1 夢見る人魚


 水面に夏の太陽の光がゆらゆら反射して、それはたぶん綺麗だと言えるものだろうけど、本当は仄暗い場所へ引きずり人間を食いつぶすものだと私は知っている。

 そんなことを知らない人たちが、同じ色とデザインの水着に身を包んで、笛の音に合わせて泳いでいる。

 速いだとか遅いだとか、綺麗だとか危ういとか、そういう個人差はあるものの、生徒たちは指で水を割いて前に進んでいく。


 私はプールサイドで膝を抱えたまま、その様子をぼんやりと眺めていた。跳ねた水の粒が顔について、手の甲で拭う。


『どうしたの?』


 隣に座っていた水琴みことくんが、いつも持ち歩いているB5のノートの上のほうにそう書いて、白くて長い指先でとんとんと指す。

 水琴くんは今年の四月にこの離島の中学校へ転校してきた。確か福岡から来たと言っていた気がする。


 幼い頃に声帯の病気にかかって声が出ないそうで、彼はいつも筆談でコミュニケーションを取る。人よりもたくさん文字を書くだけあって、水琴くんの字はとても読みやすい。達筆というよりは、全体的に丸みがあり、跳ね止めが柔らかく、線を一本一本ゆっくりと丁寧に書いている。


「……水が顔にかかっただけ」


 私は水琴くんにそっけなく返して、すぐに水面に目線を移す。そして少しだけ水琴くんから距離を置いた。

 田舎の中学校で、水琴くんはひとり垢抜けていた。肌が白くて、瞳はほんの少し青みがかっている。日本人らしい茶色というよりは、グレーに近いような色。

 そして顔立ちも他の同級生に比べて整っているし、男女分け隔てなく優しいし、落ち着いている印象を与える。


 病気で声が出せないこともあるけど、中学生男子特有の、大声を出しておけばカーストのトップに立てるという勘違いをするような幼稚さもない。

 水琴くんがこの中学校へやってきて、まだ三ヶ月と少しだというのにこのクラスのほとんどは水琴くんに夢中だ。


 そんな水琴くんと仲よくしようものなら、他の女子の反感を買い痛い目にあう。中学生とはいえ、女子の嫉妬は恐ろしいものだ。特に私みたいな地味な女子が、人気者の水琴くんと仲よくするなんて絶対に許されない。

 私はゆらゆら揺れる水面を見て、ぎゅっと膝を抱えた。


立花たちばなさん、水苦手?』


 私のお尻ひとつ分ほど距離を置いたのに、水琴くんはその分だけつめるとまたノートに文字を綴った。

 お前と話すと他の女子に目をつけられるんだよ、と言いたいのを飲みこんで、私は一度だけ頷いておいた。


 プールに目を向けると、クラスで一番可愛いとされる女の子がこちらを見ているのに気づいて、耳の中に水でも入ったかのようにキンと耳鳴りがした。私はまた水琴くんから半尻分くらいの距離を置いて、水琴くんと目を合わせまいとする。


『どうして?』


 水琴くんはそんな事情も知らずに私が置いた距離を埋めては、話しかけてくる。もうほっといてくれ、と突っぱねてしまいたい。あの女子を探すと、水の中で友だちとはしゃいでいたので胸を撫でおろす。

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