ!」
レイアは頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。
よりにもよってそんなしょーもない物欲で、しかし、らしいと言えばこのうえなくらしい理由で、気狂いの少年はドラゴンを殺戮し、収納魔術に回収していた。
いっそ、ドラゴンの死体を丁寧に回収するという所業から目をそらし、その一方的な虐殺を英雄の雄姿と見まがい、見とれてしまいたいのに。
「ククク……クヒヒ……ケヒヒヒ……これだけのドラゴンの肉……どれだけ能力が上がるか楽しみだなぁぁぁ! クヒャーッハハハハハ!」
気狂いの少年は、どこまでも気狂いだった。
そして何より、邪悪だった。
「アイツ……相変わらず殺しを楽しんでるわよね……それも、純粋に。見てて頭おかしくなりそう」
狩人の少女シャルが吐き気をこらえつつ、吐き捨てた言葉。
それは少年の狂気の本質を突いていた。
殺戮を楽しむ人間というものは、本来、命を奪うことへの暗い愉悦が滲み出るはずなのだ。
だが少年にはそれがない。
殺戮を楽しみながらも、命を奪うことを楽しんでいない。
命あるものを相手取り、戦い、その結果自分が生き残り、相手が死ぬというプロセスによって得られる後ろ暗い優越感には最初から興味を持っていない。
たとえるなら、もう捨てるから庭の植木鉢を好きに割っていいと言われた子供のように、ただ純粋に、破壊という行為を楽しんでいるのだ。
たまたま、今はその破壊の対象が命あるドラゴンだったというだけのこと。
「竜殺しの英雄……だけど……」
魔術師の女、アリサも顔をしかめる。
かつて悪魔によって王都が襲撃された際に、失われた命を前にした少年が恐慌に陥りかけた瞬間を知っているアリサにとって、今の、殺しを殺しと思っていないかのように無邪気に笑う少年は、あまりにも歪に映った。
異世界人である少年にとって、敵の命はゲームの敵キャラクターめいている。
だから少年は敵を殺すことに一切躊躇がない。
所詮敵キャラクター、殺していいNPCだから。
だが、何故かこの世界では、それが人と、命と同じレイヤーに乗っている。
少年にとって歪んでいるのは、この世界のほうなのだ。
そんな少年の価値観を、この世界の住人が理解できるはずもない。
「おえっ……」
聖術師の女、カノンは嘔吐した。
これは、駄目だ。いけないものだ。
かの少年の殺戮を、カノンは受け入れられなかった。
正義の戦いと呼ぶにはあまりにも圧倒的で、一方的な殺戮。
ドラゴンは脅威以外の何物でもない。
だからあれを殺すことは、人類にとって正しい。
カノンがそう自分を説得するには、殺しすぎていた。
あまりにも殺しすぎていた。
そしてあまりにも、一方的だった。
ドラゴンという本来抗いえない天災が相手とはいえ、あれほどに徹底的な殺戮は本当に正しいのか?
ドラゴンの群れを圧倒できる力を持っているのなら、殺す以外にもっと他の手段があるのではないか?
少年が少しでも苦戦していたら、戦いらしい光景が少しでも展開していたら、決して抱かなかったであろう感想。
命の尊さを信じ、聖術師の道を選んだカノンには、どうしても、少年の殺戮は受け入れられなかった。
あの少年には、頼りになる、正しく導いてあげられる大人がついていてあげなければいけない。
カノンは改めてそう確信した。
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