第16話:慟哭の悪鬼
狂人の戦いぶりを目の当たりにした王女レイアは、ただただ、その圧倒的な強さに驚嘆した。
「ダンジョン・ディガー、これほどとは……」
押し寄せる1000もの悪魔の群れに対して一歩も引かず、むしろゲートから現れる悪魔を片っ端から抜き手で灰に変えていくその姿は、神話の英雄を通り越して、理解不能な人の形をしたナニカと呼ぶべきものだ。
遠間から少年めがけて魔術を放とうとした悪魔が、投げつけられた同胞の死体にゼロ距離で魔術を誤射してしまい、よろめく。
その隙に足元に踏み込んでいた少年は、悪魔の体を駆けあがって貫手で宝玉を引きちぎる。それだけで、悪魔の死は確定する。
空中から少年の背後を取り、襲い掛かろうとした悪魔は少年に手を伸ばした瞬間、熟練のスリのような手際で宝玉を抜き取られ、死亡する。
少年に武器を振り下ろそうとした悪魔が内懐に入られ、宝玉を抜かれる。
少年に爪を振るった悪魔が、その腕を駆けあがられて宝玉を抜かれる。
少年の殺意は、悪魔に一切の抵抗を許さない。
少年の手は、盗賊の面目躍如の器用さで悪魔から宝玉を抜き取る。
少年の拳は、一撃で悪魔の骨を砕く。
少年が石を投げれば、悪魔の顔面が吹き飛ぶ。
少年への攻撃をしくじれば、その一瞬の隙で悪魔は宝玉を失う。
少年に攻撃を当てても、そのまま反撃で宝玉を奪われる。
少年の動きを先読みしようとしても、数倍の速度差の前には無意味。
少年の後の先を取ろうなどという浅知恵はその罠ごとかみ砕かれる。
少年から仲間を救おうとすれば仲間ごと宝玉を奪われる。
少年に近づけば、悪魔は必ず死ぬ。
少年は、視界に入った悪魔を容赦なく殺し続ける。
「あれが……ダンジョン・ディガー……」
これなら、あとはあの少年が悪魔の群れを殺しつくして決着だろう。
もはや、人類の勝利は約束されていると言えた。
その確信は、一瞬で、陽炎のようにかき消された、
「まだだ……まだ終われない!」
うめくような声を上げ、大悪魔の男が立ち上がったのだ。
「なっ!?」
レイアは剣を構え、後ろの冒険者達もつられて武器を抜く。
しかし、レイアは状況が圧倒的に不利であることを肌で理解した。
目の前の大悪魔は、先程までの嘲りを含んだ態度ではなく、不倶戴天の怨敵を見るような目で王女を睨み据えている。
悪魔と人間の力量差で、悪魔が慢心を捨てれば、勝ち目は万に1つもない。
悪魔と人間の力量差は、人間と、愛玩用の小動物の間のそれを遥かに凌駕する。
唯一の勝機である、悪魔と対等以上に戦える少年がゲートに張り付いて悪魔を出オチさせる作業にかかりきりの状況では、盤面は詰んでいると言わざるを得ない。
「レイア・アスガルド! あなたが殺した私の婚約者は、身重だったのですよ! 人とは違い、魔族の婚儀は女の生んだ子に男が魔族の命たる核を宿すことで成立する……だが核を授かる儀式を終え、いよいよ婚儀を待つばかりと思っていた私の耳に届いたのは、婚約者の死! 私は我が主神に許しを請い、子のための核を私の体に埋め込んだ! 今私を生かしているのは、私の子になるはずだった命だ! 私は負けられない! 生まれてくることすら許されずあなたに殺された、あの子のためにも!」
体を再生させながら、罪状を読み上げるように咆哮する大悪魔の言葉は、力量差以上に、レイアの戦意を刈り取った。
それは恋人を奪われた男の、子を奪われた親の、正しき怒りであった。
それは一片の疑いの余地なく、一筋の正義を宿す復讐であった。逆襲であった。
それは本来なら、悪魔の侵略に対して人が抱くべき、正義の怒りであった。
「そ、んな……」
完全なる悪、世界の敵であるはずの大悪魔が見せた一片の正義は、レイアの戦意を完膚なきまでに粉砕した。
レイアは、王者たるべき正しい道を学び、その道を進んできた自負を持つゆえに、自らがそれを踏み外していたという現実に打ちのめされた。
これまでレイアが進んできた正しき道への矜持が、そのまま呪縛となってレイアの四肢を縛る。
膝をつき、眼を見開くレイアが抱く感情は正しく、絶望と呼ばれる感情であった。
自分が、罪もない赤子を殺していた、その事実に対する。
大悪魔の婚約者を、赤子を殺した咎人であるレイアは、命乞いの選択肢すら持たない。
生まれる前の赤子を殺して、どの口でそんなことが言えようか。
後ろの冒険者だけは見逃してくれ、と叫ぶことすらできない。
自らの子を殺された者が、そんな言葉に耳を傾けるはずはない。
かくして復讐という名の虐殺が始まる。
これまでの恨みの限りを込めて、時間をかけて、じわじわとなぶり殺しにされることを確信し、しかし、レイアは抵抗する意思も、逃げる意思も持たなかった。
レイアには、これから訪れる地獄の責め苦も、何の罪もない赤子を殺した自分には、相応の罰とさえ思えていた。
これまで抱えてきた道徳を捨て去り、だからどうしたと投げ返すには、あまりにも、あまりにもレイアは善良であった。
その絶望的な空間を終わらせたのは、正義とは無縁の、物欲にまみれた呟き。
「どうせなら10個くらい持っておけ」
他者の命を躊躇なく奪い、その体から自らの欲するものをむしり取る。
それはどう贔屓目に見ても、乱獲者の振る舞いであった。
「な……!? あ、が……」
抜き手にその胸を貫かれ、核を抉り出されて、今度こそ、大悪魔の体は崩壊する。
大悪魔の敗因はたった一つ。
王女レイアに対する、罪状の読み上げに時間を掛けすぎたこと。
たった1000体の悪魔が、かの気狂いの少年を数分という長時間足止めできるなどという迷妄を抱いたことだ。
いや、それはミスなどと呼べるようなものではない。
悪魔と人間では、そもそも存在のレイヤーが違う。
本来、人間は決して悪魔に抗いえない。
ましてや、悪魔の大軍を一方的に虐殺するような人間など、いるはずがない。
いていいはずがない。
それは、世界の摂理に反する存在だ。
復讐を誓い、我が子の命を己の体に宿した大悪魔の男は、世界の摂理に反した殺戮者に崩れゆく腕を伸ばす。それは、最後の執念だった。
「返せ……それは……あの子の……」
自分の命ならくれてやる。核が欲しいなら自分の命を好きに使えばいい。
だが、生まれてくることすらできなかった我が子、その命たる核までをも、さながら獣の肉や毛皮のように扱われることは、大悪魔の男にとって、到底許容できることではなかった。
「崩れながら動くか。複数の核を持つとそうなるのか……念入りにすりつぶしておく必要がありそうだ」
しかし、狩猟者はその怨念など一顧だにせず、すでに致命的なまでに崩壊している大悪魔の男の肉体を容赦なく蹴り砕いた。
大悪魔の男が我が子を取り戻す可能性など万に1つもありはしない。
目の前の絶対者と、既に死した大悪魔の男の間にある戦力の差は、先程までの大悪魔の男と王女の間のそれをはるかに凌駕する。
「ガ……エ……ゼ……」
それでも。半ば崩れた肉体で、それでも男は原型を残していない手を伸ばす。
自分はどうなろうとかまわない。あの子は。あの子だけは。
「しぶといな」
だが、簒奪者は大悪魔の男の最後の願いを、ついぞ聞き届けることはなかった。
何の躊躇も迷いもなく、畑の作物に害をなす芋虫を踏みつぶすように、何の感情もなく振り下ろされた足が、大悪魔の男の活動を完全に終了させた。
「なんだ、もう終わりか。……殺し足りねぇよ……」
凄絶な虐殺劇を演じきり、凄惨な幕引きをなし終えた少年は、大好物を思ったよりもあっさりと平らげてしまい、おかわりがないことに泣くのを必死にこらえている子供のような声を漏らした。
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