第1話:願うは知識、殺戮への序曲

 兵士に案内されるがままに通された謁見の間。正面の玉座には、老いているわけでも若いわけでもない、中年という表現がぴたりとはまる女性が座っていた。


「私がこの国の女王 フィオナ・アスガルド17世よ」


 彼女は女王であるらしい。ならば、相応の礼節を以て応じなければならない。が。

 俺は王族に謁見した経験などない。


「……フェイトです。ご拝謁を賜り恐悦至極にごじゃ……舌かんだ……」


 見よう見まねの礼節などこの程度だ。そもそも、異世界で本名を名乗る気がしないという程度の理由で偽名を名乗っている時点で礼節も何もない。


「あっはははははははは! 無理しなくていいわよ。謁見の経験ないんでしょ」


 幸い、女王は俺の不手際に対して寛大だった。


「ご高配に感謝します」


 低頭する俺に、女王は真剣な調子で返す。


「感謝するのはこっちよ。緊急事態に、身を捨てて戦ってくれたのだもの」


 なるほど、言われてみればその通りだ。

 身を捨てて、というのはよくわからんが。


「褒美を取らせるわ。欲しいものがあれば言いなさい」


 せっかくだ。ここは正直に欲しいものを言っておこう。


「では、魔術に関する書物の閲覧を許可いただきたく」


 恐らくは俺にとっての生前の世界との最大の違いである魔術。

 それを知ることは、この世界を知ることにつながるだろう。


「そんなのでいいの?」


 女王は拍子抜けしたようだったが。


「俺には知識が足りません」


 俺は嘆願した。


「わかったわ。王立図書館を好きに使いなさい」


 女王の許可を得た俺は、女王の侍従に案内されて図書館へと向かった。



 俺は大図書館で魔導書を読む前に、ポケットの中にある紙切れに気が付いた。


「……女神からの手紙か」


 俺に声が届かない可能性を考慮しての、餞別と解釈すべきだろうか。

 そこには、俺が図書館で学ぼうと思っていたことがおおよそすべて書かれていた。


 この世界には魔術が存在し、魔力なるものを消費して様々な現象を起こせること。

 この世界にはHPという概念があり、それは命を守るための神の加護であること。

 この世界にはレベル、職業熟練度という概念が存在し、これらを上げることで能力の向上や魔術、技術の習得が可能であること。

 また、魔術や技術の習得には魔導書を読む方法もあること。

 最後に、力のない私には知識を授けることしかできない、あなたがこの世界を謳歌することを願う、と書かれていたその手紙を、俺は丁寧にたたんで懐にしまった。


「ゲームかよ……」


(そう言わないの)


 やや呆れたが、しかし、先の兵士とローブの女の会話の意味は理解できた。

 あと女神様かわいい。

 俺は先の戦闘で痛みがないことからダメージはないと思っていたが、実際にはHPというものがそれを肩代わりしていて、女はそれを回復させようとしたのだ。


 俺が知っているゲームでのHPは『あと何回致命傷を避けられるかを示す回避力の数値化』だったと記憶しているが、この世界では神の加護、バリアのようなものであるらしい。

 そしてどうやら、HPは相当に大切なもののようだ。

 なにか埋め合わせがしたいという兵士たちに、戦利品を詰める鞄が欲しいと伝えたら、本当に巨大な背嚢に戦利品をすべて詰めて王立図書館まで運んできてくれる程度には。


「フェイト様、こちらの魔導書には収納の魔術が記されてございます」


 俺が戦利品の山に目をやったためか、侍従は一冊の魔導書を持ってきてくれた。


「ありがとうございます」


 俺はそれを読み込み、即座に魔術を発動、先程の戦闘の戦利品を流し込んだ。


「収納の魔術は、自分に所有権がある物品を自動で収納することも可能でございます。主に、戦いの場で戦利品を集めるのに役立ちます」


「それはいい。ありがとうございます」


 戦利品が自動で収集可能という事は、ここでいう所有権はおそらく、法的概念ではなく、魔術的な概念ということか。いずれにせよ、便利そうだ。


「次はどのような魔導書をお持ちいたしましょうか」


「あらゆる耐性をぶち抜いて広範囲に高い威力で攻撃できるような魔術はありますか? 使いにくくても構わないので」


 俺のリクエストに応えて、少々驚いた様子の侍従が差し出してきたのは、《エンド・オブ・センチュリー》の魔導書。


 侍従に礼を言い、開いた魔導書に書かれていたのは、術者の全魔力を消費し、消費魔力に応じた規模の絶対的な破壊を引き起こす魔術。


 俺が生前遊んだことがあるゲームにもこういう魔術はあった。

 全魔力を使うという性質が厄介すぎて基本的に使えない魔術だったように思うが、同時に、このレベルでなければ『あらゆる耐性をぶち抜いて広範囲に高い威力で攻撃できる』魔術は存在しない、という事は認識できた。


 そして、この手の魔術は魔力の補給手段が整えば化けるのがお約束だ。


「魔力の補給手段の魔導書をお願いできますか。一瞬で魔力が全回復するようなものがあればありがたいんですが」


 俺が試しに聞いてみると、侍従は一冊の魔導書を持ってきてくれた。


「命の加護たるHPを魔力に転換する外法でございます。ご使用はどうか慎重に」


 注意とともに侍従が渡してくれたのは《加護転換》の魔導書。

 先ほどの説明の通りだ。


 さすがに難解な内容の書物を3冊も読むにはいささか時間を要したためか、《加護転換》を習得する頃には日が暮れていた。

 なお、読み終えた魔導書が灰になって崩れ落ちたときには本気で焦った。

 魔導書は読んだ者がその魔術やスキルを習得すると消失するらしい。

 女王、気前良すぎないか。



 翌朝、俺は女王からの推薦状を手に冒険者ギルドなる施設に向かった。

 俺はここで『深淵の迷宮』なる場所を探索することになったのだ。


 昨晩、天に昇る如き味の夕食を頂きつつ聞いた女王の話の概要は以下の通り。


 かつて、聖戦と呼ばれる戦いがあった。

 1000年前、邪神が世界を我がものにしようとし、人の身でありながら神の領域に至った戦神と呼ばれる男に討ち取られ、そして、闇の世界へと還っていった。

 しかし、邪神がこの世界に来る際に作り出した侵入経路は今も残っており、そこから魔物は這い出てくる。

 そこにつながるゲートの一つが王都にもあり、異界からの資源を得られるため、冒険者たちに解放されている。

 だが100年前に戦乙女と呼ばれる冒険者が第30層にたどり着いたのをピークに、人類は押し返され、ここ30年は第15層を突破出来たものがいないほどの苦境である。

 魔導書の力を使いこなせるなら、迷宮に挑み、奥を目指せ。

 5層ごとに褒美を取らせる。



 女王の話を反芻しながらギルドに入ると、俺はすぐ迷宮に案内された。

 既に女王から俺の風貌については話があったのだろう。

 特に俺の黒髪は、少なくともこの町ではまだ俺自身以外に見たことがない。


 転移の魔法陣であろう、光る文様が描かれたトイレ程度の部屋に押し込まれ。

 次の瞬間には、いかにもと言った岩肌の迷宮の中に俺はいた。

 岩壁が邪魔で数メートルしか視界が確保できない。


「《エンド・オブ・センチュリー》!」


 視界確保のため、俺は《エンド・オブ・センチュリー》をぶっぱなした。


 壁がいくつか砕け散り、そこそこの広さの空間が出来上がったと同時に、轟音に気づいた魔物が大量に押し寄せてくる。

 が、そんなものは脅威にならない。


「《加護転換》! 《エンド・オブ・センチュリー》!」


 消費された魔力全てを《加護転換》で補っても、失われるHPは3割。つまり無補給でも、《エンド・オブ・センチュリー》は4発撃てる。


「《加護転換》! 《エンド・オブ・センチュリー》!」

「《加護転換》! 《エンド・オブ・センチュリー》!」


 大量に寄ってくる魔物の群れを3度薙ぎ払うと、大量の戦利品が死体の近くに出現し、直後に俺の収納魔術に吸い込まれた。これは『ドロップ』と呼ばれる現象で、魔物の魂が死によって深淵に吸収される際の副産物だとか、様々な仮説が立てられているそうだ。


 だが、ここで重要なのはその原理などという些末な事ではない。

 HPを回復できる魔法の薬も、ドロップするという事実だ。


 そして《エンド・オブ・センチュリー》はこの世界に来たばかりの俺がぶっ放しても、迷宮の最上層ならどんな魔物も確実に即死させうる威力で、半径50メートル程度の魔力の爆発を起こせる。


 俺はドロップしたHP回復薬を飲み、《加護転換》を交えてHPも魔力も完全に回復させた。

 さて、魔物の在庫切れまでは、ここで壁を爆砕し続けることにしよう。


 こんなにも完璧に噛み合ったスキルを最初から得られるとは。

 孤独の女神の授けてくださった「知識を与える」加護の素晴らしきことよ。

 俺は孤独の女神に感謝の祈りを捧げた。


(それは偶然よ……)


 どこからともなく受信した電波が見せた、照れる女神の幻は、実にかわいかった。



 女王肝入りの少年が深淵の迷宮に単独で潜ってから5時間。

 まだ一度も補給に戻らない少年を心配し、女王お気に入りという事もあって派遣された高レベル冒険者による捜索隊は、自分の目と正気を疑うことになった。


 最初に捜索隊が戸惑ったのは、地形。岩肌が複雑に入り組んだ洞窟のような迷宮の構造が、大広間のようにすっきりと広くなっている。

 まるで誰かが整地作業でもしたかのようだ。だが、何のために?


 その疑問を横に置き、轟音が響く方向へ進んだ捜索隊が見たものは。


「《加護転換》! 《エンド・オブ・センチュリー》!」

「《加護転換》! 《エンド・オブ・センチュリー》!」

「《加護転換》! 《エンド・オブ・センチュリー》!」

「あーっはっはっは! もっと寄ってこい! 砕け散れ! ドロップ品を寄越せ!」


 大魔法の轟音に引き寄せられた魔物を大魔法で虐殺し、HPを魔力に転換しつつドロップ品のHP回復薬をがぶ飲みして爆笑する黒髪の少年という、意味不明な光景。


 HPの喪失は、死へのカウントダウンといえる。

 命を神の加護に守られている状態でなければ、魔物のひと噛みで人は死ぬ。

 まして、迷宮の深い層に潜む上級の魔物ならば一撃で消し飛ばされる慈悲深い最期をむかえることもできようが、人々の住処により近い、迷宮の浅い層に住まうゴブリンのような下級の魔物は、弱った敵をなぶり殺しにすることを好み、また、人間の女の胎を使って繁殖することもあるため、それらの魔物の犠牲になったものの最期は、凄惨の一言に尽きる。


 つまり、HPは神の加護という福音であると同時に、『自分があとどのくらいで凌辱の限りを尽くされて死ぬか』を見せつけられる呪いでもあるのだ。


 そして、HPを失うことは、かなりの苦痛を伴う。


 これらの事情から、HPが9割を切れば即撤退、そういう冒険者も少なくない。

 訓練された兵士でさえ、HPが7割を切れば苦痛で平静を保てなくなる者が多く。

 HPが半分になれば、死に物狂いで逃げるか命乞いをするしか選択肢がない。


 そういうものなのだ。

 回復薬があるからいいや、などと割り切れるものではない。

 HPとはリソースではなく、全力で守り、温存すべき命そのものなのだ。


 それなのに、その少年はHPを減らすことに何の躊躇もない。

 そして、発生する轟音で命を奪いに来る魔物が大量に寄ってくる、つまり自ら死地を作り出すことになる大魔法の使用にも、一切の躊躇がない。

 

 本来どちらも自殺とほぼ同義の行為であるのに、少年はまるでそんなことを知らないかのように、むしろ楽しげに、それを繰り返している。


 それは全く理解できない精神性だ。

 だが、同時に一つのことが理解できた。

 この層の地形を変えたのはかの少年だ。

 きっと隅々まで、きれいに爆破しつくし更地にするつもりだろう。


「帰ろう。あんだけ元気なら心配はいらないぜ……」


 まだ少し歩いただけなのに疲れ切った誰かの声に、全員が頷いて回れ右をした。

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