第12話 悪意
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突然騒ぎ出した俺を担当職員は、すぐにギルドマスターの部屋へ案内した。
理由が分からないまでも俺の焦りが伝わったためか担当職員が本当に俺の監視役も兼ねていて、何か会ったらすぐ伝えるようにと、ギルドマスターから指示が出ていたためかは分からない。
だからといってギルドマスターの元へ俺を連れて行くのではなく、すぐギルドマスターを呼ぶようにという意味だと思うが、結果的にギルドマスターの部屋へ案内されたことは欠けていた情報が手に入るという意味で俺にとって幸運に働いた。
通路側から扉にノックしギルドマスターに声をかけている担当職員の動きを無視して俺は自らドアを開けると部屋に入った。そんな悠長な暇はない。
ギルドマスターは自分の執務机で書類仕事をしているところだった。
突然入って来た俺に苦言を呈そうとする。
俺は、お小言を聞き流した。
「スタンピードだ」
俺は推論を先に行った。
「これを見てくれ」
俺は自分で手書きをした二枚のグラフを提示した。
一方はスタンピードの年に至るまでのミスリルスライムの発生の推移のグラフ、もう一方は近年のミスリルスライムの発生の推移のグラフだ。
それぞれのグラフの折れ線の山の動きが酷似していた。
もちろん、ミスリルスライムの増減の動きだけで、すべてが予測できるわけではない。
まったく別の理由から同じ結果が導かれるという場合だって考えられた。
例えば、一方はミスリルスライムの餌が増えており、一方は天敵が減っているという場合などだ。
どちらもミスリルスライムの増加に対しては良い条件として働くことだろう。
結果的に、どちらの場合もミスリルスライムは増えることになる。
ミスリルスライムの数だけ考えれば、どちらも右肩上がりのグラフとなると予想された。
ただし、折れ線の上がる角度は違うはずだ。
ほとんど折れ線の山が同じになる場合に考えられるのは餌とか天敵とか何か一つの要因だけではなく、その他の多くの要因に関しても似たような状況にあるということだ。
この推論の信頼性を高めるためには同じ期間の他の魔物の動きや気象やアイテム、その他、様々な情報の動きを精査して比較すれば良いだろう。
すべてが同じような動きになっていれば総合的に現状はスタンピードに向かっていることになる。
だが、推論の信頼性が高まったところで、その時点で対策が手遅れになってしまっているのでは意味がない。
後になってから、俺は最初から分かっていたけれどな、と言い出す奴だ。
今にもスタンピードが起こりそう、という仮説がある場合に仮説の信頼性を高めようと検証だけしていて対策を後回しにしてしまっては意味がないだろう。
危機が大きい場合であるほど空振り覚悟で先に手を付けるべきことがある。
まず、避難。
少なくともダンジョンの閉鎖。
深部の詳細な内部調査だ。
検証をするならば対策と同時進行ですればいい。
ギルド側は入れ込み客が増加している時期にダンジョンを閉鎖はしたくないかもしれないが、そんなのは二の次だ。
「スタンピード年に至るまでのミスリルスライム増加のグラフの動きと、ここ数年のグラフの動きが、まるで同じ形だ。だが、ピンポイントのスタンピード年の日誌が欠けている。それがあれば、あとどれくらいの余裕があるか詳細に推測ができるはずだ。どこにある?」
驚きでギルドマスターの顔色が青く変わった。
それだけの俺の言葉でギルドマスターは正確に状況を理解したようだ。
「ないな。その年は、ごたごたでつくれなかったと聞いている」
言いつつギルドマスターの視線が、一瞬、自分の机の上を這った。
書類が積み重なって山になっている。
なぜかギルドマスターから悪意の臭いを、また感じた。
俺に対して何らかの悪意を抱いた者が持つ臭いだ。
だが、どんな?
そういえばギルドマスターは、すんなりと俺の仮説を受け入れた。
スタンピードを主張する俺に対して、そんな馬鹿な、ではなく、詳しく説明しろ、でもなく日誌の有無について即座に否定した。
聞かれた質問に答えただけと言えばそのとおりだが、そこに至る前に普通はもっと動揺や疑問があってしかるべきという気がする。
確かにギルドマスターは俺の言葉に驚いてはいたけれど、スタンピードが発生する、という俺の仮説の突飛さに対する驚きとは、違う種類の驚きに感じられた。
むしろ、なぜ、おまえがそれを知っている! という類の驚きだ。
俺はギルドマスターが、ちろりと這わした机をなめる視線の動きをトレースした。
書類の山の下から今日散々見たある冊子の角が三角形に少しだけ飛び出している姿を発見した。
だが、タイトルは見えていない。
「これは?」
俺は書類の山の下から冊子を取り出した。
欠落していたスタンピードの当該年度の日誌であった。
たった今、ギルドマスターが、つくられていない、と断言したものだ。
机の上に載っていた他の書類が、どさどさと床に落ちたけれども知ったことか。
俺は、ぱらぱらと日誌を開いた。
ひとまず数字ではなく特記事項だけを追いかけてページをめくっていく。
『ミスリルスライム出現数過去最大』とか『ミスリルスライム出現記録更新』といった右肩上がりの日々が
しかも、スタンピード発生当日のページには、しおりとしてちぎった紙が挟まれていた。
いつ挟まれた紙かはわからないが、ずっと挟まれたままになっていたわけではなさそうだ。
変色をしているわけではない。
まだ新しかった。
だとすると最近このページに目を通した者がいるということだ。
普通に考えれば日誌が置かれていた机の持ち主が、しおりを挟んだ可能性が高いだろう。
すなわち、この日誌の存在こそがギルドマスターが俺に対して放っている悪意の臭いの原因、要するに俺に対する隠し事こそが今回の悪意だ。
俺にスタンピード年の特記事項を読まれて現在のダンジョンの状況と結びつけられては困ると考えたのであろう。当該年度の日誌さえ見せなければ特記事項か
ら俺がスタンピードの兆候に辿りつく恐れはないはずだ、と。
まさか過去と最近の数字をグラフ化して同じ結論に俺が辿り着くとは想像もつかなかったに違いない。
むしろ下手に隠すような真似はせずに、あ、本当だ、と、さも初めて気が付いたような態度をとれば良かったのに。
そうだとしても俺の鼻は、そこに何らかの悪意の臭いを嗅ぎつけただろうが。
問題はギルドマスターが俺の目から、わざわざ日誌を隠したという事実は、ギルドマスターも俺と同じでスタンピード発生の兆候に気が付いていた、ということだった。
もしスタンピードの兆候を発見したりスタンピードが起きた場合は、ギルドは速やかに上部ギルドや国、軍へ連絡を入れなければならないとされている。
俺に対するギルドマスターの悪意は、ただ日誌を隠していただけにすぎなかったが、ギルドの職員や観光客に対して、スタンピード発生の兆候に気づいていながら彼らの身をそのまま危機な場に置かせ続けている、という悪意が成立する。
大方、ミスリルスライム発生による好況に目がくらんで、せっかく気が付いた危機に対して気付かぬふりを決め込んだといったところだろう。
どこかのタイミングで連絡を入れるつもりがあったのかもしれないが、まだいける、まだまだいけると、連絡を先送りにしている内に今日に至ったのだ。
「あんた、スタンピード発生の可能性を知ってて隠してたな!」
俺はギルドマスターを怒鳴りつけた。
以前のスタンピード発生の場合は、ミスリルスライム大量発生による好況に沸き返り、その後、激減かつ発生階層が深くなり、ついにスタンピード発生という流れだった。
増えてから減る時が発生のタイミングだ。
そういえば、今日はミスリルスライムが少ないと、
ミスリルスライム遭遇保証のツアー条件が満たせないおかげで瑕疵担保として再度の入洞をしなければならないほどに減っていた。
俺の仮説が正しいのであれば、そろそろスタンピード発生のリミットだろう。
近日中か?
その時だ。
ギルドのどこかから誰かの大声が轟いた。
「スタンピードだぁ!」
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