第9話 偽狼

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 キャインっ。


 ああ・・の振る棒が偽狼にせおおかみを弾き飛ばした。


 狼という名前がついているが狼ではない。


 松明の明かりで壁に踊る影こそ狼型をしていたが実際は外骨格を持つ虫である。


 顔の左右に昆虫のような複眼がついていた。


 そのくせ犬や狼のようにワンとかキャンといった声を出す。


 正確には声を出しているわけではなく骨格の一部を震わせて声に似た音を出している。


 狼の偽物ゆえに偽狼だ。犬擬いぬもどき、とも呼ばれていた。


 偽狼の体は背後の壁にぶつかって地面にずり落ちた。


 頭が完全にひしゃげていて死んでいる。


 ふん、と、ああ・・は鼻息を荒く発した。


「おら、こいつ、嫌いだよ」


「噛まれた経験が?」


「何度もあるだ。でも、おらがこいつを嫌いな理由は、とても怖い目にあわされたからだ」


 俺は、ああ・・の顔を見上げた。


 ああ・・は、ごつごつと瘡蓋に覆われた顔をしていて表情はよくわからない。心なしか目元に脅えが浮かんでいるようにも見受けられた。


「おらがこの仕事でダンジョンに入り出した頃は、まだ通路に明かりがあまりついていなくて、もっと暗かっただ。暗闇で偽狼が急にきゃんきゃん言いながら後ろから足元にまとわりついてきたから、おら、悲鳴を上げちまって思いきり蹴っ飛ばして、散々、棒でひっぱたいて必死で倒しただよ。もっと小さくて毛が生えた・・・・・奴だったけれども、死ぬほど怖い目にあったのは、そん時だけだ。だから、おら、こいつのことが嫌いだよ。暗かったから後ろから忍び寄ってきていたのに気付けなかっただ」


 俺の全身の毛が逆立つように、ぞわっとした。


『その日、帰ったらポチはいた?』


 そう聞きたがったが、絶対、口にしては駄目な奴だ。


 この話題は、これ以上、深くしてはいけなかった。


 真実を知ったところで、いいことなんかまったくない。


「そりゃ怖いな」


 俺は大仰な仕草で背後を振り返った。


 天井も見る。


 偽狼は本当は虫だから壁や天井にもくっついて移動する。


 ああ・・は急に俺が怖くなって警戒しだしたと思ったのだろう。


 俺を安心させるように言葉を足した。


「でも、そんなヘマは、おらが小さかった時だけだよ。今は魔物に気づけないことなんか絶対ないだ。ミスリルスライムを見つけるのだって一番上手だ。ポチは、おらが絶対守ってやるから心配すんな」


「頼りにさせてもらう」


 実際、ああ・・は出てきた魔物を、ほぼ瞬殺していた。


 魔物に気づくや、ああ・・は魔物と俺を結ぶ直線上に入り込んで俺をかばい一撃のもとに魔物を倒している。


 ミスリルスライムを過去に二匹倒しているだけあって観光ダンジョンに出るような魔物では速度も強度も、ああ・・の障害とはならないようだ。


 地下一階、地下二階では魔物とは遭遇しなかった。


 地下三階でスライムと一匹遭遇した。ミスリルスライムではない通常のスライムだ。


 地下四階で大ナメクジラージスラッグに二匹。


 そして現在、地下五階。初めての偽狼だ。


 このダンジョンは全六階だ。


 既に五階まで降りてきたというのに、これまでのところミスリルスライムには出会えていなかった。


「言うほどミスリルスライムは出ないんだな」


「いつもならとっくに出てるだよ。今日は普通の魔物が多いだ。探してみるだか?」


「それよりも順路を外れたダンジョンの見どころがあったら見てみたい」


 ああ・・に連れられ隅々までダンジョンを見て回る。


 ここは何、それは何、と、ああ・・は解説をよくしてくれた。


「いつも、こんな感じに案内をしているのか?」


 正直、怖い見た目の、ああ・・に案内を任せるのはお客さんが嫌がるのではないかと不思議だった。魔物が出るダンジョンの中ならば、なおさらだ。


「おら、荷物を運ぶだけだ。おしゃべりは大人の役目だよ。今日は特別、って言ってただ」


 であるならば納得だ。


 ああ・・が一人で俺の担当をしているのは受付嬢の企みのせいだろう。


「その割には上手じゃないか」


「毎日聞いているから覚えちゃっただよ。おらの一番の役目は、お客さんを守ることだって言われているだ。魔物が出たら、おらが、すばやく壁になるだよ。失敗すると飯抜きにされるだ」


「そんなに傷だらけになるまで、よく頑張ったな」


「なんてことないだよ。働かざる者食うべからずだ」


 ああ・・は、そう言い聞かされてきたのだろう。


 その言葉が、ああ・・を呪縛にかけていた。


「とまるだ」


 突然、ああ・・が緊張感に満ちた声で静かに警告を発した。


「わかるだか?」


 と、二十メートルほど先の天井を指さした。


 水に濡れた染みのような何かが、きらりと光った。


 ミスリルスライムだ。


 相手は、まだ気づいてはいないようである。


 俺は、ああ・・の索敵能力の高さに舌を巻いた。


 元の職業上、索敵は俺の基本的な能力だ。


 そのうえ、コボルト化して、さらに鼻が利くようになっている。


 今日遭遇したスライムも大ナメクジラージスラッグも偽狼も俺は、ああ・・よりも早く存在に気づいていたつもりだった。


 違った。


 少なくとも、ああ・・は俺と同じ程度には早く気付いていたのだ。


 ああ・・が、「とまるだ」と言った瞬間が俺も気が付いた瞬間だ。


「わかる」と、俺は囁いた。


 経験値稼ぎは目的ではなかったが、せっかく遭遇した獲物を無視するのはもったいないだろう。


 とはいえ、距離的にも高さ的にも対処は難しい。


「落とせばいけるか?」


 俺は、ああ・・の戦闘能力の程度も確認したくなった。


「もちだよ」


 ああ・・は簡潔に応えた。


「ゆら」


 おれは、とっておきの火炎系最下級呪文を相手に唱えた。


 ひょろひょろと火の玉を飛ばすのではない。


 ミスリルスライムと張り付いている天井の隙間に、直接、着火させた。


 ダメージはゼロである。


 だが、驚いて、ぱっと天井を放したミスリルスライムは自由落下した。


 俺が、「ゆら」と口にした瞬間には、ああ・・は飛び出しミスリルスライムが天井を離れた瞬間には落下地点に入り込んでいた。


 木の棒を渾身のフルスイング。


 直撃を受けたミスリルスライムは、砕け散った。


 驚くべき、ああ・・瞬歩しゅんぽと一撃だ。


 ミスリルスライムの肉体強度を凌駕していた。


「これで倒したのは三匹目だ」


 ああ・・は笑った。


「でも、おらが倒しちまって良かっただか?」


「かまわないよ」と俺も笑った。「本当に強いんだな」


 十分、本職の探索者が務まる実力だ。


 ただし、受付嬢曰く、世渡りを誰かが教えてやらないといけないが。


 その後も俺たちは、ああ・・の案内でダンジョン内を歩き回った。

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