第11話 兆候
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ギルドの資料室で閲覧を希望していた、およそ五十年分の日誌を受け取った。
担当職員以外には誰もいない。
本棚と机と椅子がいくつか並んでいるだけの小さな部屋だ。
担当職員は何か書類仕事を行っていた。
書類と同時に俺を監視する役目も担っているのだろう。
日誌なので一日一ページ、一年一冊の単位で冊子になっている。
俺は最近の日誌から過去へ過去へと順番に日誌に目を通した。
求めている、いつという具体的な日があるわけではない。
分かりやすい魔族の痕跡があるわけでもない。
そもそも大概のギルドでは、いくら日誌を確認したところで何一つ魔族の痕跡は見つからないものだ。
魔族が現れた、と、ピンポイントで書かれている日誌は、なかなかない。
だから、俺は次々と各地のギルドを渡り歩いて調査をしているわけである。
毎日の探索者数であるとか出現した魔物やアイテムの種類や数、場所、何か特筆すべき事項などが日誌には書かれている。
天気や気温といった気象データの記載は当然だ。
数値は日単位、週単位、月単位、年単位で集計されて魔物やアイテムの出現状況がグラフにまとめられていた。
一日だけでは読んで面白い書類ではないがデータが集まると意味が出てくる。
例えば、魔物の出現数とアイテムの出現数は比例している、だとか、気温と出現する魔物の種類には相関がある、とか、そんなことだ。
一日分の日誌だけ見ていたのでは、そこは読み取れない。
去年の何月には、この魔物が多く出現したから今年も同じような傾向があるだろう、だとしたら、ギルドとしては、このような準備をしておく必要がある、といった判断の材料にもなる。
浅い階の魔物が増えると後を追うようにして一階層ずつ深い階の魔物が順に増えていき最下層の魔物が増えると逆に浅い階の魔物は数を減らす。
そんな具合に、ダンジョンによっては食物連鎖的な相関関係が存在していた。
逆も真ならば、
浅い階の魔物が減った。
だとすると、深い階で強力な魔物が増えている。
すぐ対策をとるべきだ。
そういう判断もできる。
魔物やアイテムの種類に違いはあったが活ダンジョンには活ダンジョンの、死ダンジョンには死ダンジョンの、休ダンジョンには休ダンジョンの、おおよそ共通する特性のパターンが存在する。
逆に共通パターンに当てはまらない何かが、そのダンジョンに固有の特徴であったり異常事態だ。
異常事態は魔族の出現に関連する場合もあるから、特に注意して痕跡を追っていく。
そういった兆候や痕跡を経年的に追いながら俺は日誌をめくっていた。
例えば、あるダンジョンでは、ある兆候が周期的に発生する、という現象がある。
十年周期でゴブリンが異常発生するとか、一年おきに獣系魔物と植物系魔物の出現頻度が入れ替わるといった現象だ。
数値によってグラフが作られているデータもあれば作られていないデータもある。
なければ自分でグラフを作って、場合によっては別のデータのグラフと比較しながら相関関係を解きほぐしていく。
過去に似たような事例があれば、今後、状況がどのように推移していくか想像がつくし対策も取れるだろう。他のダンジョンの似たような事例も参考になる。
ここのダンジョンの最近の事例で言えば、もちろんミスリルスライムの大量発生だ。
ここ一年程、浅い階でミスリルスライムが大量に発生していた。
浅いといっても一階と二階で差はどうなのか?
じゃあ、その時の深い階ではどうだったのか?
調査のとっかかりとして、俺はミスリルスライム関連のデータに集中して分析を開始した。
今月のミスリルスライムの発生状況、先月のミスリルスライムの状況、先々月の状況、一年前、二年前、三年前と整理しながら過去へと追っていく。
同時にそれぞれの時期に特筆すべき事項は何があったかを確認していく。
その過程で俺は調査資料の不足に気が付いた。
俺は担当職員に声をかけた。
「日誌に足りない年度があるのだが」
日誌は一応、ギルド設立時から現在までのものを用意してもらっている。
歴史がある巨大なギルドでは百年、二百年を超える数になる。
その場合、一息での調査は無理だが、ここのような小規模ギルドでは、せいぜい五十年だ。
その内、約三十年前の日誌が一冊抜けていた。
「ああ」と、訳知り顔で担当職員は頷いた。
「その年ならばスタンピードがあった年だね。多分、欠落しちゃったんじゃないかな。当時は大分混乱したみたいだから」
スタンピードとはダンジョンから大量の魔物が地上へと溢れ出し周辺都市に甚大な被害をもたらす現象である。
街を放棄せざるを得ない場合もあれば探索者や軍が力づくで魔物を駆逐して収束させる場合もある。
空間にも食料にも限りがあるダンジョンで、なぜ、そのような大量の魔物が突然発生するのかの原因は分かっていない。
ダンジョンコアが、どこかから瞬間的に大量の魔物を転移させたためだと考えられている。
ただし、その理由までは分からない。
いずれにしても一ギルドで対処できるような事態ではないため、もしスタンピードの兆候を発見したりスタンピードが起きた場合は速やかに上部ギルドや国、軍へ連絡を入れなければならないとされていた。
そのような大事件があった年度の日誌が本当に整理されていないとは考え難い。
少なくともその年度以前の日誌は残っているためスタンピードにより物理的に日誌が消滅したわけではなさそうだ。
スタンピード期間中のリアルタイムの日誌作成は困難であったとしても事態収束後に何らかの検証が行われて記録が整理されているはずである。
だとすると、単純に通常の日誌とは保管場所が違っているだけとも考えられた。
俺は職員にその旨を指摘し日誌か何か代替できる他の資料の捜索を依頼した。
不足年度分のデータは後で埋めるとして残された年度のミスリルスライムのデータを折れ線グラフに整理する。
ここ数年の折れ線グラフの山の動きとスタンピード前数年の山の動きを比較してみた。
現在起きているミスリルスライムの大量発生とスタンピードに何らかの相関があると考えたわけでは、べつにない。
スタンピードとなると特大級の異常事態だ。
ほぼ、大抵のダンジョンにおいては発生していない現象である。
単なる興味からスタンピードに至るまでのデータと近年のデータの比較を試みてみただけである。
結果は酷似していた。
年単位ではなく月単位での山の流れも比較する。
やはり酷似。
『まさか!』
過去の山の動きがスタンピードに至る道筋なのだとしたら酷似している現在の山の動きは近い将来のスタンピードを示しているのかも知れない。
思い至った未来に愕然として俺は勢いよく席から立ち上がった。
背後に椅子が倒れる。
担当職員に大声で声をかけた。
「すぐ、ギルマスの元へ俺を連れていけ!」
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