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 そこに潔子さんが一杯のコーヒーを淹れて、私を椅子に座らせると、肩にそっと手を添えてくれた。


「今日の豆はきっと瞳さんが好きな味だと思います。酸味が少なくてまろやかなんです。これ飲んでちょっと落ちつきましょ」

「……ごめんなさい。ちょっと冷静になります」


 潔子さんに勧められてこくんとひと口含む。彼女の言うとおり柔らかい口当たりで癖のない味だった。ゆっくりと私の身体を温めてくれる。


「とりあえず俺からも真魚に連絡取っとくよ。こっち戻ったら一番に瞳のとこに行けって言っとく」

「……ありがとうございます」


 真魚くんはちゃんとあの店に──私の前に戻ってきてくれるのだろうか。療養ならいつかは元気になって、戻ってくるのだろうけど、そうとも限らないような気がしている。胸の奥がざわざわして、息が苦しくなる。


「なあ、瞳。真魚はどうしようもないやつだけど誰よりも幸せになってほしいって思う。だから、あいつが戻ってきたら逃げずに真魚の話を聞いてやってくんねえか」

「……逃げずに……?」

「うん。逃げずに。話を聞いてどうするかはお前の自由だけど。できれば……まあ、あいつと一緒にあの店で働いてやって。俺から言えるのはこれだけ。あとは真魚に話させるから」


 玲さんはそれだけ言い残してキッチンの中へ戻っていく。中途半端な話のしかたが玲さんらしくない。真魚くんはなにを玲さんに伝えて、実家に帰ってしまったのだろう。たぶん真魚くんの身体のことを話そうとしているのだろうけど──あまりいい内容が控えているとは思えない。


 そういう真魚くんの覚悟もきちんと耳を傾けろということなのだろう。こんな臆病な私に抱えきれるのか。考えれば考えるほど不安しかない。


「……玲さんって、ああ見えて真魚さんのこと大好きなんですよね。よく喧嘩するけど、真魚さんのことになると一生懸命になっちゃうところがあって」

「それは……はい、わかります」


 あのふたりが互いを信頼していて、私たちには介入できないような雰囲気があることを感じていた。それがなにかははっきりとわからないけども、男同士の友情的なものかと。


「だけどあんまり気にしすぎないでほしいと言うか……瞳さんは瞳さんの思うようにしていいと思うんです。玲さんや私や真魚さんに縛られないで大丈夫ですから……って私には言われたくないかもですけど」

「……よく意味がわからないです。だけど、ありがとうございます。真魚くんと話したら、きっとその意味がわかるんですよね?」


 潔子さんは申し訳なさそうに眉毛を下げた。私が知りたいことは私自身が確かめないといけないし、真魚くんが私に伝えることがあるのならそれは真魚くんがやること。玲さんや潔子さんではなく。


 正直、そこまで言うのなら知っていることすべてを教えてよと、思わなくもない。だけどそれでは、たぶん意味がない。

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