第36話:少女の絶望、少年の憐憫

 逃げるように酒場を後にした、というか文字通り酒場から逃げて宿屋に向かう道中、俺は天を仰いで深いため息をついた。


 先ほどまでの顛末を要約すると、以下のようになる。

 飯を食っていたら公開羞恥プレイにつき合わされ、1人の少女を奴隷にした。

 何を言っているか分からないと思うが、俺にもわからない。


 しかし、それが白昼夢などではないことを、メトの首の《支配の首輪》から俺の左手首に伸びる、目を凝らせば見える程度の、か細い光の糸が証明している。


「フェイト、怒ってますか……?」


 はっきりしているのは、そんな破天荒極まる手を使ってでも、今俺を不安げに見上げている少女、メトは俺と一緒にいたいと願っていて、メトがそんな手を使ってくるレベルで拒絶し続けるくらいには、俺は誰とも一緒にいたくないと願っていること。


「……いいえ」


 つまりはこの意味不明な現状も、意地の張り合いの末に押し切られたという、なんともありきたりな喧嘩の結末に過ぎないのだろう。


「1人になりたいときは、言ってくださいね。他のことして待ってますから」


 俺の不機嫌面を見てか、メトはそう提案してくる。

 俺と一緒にいたいメトと、誰とも一緒にいたくない俺の間で妥協点を探すなら、結局のところ時間配分しかない。

 それを分かっているだけ、まだ、ここにいるのがメトでよかったとは思える。


 そこまで考えて、俺は失笑した。

 誰とも一緒にいたくない、という俺自身の在り方を覆すほどではないにせよ、俺もメトに好意を持っていたようだ。


「……それで良しとするか」


 俺は左手首に巻き付いた光の糸に、さながら脈をとるときのように右手の人差し指と中指を添えた。

 メトに見せつけるようにそうして見せたのは、奴隷に対する命令権を行使すると、彼女に明示するため。


「仲間の皆さんに別れの挨拶を済ませてきてください。あの場では、俺の奴隷になりたいと叫んだだけで、仲間には別れを伝えていなかったでしょう?」


「はい! 初めて命令されちゃいましたぁ♪」


 メトはスキップでもしそうな機嫌のよさで酒場に戻っていった。

 命令されたこと自体に喜んでいるらしいが……女心は難解である。



 仲間への挨拶を済ませ、俺が泊まっている宿の一室までついてきたメトは、ベッドに腰かけて魔導書を読んでいる俺の隣に座って袖を引いた。


「作戦タイムをお願いしますぅ」


 何か相談したいことがあるようだ。


「認めます」


 俺は灰になった魔導書を握りつぶして応じた。


「まず、私が戦闘面で役に立つ余地はありますかぁ?」


 いきなり答えにくいことを言う。


「……ない、ですね」


 俺は事実を告げた。


 今の俺とメトは、レベルだけで比較すればほぼ同等だが、能力が上がる果物とスキルを覚えられる魔導書から得ている効果が違いすぎる。

 HP以外をゴリゴリにあげている俺と、HPだけが異次元レベルに上がっているメトでは、殲滅力に大きな違いがあるのだ。

 メトを壁役として運用するという手はあるが、女の子を肉盾にするなどという鬼畜の所業はいくら俺でも気が引けるし、現状の殲滅力なら壁役はそもそも必要ない。


「そうですよねぇ……探索方面でも、フェイトは熟練度3桁の盗賊ですしぃ……」


 メトの言う通り、戦闘以外で役に立つ分野を探そうにも、最初に思いつく探索部分は俺自身がむしろ専門家だ。


「そうですね……そうなると……」


 あと思いつく可能性は。


「荷物持ちとか……」「せ、性奴隷でしょうかぁ……」


 俺は自分の耳と正気を疑った。が。


 見る見るうちに紅潮していくメトの顔と、その頬を伝う冷や汗が、俺の聞き間違いではなかったことを教えてくれた。


「そ、そうですよねぇ! 荷物持ちですよねぇ!」


 俺が何か言う前に、メトは手をぶんぶんと振りながらまくしたてた。

 自分の口走ったことをなかったことにしたいらしい。

 俺としても、あまりこの話は引っ張りたくない。


「明日は持てるだけ《収納魔術鞄》を買い込んでから出発しましょう」


 俺はベッドに倒れ込んだ。


 収納魔術が付与されている鞄の有用性はわかっているつもりだったが、今日までこれを使う気になれなかった理由は二つ。

 《収納魔術鞄》は収納魔術内に入れられないため、俺が満足するような数を購入すれば確実に、戦闘の邪魔になるレベルでかさばること。

 そして、鞄に何を入れたかを絶対に忘れること。

 荷物の管理をやってくれる人材がいれば、どちらの問題も解決する。


「あの……一緒に寝ても、いいですかぁ?」


 俺の隣にそっと寝転ぶメトと入れ替わりに、俺は体を起こし、立ち上がった。

 一緒に眠るほど、メトに気を許した覚えはない。


「やっぱり、ダメ、ですかぁ?」


 悲しそうに目を伏せるメトを見ると、自分の都合を押し通すのも気が引ける。

 俺は、どうしてしまったのだろうか。


「宿の主人に話を通してきます。1人分しか宿代を払っていないので」


 俺は宿の自室を後にした。



 宿の主人に事情を話し、追加の料金を払って戻った俺に、メトは真剣な表情で訴えてきた。


「あの、フェイト、これから寝ようというときに申し訳ないんですけど、私の身の上話、聞いてくれませんか?」


 いつものどこかのんびりした口調ではない、真剣な声。

 そして、こんな面倒な時に限って、まだ眠気もさほど襲ってきていない。


「構いません」


 俺はベッドに腰かけているメトの隣に座る。

 直後、メトは自分の膝の上でこぶしを握った。


「シャルがさっき言ってた、私には奴隷の経験があるって話なんですけど」


 そう前置きして、メトは簡潔に、過去6年の、メト達姉妹の遍歴を説明した。

 父親が第6層で行方不明になった(死亡した)のは6年前であること。

 同時期に母親も病に倒れ、メト達姉妹には身売りしか選択肢がなかったこと。

 何の仕事もできない、幼い少女の奴隷の使い道など、一つしかないこと。


 食べるものと寝る場所に困らなかっただけでも感謝はしているが、その『使い道』のために、《淫紋》なる、避妊と性感の鋭敏化、そして性的発育の促進の効力を持つ魔術刻印を刻まれ、毎日のように客を取らされ、雄の獣欲を誘う形に自らの肉体が変貌していく日々の中で、何も考えないようにしてきたメトは変な口調が板についてしまい、シャルは男性への憎悪と嫌悪を募らせているような言動が増えていったこと。


 1年ほど前、シャルはどこかの、シャルのような蓮っ葉な少女と無理やりに関係を持つことを好む変態にそういう用途で、メトはある冒険者にパーティメンバーとしてそれぞれ身請けされ、そうなって以来、手紙のやり取りだけは許されていたこと。


 そして、俺と出会った時の事件によってメトのパーティがアスガルドから追放されたのとほぼ同時に、シャルも変態の家から放逐されたが、俺の計らいで二人とも冒険者として再出発できたことに、メトは深く感謝していること。


 そして、恩の返し方を、メトは結局、さんざん自分がやらされてきた一つしか、思いつかなかったこと。


「だから、その、穢れきった体ですけど、もし、私なんかでよければ、気持ちよくなりたいときはフェイトの好きにしていいですからね……? 一度刻まれた《淫紋》は、死ぬまで消えないので、その、たとえば子供の責任とか、そういうことを考えなくていい、都合のいい体なので……」


 今にも泣きだしそうな声でそう締めくくられたメトの話を聞き終えて、俺は、その悲劇に怒りも同情も悲しみも抱かない、自分の非人間性を憎悪した。


 メトもシャルも、人並みに誰かと結ばれて子をなして、後に続く者に涙されながら幸せに死んでいく、そんな当たり前の未来を奪われている。

 年端もいかない子供のころから、5年も、毎日のように客を取らされてきた。

 今なお、己の肉体すらも、雄の汚い欲求を誘う姿に、それを受け止めるための体に、作り替えられ続けている。

 しかもその呪いは、死ぬまで続く。


 それがどれほどの悲劇であるか、理解できない俺ではない。

 理解しているのに、俺の心は、どこまでもそれを他人事としてとらえていた。


 最初に抱く感想が『魔物のせいで人口が減り続けている世界で解除不能の避妊処置を施すとか正気か』などというズレ方をしているレベルで、メトの悲劇は俺の心にとって他人事だった。

 ※実際にそういう観点から、人道的見地などというものがまだまだ未発達なこの世界においても、《淫紋》の付与は極刑相当の重罪である。


「俺はメトさんに荷物持ちとして役立ってもらえれば、それで十分です。メトさんの古傷をほじくるような真似はしません」


 俺は、どこまでも他人事としてその問題を放り出した。


「ごめんなさい……汚い女はいやだって言われるのは、覚悟してましたけど……」


 泣いているのか笑っているのか分からない表情でそう言った後、メトは俺にしがみついて泣き出した。


「フェイトが……なんとも思ってくれないことが……こんなに辛いなんて思ってませんでしたっ……!」


 首をかしげる俺にメトが続けた言葉に、俺は問題を根本的に履き違えていたことを思い知らされた。

 メトを今苦しめているのは過去の古傷ではなく、今まさに俺が滅多刺しにしている言葉のナイフのほうで。

 しかもそれは、俺が意図して突き出す嫌悪ではなく、意図せず突きつけた無関心。


 つまりは、俺の不始末だ。


 それを理解しても、俺はメトを慰める言葉を何一つ持たなかった。


 俺が誰かと一緒にいること自体に苦痛を感じていることを正確に理解しているメトに対して、口先だけの慰めは口先だけだと見抜かれて、それで終わりだ。


 俺がせめて、メトが多くの男に抱かれていたことを辛く思う程度に、つまりはメトの初めての男になりたいと思う程度にメトのことを異性として認識していれば、まだメトは救われたのかもしれないが。


 仮定の話をしても詮無い。

 俺はこれからどうすべきか。

 言葉が無理なら、行動で示すほかない。


 俺に誰かを愛するような心が残っていない以上、原動力は代用品を使う。

 用意できる原動力は、メトが望むような愛情ではなく、ただの肉欲。

 ただ目の前の少女の体をむさぼりたいという、下劣な衝動。


 しかし、それはメトを5年穢し続けてきた者達と、何ら変わらぬ所業だ。


 それでも、その肩を掴んでベッドに押し倒し、覆いかぶさった俺を、メトは涙の痕が残る顔で、心底嬉しそうに見上げた。

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