第15話:二人の悪魔殺し

 フェイトが無数の悪魔の群れとの大乱闘に突入したころ、メトとシャルは周囲の魔物を殲滅し終え、深く、息をついた。


「ふぅ……ふぅ……」

「お姉ちゃん、生きてる……? 生きてるならよし」


 メトとシャルは背中合わせに座り込んだ。

 ふたりとも満身創痍で疲労困憊。

 ここが戦場であることを考えれば今すぐにHP回復薬を呷り、物陰に隠れるなりすべきだが、その余裕すら今はない。


 そして、最悪なことというのは、そういう時に限って襲い掛かってくる。


「お、可愛い人間がいるな」


 3メートルほどの大男にひょいと持ち上げられた瞬間、シャルは何が起こっているのかを理解できなかった。


「あ、悪魔……」


 そして、その大男を識別できたメトは、絶望に満ちた顔でそうつぶやき。


「こっちの子も可愛いな」


 大魔公に先んじて王都に到着し、破壊工作を行っていた女好きの悪魔と真っ向から向かい合うことになった。


「シャルを放してください」


 毅然と、勇敢にも悪魔に要求するメト。


「やだ。この子には俺の子を産んでもらう」


 悪魔の答えに、持ち上げられているシャルがひ、と小さく悲鳴を漏らす。


「そうですか……」


 そう言ってメトが目を伏せた次の瞬間、ローキックが悪魔の脛にめり込んだ。

 メトも、フェイトのように魔法の果物で能力が跳ね上がった体ではないにせよ、フェイトとともに迷宮に潜り、想像を絶する経験値をその身に取り込んでいる。


「いってぇ!」


 悪魔の男がたまらずシャルを放すと、メトはシャルを抱えて間合いを取った。


「この……ちょっとかわいいからって調子に乗って……!」


 悪魔が油断を捨て、対等の敵としてメトと向かい合う。

 それはメトにとって、確実な死を意味する。

 慢心を捨てた悪魔は、相対する人にとっては死そのものだ。

 魔物と人間はおおむね同じ土俵の存在だが、悪魔や天使はそれらとは隔絶された、絶対的な上位の存在なのだ。

 それでも。


「退くわけには、いきません!」


 妹のためなら修羅にもなれる。

 父がかつて家族のために命を捨てたように。

 それが、メトという少女だった。


 が、現実として、まともな人間が悪魔に勝てないのもまた事実。


 メトの2撃目、絶大な防御力が攻撃力に転換された正拳突きは、悪魔の腹を打ち据え、しかし、何の痛痒も与えられなかった。


 乱打。乱打。乱打。

 目にも止まらない無数の打撃。しかし、いずれも悪魔には通じない。

 メトと悪魔の間には、それほどの隔たりがあった。


 やがて、メトの息が上がってきたころ。


「無駄だってわかれよ」


 悪魔が軽く腕を振ると、丸太で薙ぎ払われたかのようにメトの体が吹き飛んだ。

 シャルの目には、その一撃でメトのHP、彼女を守る神の加護が消し飛んだのが、はっきりと見えた。それがどれほどの激痛を伴うか、想像できないシャルではない。

 シャルにはもはや、震えてうずくまることしかできない。


「気が変わった。まずは君に俺の子を産んでもらおう」


 悪魔はメトを組み敷き、その服を丁寧に破り、じっくりとその肌を眺めて楽しむ。


「《鎧貫き》!」


 その隙を、メトに突かれた。

 組み敷いたことで再び慢心した悪魔の両目は、防御力を無視する闘士のスキルで貫かれ、その機能を失う。

 相手が勝利を確信していたからこそ成立した一撃の不意打ち。


「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 何が起こっているのかを理解できないまま視力を奪われた悪魔の混乱。

 無論、稼げた時間は2秒にも満たない。だが、その2秒があれば次の手を打てる。

 2秒という時間は、フェイトと共に無数の魔物に囲まれ続けてきたメトにとって、フェイトの《エンド・オブ・センチュリー》のインターバルとほぼ同じ時間だ。

 その2秒は、いつだって、一瞬でも気を抜けば魔物に100回は殺されてもおかしくなかった極限の2秒間だった。

 だから、メトはどんな絶望的な状況でも、その2秒で勝機をつかむことができる。

 それができなければ、魔物の攻撃で何度も殺されていたHP回復薬と蘇生薬を無駄遣いしていたのだから。


「くそっ、どこにそんな余力が……ぁがっ!?」


 驚く悪魔の男の口に《紅蓮の剣》をねじ込み、メトは吼えた。


「そんなものありません! あるのは、あなたを絶対に殺す殺意だけです!」


 悪魔の男が回復した視力で見たのは、親兄弟や恋人の仇だと言って自らの前に立った数多の戦士によく似た、しかし、それとは決定的に違う、狂気に満ちた殺意の瞳。


「乙女の怒り、嘗めないでくださいね! 私の肌を見ていいのも触っていいのも、もうフェイトだけなんですから!」


 悪魔は、10発の《バーストボルト》に体内から焼き殺された。

 歴史上初の、人間が単独で、核を奪う以外の方法で悪魔を殺害した瞬間であった。

 


 絶え間なく押し寄せてくる悪魔。無惨に撒き散らされる血と肉と命。

 剣戟と咆哮は絶えず響き。断末魔は王都の空を穢す。


 しかしそれは、本来あるべき、悪魔による人間の殺戮を意味しない。


 むしろ。


 あり得ざる、一人の人間による悪魔の殺戮を意味する。

 大悪魔を殺害した、今もなお狂気に取り憑かれているとしか思えない凄絶な笑顔を浮かべている黒髪の少年による、狂った虐殺劇。


 悪魔もまた、少年を脅威とみなし、他の人間には目もくれず少年に殺到している。


「何なんだよあの人間!」


「人間じゃねえだろどう考えても!」


 悪魔たちの抵抗もむなしく、少年は悪魔の核となる宝玉を抉り取り続けており、いっそ喜劇的なまでに戦況は人類に有利だ。

 ゲートから這い出てくる悪魔が最大でも同時に3体という、ゲート自体のサイズの問題も人類を大きく利している。

 何しろゲートの前では、気狂いの少年が悪魔を出待ちしているのだから。


「かの時代の戦神も、彼のような人物だったのでしょうか……」


 アスガルド王女、レイア・アスガルドは、その激闘を見守りながら、誰にともなく問うようにつぶやいた。


「ゲァァァァァァァァァァァァァ!」


 狂を発しているとしか思えぬ咆哮を上げながら悪魔を素手で引きちぎる、控えめに言ってバケモノである少年は、決して英雄たる器ではない。


 力なき人々を守り悪魔を殺す。

 そのエッセンスだけを取り出せば確実に英雄の所業であるのに、少年からはそんな使命感は微塵も感じ取れない。

 あるのはただ、殺戮衝動と、殺しに愉悦を覚える邪悪のみ。


「それでも……」


 それでも、王女レイアはその邪悪を正しいと思った。

 邪悪こそが、この場で最も相応しい感情だと。


 その認識は正しい。


 使命感などで悪魔は殺せない。

 使えばすり減る社会性の一側面ごときでその命に届くほど、悪魔は生ぬるい相手ではない。

 必要なのは戦略タクティクスでも術技アーツでも剛力フォースでもない。

 ただ純粋に、相手の死を祈るカシリ

 破壊を願うカシリ

 殺戮を望むカシリ


 呪いあれ。呪いあれ。呪いあれ。


 初めて人の死体を見せつけられた少年が抱く、その原因となった悪魔の存在を決して許せない、原初の衝動。

 魂の底から湧き上がる、根源的な怒り。


 それこそが、もっとも純粋な闘争への原動力なのだから。


 そして悪魔もまた、少年を対等の敵、いや、明確な脅威とみなして挑みかかる。


「あの人間を殺せ!」


「大魔公様の仇だ!」


「うおおおおおお!」


「俺の屍を越えてゆけ!」


「大魔公様万歳!」


 悪魔たちは秒ごとにダース単位で積み上げられる同胞の屍に目をくれる事もなく、周囲で様子をうかがっている人間など眼中にもなく、ひたすらに、狂ったように少年に襲い掛かる。


 そこに勝機があるのだと信じ、討つべき仇敵を討つために。

 百万を超える人間を容易く殺し尽くせる悪魔の軍勢が、恥も外聞も、矜持さえも投げ捨てて、1000対1という、もはや馬鹿馬鹿しくなる数の差を用いて、たった一人の少年を殺すために、殺到する。


 悪魔達の凄絶な殺意を感じ取り、しかし少年は臆することなく、むしろ口元に歪な弧を描いた。


 抵抗しない、する力を持たない雑魚を作業的に処理する事にはそろそろ飽きてきた、それに引きかえ、必死に足掻いて抵抗する相手を闘争の中で絶望させて殺すことの、なんと愉しいことか。

 上位存在ぶってこちらを見下す悪魔を、人々を恐怖させる悪魔を逆に踏みにじり、恐怖させ、殺す。なんと爽快な体験だろうか。


「キヒ……」


 喜悦に染まった、ざらつくような狂笑が、少年の喉から漏れた。

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