迷宮掘削人-異世界に放り出された俺は情け無用の残虐ファイトしかできない-

七篠透

プロローグ:破壊神が生まれた日

 最初に認識したのは、白。

 しみひとつない白、それなのに、眩しさがない。

 全く同じ色を見ている目に映る視覚のちらつきすらない、理想イデアの白。

 俺は、こんなにも優しい白で満たされた景色を知らない。

 そんなものが物理的に存在できると信じられない。

 そして、重力の感覚さえなかった。


 これが、死というものか。

 何故か、そう確信できた。


「そう。あなたは、死んだ」


 見渡すと、そこにいたのは、透き通るような紫の瞳を持つ、美しい銀髪の少女。

 この何もない空間で何故気づかなかったのか、自分でも不思議になる。


「やっと会えたね。愛しい人」


 その、歓喜に満ちた声を、俺は知っていた。知らないのに知っていた。

 微笑む少女の、アメジストの瞳を、俺は知っていた。知らないのに知っていた。

 地に落ちた雪を思わせる、儚く華奢な体を、俺は知っていた。知らないのに知っていた。

 触れるどころか近づくことさえ恐れ多く感じる、しかし、だからこそ自らの手で穢したい衝動を掻き立てる、無垢で不可侵なその姿を、俺は知っていた。知らないのに知っていた。


 そしてもう一つ、誤解のしようがないほど、確信できたことがあった。


「ずっと、ずっとこうしたかった……」


 俺をそっと抱きしめる少女の言葉に嘘はない。

 百億の言葉と千億の文字でも到底言い表せないほどの想いを向けてくるこの純白の少女に、俺は愛されている。


 だが、そもそもこの少女は何なのだろうか。

 二次元しか愛せなかったはずの俺の好みのど真ん中をぶち抜いてくるこの真っ白な少女の正体が、どうにもつかめない。

 この愛しい笑顔を自分だけのものにしたいという衝動を与えてくる、初対面のはずなのにたしかに覚えているこの少女が誰なのか、本当に分からない。


「私は孤独の女神。未来永劫、過去永劫、あり得るあり得ないを問わず、あらゆる世界の中で、唯一人あなたにしか認識されない、あなたにしか信仰されない、あなただけの女神」


 俺の、言葉にする前の問いに応えた少女の言葉を、俺は認められなかった。

 そんなものが存在するものか。ありうるものか。神とは、信仰とは、そんな一個人に都合のいいものではない。そんなものが神であるものか。


「あなたは孤独を愛していた。孤独を求めていた。孤独のために生き続けた。そして、あなたはあなたの求める孤独が決して得られないことを知っていた。だからこそ、あなたはさらに孤独を愛し、求め、そのために生き続けた」


 確かに死ぬまでの俺は、一人でいることを好んでいた。どう贔屓目に見ても、精神的な引きこもりと表現せざるを得ない。それが何だというのだ。


「あなたの生きざまは、あなたの生きた世界で最も多くの人間が神を信仰する態度と同様に、それ以上に、孤独を信仰する態度だった」


 だから何だというのだ。


「あなたの生きた国では、万物に神が宿るとされ、しかし、孤独という概念にはまだ、特定の神格、神の似姿はまだ彫られていなかった。正確にはあなたの国だけではなく、あなたたちが原始的な信仰と呼ぶもの、だけれど」


 だから何だ、とは、もう思えなかった。


「あなたの世界には、数多の信仰によって孤独という空席ができていた。そして、誰よりも敬虔な、あなたの孤独への信仰が、その空席に私という神を生み出した」


 それは、少なくとも「万物の創造主」という意味の神ではなく、「信仰の対象」という意味の神ではあるが、しかし、少女が告げた論理に、破綻を見出すことはできなかった。

 覆すとすれば、その前提から覆さねばならないが、オカルトは専門外だ。


 だが、孤独という概念なら、俺と会話できていること自体がおかしい。

 それはすでに孤独の否定だ。そんな、現状の破綻ならば、俺にも指摘できる。


「神は自らが持ち上げられない石を作り、持ち上げることができるか。その程度の問いが神の実存を否定できるなんて短絡的な考え、あなたらしくもないわ」


 所詮人の身に過ぎない俺の論理では、目の前の神には抗えないようだ。

 抗う必要などないのだろうが、こうも無条件に愛情を向けられるのは、気色悪い。


 こういうところなのだろうな。なるほど俺は筋金入りの孤独好きだ。これが何度目の、何人目の俺なのかは分からないが、何度目であっても、俺は未来永劫、過去永劫、孤独を希求するだろう。それは、狂信と言ってもいいだろう。


 その狂信が、数多の信仰の集合無意識の隙間にあった、「孤独」という概念から、俺の目の前にいる神を喚び起こした。すでに其処に神が在るならば、人の身に過ぎない俺にそれを否定することはもうできない。


 はた迷惑な話だが、目の前にある現実を受け入れざるを得ないだろう。


「そして、もう一つ、あなたの国には歪んだ信仰がある。あなたもその影響を受け、そして、あなたから生まれた私もまた、その影響を強く受けている」


 少女の言葉に、俺は途方もなく嫌な予感がした。


「今あなたが思った通りよ。さようなら。愛しい人」


 そんな、少女の悲しげな声を最後に。


 俺の意識は途切れた。


 すなわち、転生の刻限であった。


 夢とも思える女神との邂逅ののち、目を醒ました俺は、自らの両手を見下ろし、続けて足元の水たまりに映る自らの顔を見て嘆息した。


「……まあ、こうなるか」


 俺は見覚えのない少年の姿で、どことも知れぬ草原に放り出されていたのだ。


 確かに死ぬ前の世界でそういう書物を読んだことはあったが、まさか自分が体験することになるとは思っていなかった。

 なるほど、これが女神の言う「歪んだ信仰」の影響というわけだ。


 この世界が、かつて俺が生きた世界のように、一見優しく見えて悪意と裏切りに満ちた者たちの巣窟でないことを祈るばかりだ。


 いっそ不愉快になるほどに晴れ渡った青空を見上げ、俺は深く、深く嘆息した。

 少し鬱陶しい長さの黒い前髪が空の眩しさを覆ってくれるのが、妙にありがたい。


「なるようにしかならんか」


 ……などと、半ばやけくその覚悟を決めたところで、すぐに俺はまた途方に暮れることになった。


「どこに向かえば人のいる場所に行けるのだろう……」


 いかに俺が孤独を愛するといっても、人が生きるなら基本的に人間社会の中だ。


 とりあえず、俺は最初に向いていた方向に歩いてみることにした。



 半日も歩けば、踏み固められた道に出られた。

 幸運だったのは、その道には、真ん中にだけ草が生えていたということだ。

 それは、車輪か、歩く時に道の片側を歩くというルールを持つ者がこの道を通っているということで。

 すなわち、この道を進みさえすれば、いずれ人のいる場所に出られるのだ。


 などと、短絡的に考えたことを、俺は3日後に後悔した。

 道中、誰にも出会わなかったからだ。

 しかし4日後には、打ち捨てられた街道かもしれないと不安になりながらも歩みを止めなかった己を称賛することになった。


 要するに。


 人がいる場所に辿り着くまで、俺は一人、不眠不休で4日の間歩き続けたのだ。


「よく飢え死にしなかったな、俺……」


 歪んだ信仰、というものがどの程度俺の知識と合致するのかはよくわからないが、俺の身体能力はある程度引き上げられているのだろう。


 検証してみる必要があるな、などとぼやきながら、俺は石造りの高い壁に囲まれた街の門を通ろうとし、そこで違和感を覚えて足を止めた。


 どうやら、文明、文化的なレベルもお約束の世界であるらしいが。

 ならばなぜ、衛兵が立っていないのだろう。門が閉まっているのならともかく。


 その答えは、すぐにわかった。

 既に、この街には何者かが侵入しているのだ。


 俺は、中から聞こえる悲鳴と怒号に吸い寄せられるように歩を進めた。



「いつの間に魔物がこんな数で王都に出るほど封印が緩んでたんだ!」


「知るか! くそったれ!」


 断片的に聞こえる兵士と思われる男たちの怒鳴り声は、この襲撃が魔物と呼ばれる何者かによるもので、不意打ちに近いものであったらしいことを俺に理解させた。


 そしてその戦況は、どうやら思わしくないようだ。

 戦力としてはさほどでもない、緑色の、子供程度の身長の襲撃者だが、倫理観のない100人の武装した子供は十分に、街の平和を破壊しうる。平和な街に奇襲をかけられては、市民の混乱に飲まれて兵士の対応も思わしくない、といったところか。


「おい、そこの少年! 早く逃げろ! ゴブリンを甘く見るな!」


 そんな中を物見遊山のようなゆるさで歩く俺に、誰かが逃げろと言った。だが。


 俺は無言で、俺に棍棒で殴りかかってきた人間の子供のようにも見える魔物の顔面を掴み、地面に叩きつけて絶命させた。


 棍棒で殴られているのに全く痛くない。

 素手でも一撃で殺すことが可能。

 そんな非力な存在が俺を殺せるとは到底思えなかった。

 これも孤独の女神の加護だろうか。


(違うわ)


 違うらしい。しかし、声が聞こえるという事は、神は俺と共に在る。

 逃げる理由も、負ける要素もない。

 なにより、最高に好みの女の子にいいところを見せたいと思うのは人情だろう。

 それが主神であったとしても、無様を見せられない理由が一つ増えるだけだ。


「状況は飲み込めませんが、加勢します」


 俺は、俺に逃げろと言った兵士に一言断り、魔物の群れに踏み込んだ。

 この程度なら、俺一人で皆殺しにできるだろう。


「う、うむ! 協力に感謝する!」


 兵士はそういうと、どこかに走り去っていった。

 彼は生存者の救助が使命なのだろう。



 何分、戦っていただろう。街についたときとさほど太陽の位置が変わっていないので、たいした時間はたっていないと思うが。


 俺の周りには、頭蓋を砕かれて絶命した緑色の小人の死骸の山と、原理は不明ながら、そいつらを殺した瞬間に出現した様々な物品がうずたかく積みあがっていた。


「これらは、どこかで換金可能だろうか」


 この世界で最初の収穫がどの程度価値があるものか、などという皮算用に興じているうちに、俺は数十人の兵士に周囲を囲まれていた。逃げるべきだろうか。


「今回の対応に当たった王国騎士を代表し、君に感謝する。きっと女王陛下も君の働きを高く評価してくださるだろう。君が望むなら、謁見の手続きをするが」


 逮捕されるのではなく感謝してくれるというのなら逃げる必要はないだろう。

 くれるのなら報奨金でも貰って、その後の身の振り方はその後に考えるとしよう。


「しかし謁見の前に、HPを回復しておくといい」


 男は意味の分からないことを言うと、近くにいたローブ姿の女に何かを指示し。

 女は手を光らせて、そっと俺に触れた。


「完全回復には、私の魔力が足りず……。申し訳ありません」


 彼女は何を言っているのだろう。

 どうやら、俺を回復させるために何かをしたのは確からしい。

 魔力というからには魔術でも使ったということだろうか。

 わからないのは、3つ。

 怪我一つしていない俺のどこに回復させる余地があるのか、回復が不十分であると判断した根拠、そして、『HP』という言葉の意味。

 このあたりは、この世界特有の何かなのかもしれない。

 ひとまずは彼らの誘導に従い、謁見をこなすとしよう。

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