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だいたい身近に人魚がいるなんて普通は考えない。普通は。いや普通ってなんだ。人魚が人間のふりをしてしれっと生活していることだし、私が思っていた普通というやつは普通でもないのかも。
「ふふ、お手数をおかけしました。ああ、そういえば潔子さんが言っていた意味がわかりました。まだ真魚くんには伝えてないんですが……」
「ああ。『ヒトなめんな』ってやつですか」
「そうそう。その言葉はもう少し先にとっておこうかと思うんです。真魚くんにお灸を据える日がきたときに使おうかなって」
潔子さんはぽかんとしたけども、なにかを考えた後に破顔する。それは楽しそうとつぶやく潔子さんは、なんだか頼もしく見える。歳下だけどなんだか姉さん感があった。
「そういえば、潔子さんはどのタイミングで玲さんが人魚だと?」
「最初からですよ。ここの大家さんにいきなり連れてこられて、人魚の玲さんがいて。見られたからには殺すとか言われるし、殺されたくなきゃここで働けとか言われるし……今思えばマジでクソですよね」
「……クソですね。まあ結果的にはよかったにしても」
その話を聞くと、潔子さんの『ヒトなめんな』にはものすごく重みを感じる。あの言葉には潔子さんのこれまでの思いと人魚への愛がずっしりとのしかかっている気がした。私は軽々しく使ってはいけない気がする。
カウンターで言い合いをしていたふたりがいつの間にか戻ってきて、同じ顔で不満表明をしていた。どうやら私たちの愚痴をしっかりと聞かれてしまったようだ。愚痴を言うときは別の場所で。潔子さんと別日にランチでもとこっそり約束を取りつけた。
それからしばらくして焼菓子の搬入のため玲さんがやってきた。珍しく潔子さんと一緒ではなく、ひとりだ。潔子さんは体調を崩して今日は休んでいるらしい。
玲さんは真魚くんと話をしたかったみたいだけど、真魚くんも今日はメーカーとの打ち合わせで出かけている。お客さんもいないし店内には玲さんとふたりきりだ。
そういえば玲さんにはきちんとお礼を言えてなかったことを思い出して、すぐに出ていこうとするのを引き止めた。
「玲さん、いろいろとありがとうございました。ちゃんとお礼するのが遅くなってすみません」
「ああ、うん。よかったな、ちゃんと戻ってきて」
「玲さんがそこまでしてくれるなんて思ってなかったです」
「べつに瞳のためじゃねえよ。あいつ、何年お前への恋心をこじらせてたと思う? いい加減ここんとこでカタつけろって思っただけ。うじうじしたやつって見ててイラッとする」
イラッとすると言うわりに、玲さんの口元は緩んでいた。
私も真魚くんのことは大好きだけど、この人にはなんとなく敵わない気がしている。それは過ごした時間とか種族とか──そういうものもあるのだろうけど、もっと別に、言葉では言い表しがたい繋がりがあるのだろう。
逆の立場になったとしたら、真魚くんも玲さんと同じような行動を取るのだろうなあと安易に想像できてしまう。
それはそうと、私にはひとつ疑問があった。
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