第13話 千

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 ああ・・は二人組のまだ若い男の探索者とギルドに雇われた元探索者の案内人の四人でダンジョンに入った。


 普段であれば、ああ・・は観光客の荷物持ちをするだけだ。


 ああ・・曰く『大人』である元探索者の案内人が客と会話をする係だ。


 今回、ああ・・の役割は荷物持ちではなくミスリルスライムの発見だ。


 仕切り直しとなるミスリルスライム遭遇確約ツアーにギルドが、ああ・・を同行させるのは、ああ・・の索敵能力がギルドの誰よりも単純に高いためである。ああ・・裸猿人族ヒューマンではないがゆえであろう。


 荷物持ちではないので、ああ・・は身軽だ。


 杖兼武器である愛用の木製の棒を手にしただけだった。


 本職の探索者と思しき若い二人組は自分の探索用の荷物を自分で持っている。


 ここのような観光ダンジョンであれば心配はないが、万一、本当の探索中に仲間とはぐれた際、荷物が何もなかったら生きては戻れない。


 自分の荷物を自分で持つのは探索者の基本である。


 ただし、大規模な探索においては自分で自分の荷物を持つ以外に食料やポーションなどを運ぶポーターを同行させる場合もあった。


「今日、ミスリルスライムを見たか?」


 地下一階で案内人が、ああ・・に訊ねた。


「地下五階で一匹倒しただ。他には見てねぇ」


「おお」と、ああ・・の『倒した』という言葉に若い探索者二人組が色めき立った。


 まだ、初心者の域から出ていない。


 装備も使い古しではなく新しかった。


 このダンジョンで最近ミスリルスライムが多く出るという噂を聞き、あわよくば探索者稼業のスタートダッシュに楽をして経験値を稼ぎたいと考えた口だろう。


「五階か、遠いな」


 案内人は呟いた。


 地下一階だけ探索して帰るより単純に移動距離は五倍、行き帰りにかかる時間も五倍だ。


「だが、一階を何周もしてまた成果がないより今日確実にいた五階を回る方が確率は高いか」と一人ごちる。事実、一階で空振ったから仕切りなおす羽目になったのだ。


「一階から順に探していくのと直接五階に降りるのと、どちらがすぐに会えると思う?」


「五階。一階にいる気はしねえだ」


 案内人は、お客さんに向きなおった。


「地下五階行きでいいですかな? 行き帰りに時間がかかりますが」


「問題ない」


 ああ・・を先頭にして四人は歩きだした。


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 ああ・・たちは地下五階まで到達した。


 ミスリルスライムはおろか一切の魔物に出会わなかった。


 もともと危険が少ないとされる休ダンジョンの観光ダンジョンだ。


 ここ一年ほど偶々ミスリルスライムが大量発生していたが本来は魔物など、ほぼ出ない場所である。ダンジョン探索の雰囲気を味わうための観光施設だ。


「いそうか?」


 案内人が魔物の気配を、ああ・・に確認する。


「わかんね。みんな、引っ込んじまってる気がするだ」


「一番奥に行こう」


 このダンジョンは地下六階まで存在する。


 とはいえ、地下六階はダンジョンコアが存在する階であるため観光客への開放はしていない。


 したがって、観光客用の最奥部は地下六階へ降りるための階段の手前となる。


 階段の前に階段に至る通路を塞ぐ木製の壁と扉が設置されて開かないよう厳重に錠前がされていた。


 通常、開く必要はないので、ああ・・も案内人も鍵は持っていない。


 鍵はギルド本部に保管されていた。


 地下六階へ降りる階段を閉鎖した扉の前は若干の広場になっている。


 広場の天井に光る染みがあった。ミスリルスライムだ。


「いただ」


 ああ・・が囁いた。


 案内人と二人のお客さんもミスリルスライムの存在に気がついた。


「お」と、お客さんの一人が声を上げた。


 その瞬間、ミスリルスライムは天井を滑るように這い進んで階段を閉鎖している扉と天井の間のわずかな隙間に流れ込むように入り込んで消えてしまった。


「え?」と、お客さんたち。


 遭遇確約の条件は達成したが戦闘行為には入っていない。


 お客さんとしては達成したとは納得しずらい一瞬の出来事だ。


 お客さんたちは扉へ駆け寄った。


 扉と壁の隙間から中を覗き込む。


 扉の手前までは観光客用に開放されているため通路の壁に明かりがついていたが誰も入らない扉の先は暗くて何も見通せなかった。


 二人は扉が開かないかとガチャガチャと扉を揺さぶった。


 開くはずもない。


「鍵は?」と、案内人に声をかけた。


「ないです。この先へは進入できません」


「ち」と、お客さんは舌打ちした。


「他にもいるんじゃないか?」と、天井を見上げて舐めるように見渡した。


 いない。


「やっぱり、この先だ」


 探索者二人は再び扉を、がちゃがちゃと揺さぶった。


「やめてください」と、案内人。


 渋々と、お客さんたちが扉から手を放した。


「もう少し周辺を見て回りましょう」


 案内人が提案した。


 その時、扉の向こう側から何者かが扉に激しくぶつかった。


 ぐわん、と、扉がたわむように揺れた。


「なんだ!」


 お客さんが声を上げた。


 ぐわん!


 また激しく扉の向こう側から扉に衝撃が加えられた。


 何者が扉を押し開けて、こちら側に出ようとしている。


 ぐわん!


 三度みたび、扉に衝撃が加えられた。


 同時に扉は作り付けの壁の枠を外れて、こちら側に向かって倒れてきた。


 二人のお客さんに当たりそうになる。


 咄嗟に、ああ・・が持っていた棒を床に転がし二人と扉の間に入り込んだ。


 扉を、がっちりと支えて受け止める。


 扉は、ああ・・の身長よりも、やや高い。


 横幅は高さの半分ほどだ。


 位置的に、ああ・・には見えなかったが扉と壁にできた隙間の向こうに無数の魔物たちが蠢いている姿が案内人からは確認できた。


 案内人は咄嗟に剣を抜くと扉の裏に開いた隙間に剣を刺した。


 何かの魔物に深々と剣が突き刺さる。


 剣を手放し案内人は壁の明かりの一つを手に取った。


 燃料として、ある種の鉱物の粉と粉を混ぜ合わせて発光させるカンテラだ。


 案内人はカンテラを魔物がいる隙間に投げつけた。


 扉の裏でカンテラが割れて光が舞った。


 隙間から、わずかに地下六階へ降りる階段と、その先の様子が見てとれた。


 普段、このダンジョンで見かけるスライムや大ナメクジラージスラッグや偽狼といった魔物の群れが階下までびっしりとひしめいていた。もちろんミスリルスライムも混ざっている。


 ばかりではなく、このダンジョンでは根絶されて出現しないはずの狒々羆ひひひぐま大口鼠ラージマウスラット小口鼠スモールマウスラットといった、もっと凶暴な魔物の姿も見受けられた。


 扉を強く向こう側から叩いていたのは狒々羆か?


 魔物は壁にも天井にも無数に貼りついていた。


 光で一瞬、扉を押す魔物の群れからの圧が引いた。


「押し戻せ!」


 案内人は、ああ・・に告げた。


 同時に自分も扉に体当たりをするようにして全身で押す。


 扉が壁の枠に戻った。


 ああ・・が素早く向きを変えて自分の背中を扉に押し当てた。足を突っ張って倒れてこないようにと扉を支えた。


「お客さん、その棒を」


 案内人が固まっている、お客さんの一人に声をかけた。


 ああ・・が手放した杖兼武器の棒を指している。


 お客さんが棒を手に取り扉を抑えている案内人に手渡した。


 案内人は棒を受け取り扉と地面に斜めになるように立てかけると、つっかえ棒にした。


 そのまま棒を、ああ・・の脇腹に密着させる。


 ああ・・は棒を抱えこんだ。


 棒と背中と両足を使って背後からの圧力を抑え込む。


 ぐぎぎ、と、ああ・・は渾身の力を振り絞って扉の圧力に耐えていた。


 長くは持つまい。


 案内人はダンジョンの地下からあり得ない数の魔物が湧きだす、この現象の名前を知っていた。


 スタンピード。魔物大暴走と呼ばれる現象だった。


 ダンジョンから地上に溢れ出した魔物は周辺地域に甚大な被害を発生させる。


 このダンジョンでも約三十年前に一度あったと聞かされていた。


「抑えてろ」


 案内人は、ああ・・に告げた。


 ギルドでは魔物とお客さんの間に入り込んで、お客さんを守るのが、ああ・・の役割だ。


「千数えたら、おまえも逃げろ。お客さん、逃げるよ」


 案内人は全速力でやってきた方向へと走り出した。


 慌てて二人のお客さんも後を追う。


 ああ・・の返事は案内人には届かなかった。


「おら、千なんて、おっきな数字わかんねえだ」


 数えられても数えられなくても結果は同じだろう。

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