諦観

 あっという間に時は過ぎて、文化祭の二日目がやってきた。私たちは二人で一緒にホールに向かう。エントランスにいた大人の男性に向けて、千波は声をかけた。


「お父さん。来てくれたのね」


 千波のお父さんは、ハンサムだけれど無感情な瞳だから不気味だった。その表情のまま、私たちに話しかけてくる。


「彼女がお前の恋人か?」


「えっ?」


「千波。どうせお前は俺を説得するために、ここに呼んだんだろう。分かるさ。わざわざ一日目でなく二日目。お前は文芸部で、なにも発表する内容なんてない癖に。だったら可能性は一つ。出回った例の写真。そして公開告白。いかにも子供の考えそうなことだ」


 浅知恵だとは分かっていた。でもまさか見抜かれてしまっていたとは。


「でもお父さんはここに来てくれた。つまり、私たちの説得を聞く気があるってことでしょ?」


 千波のお父さんは、低い声で皮肉な笑みを浮かべた。


「いいや。違うさ。お前を真っ向から否定してやろうと思ってな。恋愛なんてろくなもんじゃない。あれは洗脳みたいなものさ。相手のいい所しかみえなくさせて、無理やりに関係を持たせるためのな。お前もその不良も、どうせすぐに飽きるさ」


 妻とは離婚が間近に迫っていて別居までしている。しかもその妻は人を刺し殺そうとしたのだ。夫として荒んでしまっていてもおかしくはない。でもかつてはこの人だって人を愛していた。だからこそ今、私の隣には、千波がいるのだ。


「私たちが証明してみせます。そうじゃないってこと。だから聞いててください。私たちの心からの気持ちを」


 私がそう告げると、千波のお父さんは鼻で笑った。


「せいぜいあがけ。でも期待はするな。大人の勝手な都合に振り回されるのが、子供の役目だ」


 そう告げて、千波のお父さんは去っていった。


「あの人は悪い人ではないのよ。いつだって私のことを思いやってくれたから。それでもお母さんには強く出られないみたいだった。それはたぶん、心から愛していたから。本当に仲が良かったのよ。昔はね」


「……そっか」


「行きましょう。紗香」


「うん」


 私たちは会場に入る。舞台に向けて、席が徐々に下がっていく映画館に似た構造をしていた。でも空間の広さは映画館の比にはならない。


 その天井の高い広大な空間にはちらほらと生徒たちが集まっていた。席は自由で保護者と一緒に座ることもできるらしい。私たちが二人一緒に席をつくと、どこからか千波のお父さんがまたやって来て、千波の隣に座った。


「ふん。ここからお前たちが非難の的になるのを見ておいてやるよ」


「非難の的?」


「お前は評判が悪いんだろ?」


 私をみつめながら告げる。


「人付き合いもまともにしない。成績も悪い。すぐに仕事をさぼる。不良とばかりつるんでいる。そのうえ、自分の家族が死んでも「清々した」なんて笑っていた」


 千波は慌てて否定する。


「それは理由があって……!」


「分かってるさ。千波が好きになった女だ。きっといい奴なんだろう。でもここにいる生徒たちはどう思うだろうな。きっとお前を、そして、お前を好きだといった千波を目の敵にするはずだ。そんな環境に、俺の大切な娘を置いておくつもりはない」


「私はそんなの気にしないわ! みんなから何と言われようとも自分の意志を貫く。それがお父さんが私に望んでいた私なんじゃないの?」


「でもそのせいで、俺はあいつと離婚することになった」


 千波のお父さんはぼそりとつぶやいた。


「俺はお前に自由に生きて欲しかった。でも今は分からないんだよ。俺が不幸になるだけならよかった。でも俺はお前まで不幸にしてしまった。これはな、俺の勝手な都合だよ。でもお前にはもう、これ以上不幸になってもらいたくないんだ」


「不幸になんてならないよ。私には紗香がいる!」


「いつまでその愛は続く?」


「そんなのいつまでだって……」


「俺もそう思っていたよ」


 深いため息をついた。千波は目を細めて、うつむいている。


「俺はお前に苦しんでほしくないんだよ。だからな、もしも俺を説得したいのなら、みんなに祝福してもらえ」


「えっ?」


「お前たちの思いが本物なら、例え嫌われていたとしても、みんな祝福してくれるはずだろ? 人なんてそんなものさ。例え悪人であっても、そいつに一本太い筋が通っていたなら応援したくなるもんだろ?」


 すると千波は顔を上げて、ニヤリと微笑んだ。


「分かった。絶対にみんなに私たちを認めさせるよ」


 千波の笑顔をみていると、本当にできそうな気がしてくる。私も頷いた。


「頑張ろうね。千波」


「うん」


 私たちはぎゅっと手を繋いで、舞台を見下ろした。その時、私の隣から楓の声が聞こえてきた。


「お姉ちゃん。頑張ってね」


 私は目を見開いて驚いた。どうして楓がこんなところに。


「お父さんとお母さんと一緒に来たんだ。ほら、あそこ」


 指さす方を見ると、お父さんとお母さんが笑顔で手を振っていた。


「今日は自力で歩いてきたんだよ。すごいでしょ」


「すごいよ楓」


 私は泣きそうになりながら、楓の頭を撫でた。部屋に引きこもって私のことをただただ憎んでいた楓が、外に出られなくて自分のことを嫌いになりそうになっていた楓が、私を応援するために駆けつけてくれたのだ。


 お父さんだって、お母さんだって、麗を失って暗くふさぎ込んでいたのに、私のことだって嫌っていたはずなのに、気付けばまた私を家族と認めてくれている。また明るく笑ってくれている。本当に感無量だった。


 いける、と思った。根拠なんてない。それでもきっと今の私なら、みんなの心を動かせる。全校生徒だってなんとかなる。そんな確信を持ったのだ。


「俺はお前の恋人のご両親と話してくる。娘をしばらく預かってくれたわけだから、礼くらい言わないとな。……しかし、あいつはなんであんなことを。幸いにも今日、留置所から釈放されるみたいだが、あのことも謝っておかないとだな」


 そうため息をついて、千波のお父さんは去っていった。

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