第20話 魔素

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 咄嗟に俺は跳び退った。


 出口を目指して他の魔物を乗り越えようと揉み合っている狒々羆ひひひぐまの揺れる背に降り立ち巨大な花を見る。


 花は背後にコア本体を庇うようにして小刻みに揺れながら俺を牽制するように首を振っていた。さながら拳闘家ボクサー足運びフットワークだ。


 花弁が満開に咲き開いて花の輪郭を実際よりも大きく見せている。


 けれども口は閉じ魔物の吐き出しをやめていた。


 半端に当たった首絶ちクリティカルなので一撃必殺とはいかないにしても無傷はいただけない。花びら一枚すら落とせていないなんて俺は自分の未熟さに泣きたくなった。


 親父に見られていたら拳骨が飛んでくるところだ。


 俺は右に跳び、左に跳んだ。


 次々に魔物の背を跳んで一箇所に留まらないようにしながら花の様子を窺う。


 花は俺がどこに跳んでも瞬時に向きを変え、常に俺に真正面から対峙しようという動きをとった。最初から分かり切った話だが植物の花ではない。


 声の主はこいつか?


 俺は前方で揺れている花を睨みつけた。


 ある高名な大魔法使いは言葉を話す魔物を魔族と定義した。姿形ではない


 話したわけではなく直接頭の中に響き渡った声だったが似たようなものだろう。


 こいつは魔族か?


 花が閉じ蕾のような形状になり振り上げられた。


 茎を鞭のようにしならせて真っ逆さまに頭上から蕾が振り下ろされた。


 俺が背に乗っていた魔物が叩き潰される。


 潰されるより早く俺は別の魔物の背に移っていた。


 蕾が横薙ぎに振り回された。


 横から迫って来る茎を俺は、ひらりと跳んで超えた。


 茎が届く半径の内側にいた床の魔物がすべて払われた。


 魔物は壁に激突して染みになった。


 俺は床に立った。


 魔物の背ではなく、ちゃんと踏ん張れる足場に立つのは久しぶりだ。


 蕾がコアを庇う位置に戻ってきて再び開いた。


『邪魔をするな』


 また、俺の頭の中に声が響いた。


 花の真ん中に開いた巨大な口が梅干しかサクランボの種でも飛ばすかのように俺に向けて勢いよく魔物を吐き出してきた。


 俺は焦らずに余裕を持って飛んでくる魔物を躱した。


 躱された魔物は俺の背後で魔物の群れにぶち当たり、巻き込まれた魔物もろともにグチャグチャになった。


 足場がしっかりとしているので俺の動きに不安はない。


 ならば、もう一度。


首絶ちクリティカル!」


 俺は瞬時に花との距離を詰めると今度はコアではなく花の根元の茎に対して首絶ちクリティカルを放った。花を頭、茎を首に見立てて茎の先から花を切り落とすつもりで短剣を振るう。


 魔族であれば一切の物理技に対して無効化の耐性を持つはずだ。


 直径五メートルの花が茎から離れて床に落ちた。


 斬れた。


 ということは、花は魔族ではなかった。


 声の主は別だ。


 先端の花を無くした茎が鎌首を持ち上げる蛇のように身を起こした。


 直径一メートルほどの茎はストローのように中空で、ぽっかりと開いた穴が俺の頭の高さよりも遥か上にあった。


 茎の径は狒々羆が通り抜けてきたにしては細かった。


 内側を通る物体の大きさにあわせて茎の幅は広がるのだろう。


 獲物を丸呑みにした蛇の腹が膨れるようなものだ。茎自体の動きを考えれば植物よりも蛇であるほうがしっくりくる。


 口が無くなり開け放しとなった茎の先から、ぼたぼたと魔物が零れ落ちて来る。


 魔物と茎の間の隙間から、しゅうしゅうという音を立てて気体が漏れていた。


 茎は既に花もないのに花があるかのように切断面を俺に向けていた。


 気体は見えないが上空の切断面から吹きかかる風の動きを俺は感じた。


 独特の匂いがある風だが毒ガスではない。


 俺も良く知る馴染みある匂いの風だった。


 ダンジョンの地下深くで嗅ぐ淀んだ空気だ。


 こんな地下六階程度の空気ではない。


 もっと深く。


 地下二十階、いや地下三十階以深のような空気だった。


 極めて単純な原則としてダンジョンでは深い階層に棲む魔物ほど強い。


 しかも強い魔物は浅い階層には姿を現さない。


 縦横無尽の強さがあるはずの魔物が浅い階層に姿を現さないのは単純に地下深くの居心地が良いためだ。


 その理由を、お袋は地下深くほど空気に魔素が濃く含まれているためだと言っていた。


 強い魔物ほど濃い魔素を好むらしい。


 魔素が何か、満足に魔法を使えぬ俺には分からないが地下深く特有の『魔物が好みそうな空気』という言葉に置き換えれば俺にも分かる。


 毎日ダンジョンの中を歩いていると、まだ浅い階層にいるのに深い階層と同じ空気だと感じる日がある。


 俗に『はぐれ・・・』とか『階跨かいまたぎ』と呼ばれる本来もっと深い階層にいるはずの魔物が浅い階層に姿を現すのはそんな日だ。


 どういう理由か地下深く特有の空気が浅い階層まで上がる日があるのだ。


 ダンジョンからのスタンピードの発生原因はいくつかあるが、そのような空気の移動も原因の一つだと言われていた。


 一日二日深層の空気が上がって来るだけならば問題はない。


 深層の魔物は強大な分、慎重なところがあるから上の階まで居心地の良い空気が上がったところですぐには自分の縄張りテリトリーからは動かない。


 のだけれども、何かの拍子に深層の空気の持ち上がりが数日を越え数週間から数ヶ月に及びとなってくると話は変わった。


 居心地の良い空間が広がるにつれ地下深くの強大な魔物が、まだ縄張りの決まっていない上階へ移動し追われる形でその階にいた魔物は上へ、またその階の魔物も上へと次々に浅い階層へ移動を行い、結果的にもともと浅い階層を住処としていた魔物がダンジョンを追われて外へ出る。いわゆる、魔素あがり型と呼ばれるタイプのスタンピードだ。


 どうして地下の空気が上の階層へ長期間あがってくるのか原因は不明だったが、ダンジョンコアに深い階層の空気を吐き続ける力があるなら理解できる。


 コアがどこから空気を運んできているのかは分からないが魔物と合わせて魔物がいた場所の空気も転位させているのだろう。


 こんな地下六階程度のダンジョンだからこそ実際に魔物や空気を吐くコアを確認できたが同じ現象が何十層もあるダンジョンの地下深くで起きていても確認のしようはなかった。


 どこかで人知れずコアが魔物と魔素を吐き続けていてスタンピードが発生するとしても不思議ではない。


 そんな茎が俺の頭上で、しゅうしゅうと言っている。


 魔物は、ぼたぼたとまだ茎の切り口から落ち続けていた。


 まあ、俺のやることは同じだ。


 コアを破壊して転移を終わらせる。


 ああ・・を長くは待たせられなかった。


 頭に響いた声の持ち主の存在もある。


 茎と声の主、両方一度に対応するのは、こと・・だろう。


 順番に、さっさと片付けよう。

 

 茎が鎌首を持ち上げたおかげで俺の前方にはどくどくと脈打つ球根のようなコアがあらわになっていた。


 十分に首絶ちクリティカルの範囲内だ。


 そう俺が思った刹那、茎は持ち上げていた鎌首を降ろすと蛇がとぐろを巻くようにコアに巻き付きコアを防御した。


 チ。


 そうそう楽をさせてはくれぬようだ。

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