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「ねえ玲さん。どうして玲さんは人間になれる薬を使わなかったんですか。副作用はあっても、魔法が解けたときの手間を考えれば薬のほうが楽なのにって……真魚くんが不思議がってたんですけど」
玲さんは腰に手を当ててうーん、と唸る。人差し指を唇に当てながら「内緒な」と小声で言った。その仕草が様になっていて、久しぶりに私は玲さんに見惚れてしまった。やっぱり顔はいい。
人間になる薬には副作用がある。それは薬の種類やその人魚の体質によってさまざまだけど、人間でいられる時間が長ければ長いほど副作用はひどくなる。場合によっては視力を失ったり、歩けなくなったりと、そういう副作用もあるのだとか。真魚くんが元々飲んでいたものは、比較的副作用が強いものだったらしい。
「そんなやつを近くで見てるんだぜ。飲みたいと思うか、お前なら」
「……まあ、確かに」
「だろ。だから今は、ちょっと副作用が抑えられた薬に切り替わって安心してる。お前には負担かけてるかもしれねえけどな」
玲さんの言うとおり、今の真魚くんは人間でいられる時間を短くするかわりに、かすれてはいるけど話すのには問題がないほどに声が出る薬を服用している。その分、玲さんほどではないけど、変身が解けてしまうからお昼頃に一度自宅や私の家で水に浸かっている。
その時間帯は私がひとりで店番をしているけども、元々真魚くんは打ち合わせで外に出ることもあるし、特段不便はない。私は玲さんの言葉にゆっくり首を振った。
「それにまあ、人魚だって人間の中で生きていけんだって意地張ってたとこもある。薬に頼るのは、自分は人間以下だって認めるような気がしてた。人間みたいに生きたいって思うのに、どっかで人間のこと見下してたんだ。助けてもらわなきゃ生きていけねえのにな」
玲さんは頼りなく目を細めた。自嘲するような口元が玲さんらしくないけども、本当はこういう人なのかもしれない。初めて玲さんの店に行ったときに、忙しくなったお店を真魚くんと手伝ったことがあった。そのときに玲さんは今と同じ顔で私たちに頭を下げたことを思い出す。
「でも……そうも言ってらんねえかなって最近は思う。プライド捨ててでも守りてえもんがあるし」
「ほう……それは潔子さんのこと?」
「ふふん、察しがいいねえ瞳ちゃん。そういうとこ愛してるぜ」
「わあ、玲さんみたいな男前に愛してもらえてとっても幸せですう」
「棒読みじゃねえか。お前女優にはぜってえ向かねえな」
玲さんに突っこまれて苦笑する。玲さんは潔子さんしか見えていないことを嫌というほど知っているし、こんな冗談はもう挨拶みたいなものだ。
ただその顔面で、そういう冗談を言わないほうがいいとは思う。冗談や挨拶だとわかっていても心臓にはよくない。玲さんはそのあたりの自覚が薄いので、そこが難点だ。
玲さんを見送ってから静かな店の中で真魚くんの帰りを待つ。店内を掃除したり、商品を陳列し直したり、ショップカードやちらしの在庫を確認したりと、お客さんがいない時間帯も私は動き回っている。
カランとドアベルの音がして私は店の入口へ振り返る。いらっしゃいませ、と口が勝手に動いた。
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