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『そうだね。泳ぐのは気持ちがいい』
「いっそのこと人魚にでもなれたらいいのにね……ははは」
適当に言ったことだけど、それも悪くない。人魚になればどんな暗い海の底でもすいすいと進んで、きっと恐れなんてないだろう。こんなふうに手に汗をにじませて、胸をざわつかせて生きなくてもいいのかもしれない。
水琴くんは眉毛を下げ、ノートになにかを書こうとしたまま動かずにいた。私に引いてしまったに違いない。確かに同級生がいきなり『人魚になりたい』なんて言いだしたら困るだろう。時間を巻き戻したい。
『俺も、なりたい』『ふたりで人魚になってみようか』『なんて』
そう書いて、水琴くんは口角をほんの少しだけ上向きにした。
水琴くんの優しさというか、気遣いが嬉しくて痛い。正面からぶった斬ったり、突き刺したりではなく、小さな棘をゆっくりと指で押しこまれるような痛みだ。
まだバカにされたほうが幾分かマシな気がした。こんな子だからこそ水琴くんはクラスの女子の心をつかむのだと思い知る。
「水琴くんも人魚になりたいの?」
『そうだね。人魚として生きるのは楽しいよ。たぶん』
「水琴くんは人魚になってもお魚とかに好かれそう」
『そう?』
水琴くんはくしゃりと笑う。他の男子と比べて大人っぽいと思っていたけど、なんだか小さい子みたいな笑顔で面食らう。
私はまたお尻ひとつ分の距離を置いて、プールに目を向けた。隣から水琴くんの視線を感じていたけど気づかないふりをした。
頬が少しだけ熱い。夏の陽射しとセミの声が異常に身体に圧をかけてくる。私は膝に顔を埋めた。
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